“緑色”的な僕のほんのりワクワクblog

ほんのりワクワクがたくさんの毎日を♪

「いそがしい」の最中でめぐる思い

こんばんは ♪

この3連休の土、日と休日仕事。こんな感じがあと1週間半ぐらい続きそうなので、今日は「とりあえず一旦、仕事を切ろう!」と思い、“大切な家族仕事” を時折しつつ会社仕事は封印した1日を過ごしました^ ^

 

午前中は氏神様の神社へ、先日まで家のドアに飾っていたしめ縄飾りを納めに行くことを主目的に、1時間ばかりぶらっと散歩に出ました。昨日は一歩も外に出なかったこともあり、なんだか解放感がありました ♪

 

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日本海側にお住まいの方からすると東京の今日の体感なんてもしかしたら「こんなのまだあったかい方だよ〜」だとは思うのですが、、結構冷たい空気でした(><)  

早咲きの梅の姿は、澄んだ冷たい空気にマッチしている感じがしますね。

 

 

この色のコントラストは、なんだか心がほんのりする感じで好きです♬

 

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神社に着くと、振袖姿の女性が4人並んで、向かいで同じように並んでカメラを構えるのはきっとそれぞれのお母さんなのかな、ちょうど記念撮影をしているところでした(╹◡╹)

今週末に大学入学共通テストを控える僕の娘より2学年上の世代。そもそも我が家は愛娘2人なので、こういう光景を目にするとやっぱり、

「みんなのこれからの人生が幸せにあふれますように。」

っていう、静かであたたかい感情が自然と湧いてきます。

 

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さて、どうしてこんなにずっといそがしいんだろう。。

僕は会社キャリア30年超えですし、休日仕事をしないと仕事が回らないことはさすがにもう近年は滅多にありません。そんな僕が、先月は2日ほど休日仕事、大晦日は紅白歌合戦を観ながらリビングでPCに向かって1月の月間業務の段取りスケジューリング、、そして、今月は仕事始め後最初の週末から2日連続で休日仕事。もしかしたら今度の土曜日にもう1回休日仕事になりそうな最中にいます、、

僕は、会社で、「明るく元気にワクワク働きながら目標達成に邁進できる職場づくり」っていうスローガンの旗振り役をしています。世の中で言われるところの『働き方改革』路線ですね。

それを実現するためのポイントの1つとして強調してきたのが、「限られた時間内で仕事の密度を上げる働き方」で、具体的には「時間を積み重ねる働き方ではなく、無駄を省きつつ事前に決めた時間内で働くための段取りを組む働き方へのシフト」なんです。

そんな僕が、先月、今月と、会社のみんなに言っていることと逆行しているような働き方になってしまっているのは、「説得力薄れてるよね、、、みなさんごめんなさい。。」って感じにあります。。

 

なんでこんな事態にはまってしまっているのか。

 

まず12月

例年にはない大きく特別な仕事がありました。その案件の社内決裁手続きが想定外に難航したことも理由です。

加えてもうひとつ自覚があります。ブログ運営のことで悩んでしまったことによるオンタイム時の集中力低下で、僕自身の“生産性”が本来の70%ぐらいまで低下してしまっていたと思います。

会社には言えないけど、「個人の事情でパフォーマンス低下してしまいごめんなさい!」です。。

今回の記事、ここまで「いそがしい」って、あえて平仮名で書いてきていますけど、先月は思いがけずペースが狂って、気づけばちょっとだけ “心を亡くしかけた”ような、忙しい1ケ月だったように思います。

でも1月は。

大晦日に段取りも組んだし、、まぁなんとか “平常運転” に戻せるだろう、って思って仕事を始めたのですが、、、なぜか今このありさま(O_O)

 

理由を考えました。

っていうか、仕事始めから3日目ぐらいに気づきました。。。

 

その理由は、、

「1月は会社の本決算対応月。1年間の最繁忙期なので、例年、前月である12月にそのための事前の準備をして1月に臨んでいたのが、今年は12月が繁忙でその準備が全くできなかった結果、1月に一から全部やる羽目に陥ってしまっている。」

 

「12月がそうなってしまったんだから1月もまぁそうなるよね〜」って話ですね。

“心を亡くしかける”体験が終わって即、年末年始休暇に入ってスイッチオフしたこともあって、大晦日に1月の段取りスケジュールを考えてる時も心は半分紅白でオフスイッチモードだったんで^^;、「そりゃそうだよね」ってことに気づけませんでした。

当然、誰のせいでもなく、あと1週間余り、やる必要のあることを、心を亡くさないようにだけは気をつけて、ある意味淡々とやっていくしかないよな、って思っています。

 

「いそがしい」と「忙しい」

好んで「いそがしかった」あの頃

昔の話を書きます。

僕は会社キャリアの前半を、好んで長時間労働を行うことで、自分のキャリアを切り拓いてきました。約10年前に自ら手を挙げて “出世街道” から降ろしてもらうまでは、“社内競争”における “星数” もLOSEよりはWINの方が多かったんじゃないかって思っています。

その勝負における僕の主要な武器の1つが「長時間労働」でした。人が働いていない時間を使って人より多い時間を働くことで能力の差に追いつき、あわよくば追い越すこと。みんなが働いていない時間だから僕が働いた分は丸々僕のアドバンテージになるという安心感。この長時間労働をベースにして、他の人よりあれこれ(時に余計なことも含め)気づく自分の気質を生かして一定の成果につなげてきたというのが会社キャリア前半の僕のスタイルでした。

独身時代は、23時までオフィスで残業してから、先輩や同僚とカラオケに行って2時間歌った後、カプセルホテルの食堂で深夜1時過ぎから夕飯(それも肉野菜炒め定食+納豆+ビール中ジョッキとかです。。)を食べてそのまま宿泊、なんてことを週3回ぐらいやっていたこともあります(><)。

当時は若かったんで、そんな働き方をしててもただちょっと眠いってだけでしたけど、今そんなことを1回でもやったら即リズムが崩れてしまって命が危ないでしょうね。。。

当時の長時間労働では、「大変だ、大変だ」、「仕事が終わらない、どうしよう」とか「連日残業でしんどい」とか言ってはいたと思いますし、人間関係の悩みに直面していた時期は身体よりメンタルがきつかったことはありましたけど、自身で望んで選択していたスタイルだったので、むしろ長時間労働のおかげで『忙しい』を回避できていたのかもしれません。

「忙しい」ことの本当の怖さを知った時

会社キャリアの後半のスタートで、僕はそれまでのマーケティング部門から、全く経験のない人事部門に人事異動になりました。

僕の勤める会社は総じて “とてもホワイト”な社風の会社だと思っていますし、“隠れへなちょこ” な僕が同じ会社で30年以上働けているのも今の会社に入社したおかげだと運命に感謝もしています。

ただ、僕が異動で転入した時のその部署は、その10年以上前にそこでリーダーを務めていた人が築いた、強烈な働き方の仕組みゆえに、所属する人の全てが1年中切れ目なく、睡眠時間以外は働き続けることが暗黙の了解になっている感じの、僕からすると驚愕の組織でした。

特に男性はみんないつも不機嫌に仕事をしていました。

忘れられない出来事。

チームのミーティングで、みんなで手帳を開きながら、休日出勤の応援依頼を、相手の都合は関係なしに有無を言わさずボンボン入れ合うんです。「断ったらただではおかないからな」みたいな凄みをきかせて。

その当時、僕は、その約2ヶ月前に下の娘が生まれたばかりでした。あっという間に埋まってしまった手帳の当月と次月の休日の応援予定を目にした時、僕は入社して初めて、言葉に出来ない悲しさを感じました。

 

「仕事って一体何のためにしてるんだろう。」

 

「この職場で長時間を前提とした働き方をしても、もはや自分の武器には全くならないし、僕の器量・技量ではむしろ自分の人生を壊すだけにしかならない。」

 

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気づき

“驚愕の組織体験” も思い返す時、あらためてこんな風に思います。

 

いそがしい → 自分でコントロールできる状態

忙しい   → 自分でコントロールできない状態

 

その根底にあるのは、「安心を感じる」「不安を感じる」の違いかもしれません。

 

“驚愕の組織体験”は、当時は本当に嫌だったですけど、「自分が本当に望む幸せって何なのか」ってことを考える転機になりました。

それにこの時に思いがけず得たキャリアが、現在の職場で今なおやりがいを持って働けていることにつながっているのです。長い目で見れば、自分に起きることってちゃんと自分の幸せにつながるようにできているんだな、って思っています(╹◡╹)

ちなみに、“驚愕の組織”は、もともと会社自体の社風ではないので、すでに改善が図られ、今は本来の平和が戻っているようです🍀

 

心の中から悩みを追い出すには

このフレーズは、以下の書籍の中にある1テーマです。

道は開ける 文庫版

道は開ける 文庫版

 

文庫本の発売は最近ですけど、原本はたぶん80年ぐらい前に書かれていますね。

僕は、D・カーネギーさんの『人を動かす』も、この『道は開ける』も、どちらも好きな自己啓発書ではあるのですが、しかし、『道は開ける』の中の「心の中から悩みを追い出すには」という項に書かれている、“悩みの習慣を断ち切る第一の鉄則” には、ここまで書いてきた自身の経験もあって、今の僕には諸手を挙げて「まさにおっしゃる通り!」とは言い切れないものがあったりします。

 

その鉄則とはこちらです。

忙しい状態でいること。悩みを抱えた人間は、絶望感に打ち負けないために、身を粉にして活動しなければならない。

引用:『道は開ける』D・カーネギー著【文庫版】(創元社刊)91ページより 

 

この鉄則は、時に、都合の良いように、あるいは誤解されて解釈されて、昭和から平成にかけての長時間労働を肯定するマネジメントの拠り所にされてきたりしてたんじゃないかなぁ、、って思ってしまいます。

全てのケース、あらゆる資質の全ての人に必ず当てはまるわけではないのではないかな、って感じてしまうんです。

 

初の4,000字超。。

次回の記事投稿が、最長1週間後ぐらいになってしまうかも、って思いながら書いていたら、いつもの僕の記事の2回分ぐらいのボリュームになってしまいました^^;  

皆さんがほぼ連日投稿されているのを見ると、「そろそろ書きたいな・・」って思いが度々湧いてくる今日この頃ではありますが、季節柄、そしてコロナ情勢柄、免疫を落とさないことを大前提に、あと1週間余り、心身のスタミナ配分は、会社での “いそがしい仕事” に一区切りつけることを優先で行こうかなって思っています(╹◡╹)

 

体温が1度下がると免疫力は4割近く低下して、体温が1度上がると5〜6倍も免疫力が上がるらしいです ♪

身体を冷やさないよう気をつけながら、健康値の範囲内で少しでも体温を上げられるような生活をしていきたいですね!

 

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自分の現実は自分が創っていることを忘れないために。

こんばんは。

明日出るようですね、『緊急事態宣言』。まずは医療関係者の方々を少しでもホッと安心させてあげられる形につながることを祈ります。

一方で、特に中小の飲食店の方々は・・・・。生活補償がちゃんと生活が繋がるレベルでされるようになるのでしょうか。。ただ胸が詰まります。

 

今日の記事は、見出しなしで、画像もなしで、ズラズラ綴らせてくださいm(_ _)m

 

社会・経済の仕組みとは、自然の法則とは異なり、人間が何らかの目的を達成するための「手段」として人工的に作り出したもの。なのに、不具合が生じている時にそれに手が打てない状態にあるというのは、きっと、「その仕組みをあたかも人には変えることはできない自然の法則と同じものかのように信じこんでしまっている状態(夢の世界?)」にあるか、「僕らから見ると現状はとても大きな不具合が生じているように見えているけど、“この仕組みを動かしている力のある人達” から見ればちゃんと目的にかなっている」のいずれかなんだろうな、って、僕はこれまで生きてきた自身の会社人経験と知識から感じています。  

 

どっちでしょう。

両方だったりするかもしれませんね。。

でも一庶民の僕には本当のところはわかりません。

 

僕にわかること、

言い換えます、僕が「信じること」は、やはり以下のことです。

 

「自分には何の力もない。もうどちらに行けばいいかもわからない。みんなの行く方、どっちですか?言われた通りに従いますから“誰か力のある方”、どうかご指示ください。」

 

こんな無力感に飲み込まれてしまって、ここまでの人生、ずっと自分が自分の現実を創造してきたことを忘れてしまう、忘れさせられてしまうことだけは避けないと、人生の最後を迎えた時、少なくとも僕はきっと後悔する。

 

人にはいろいろな価値観があります。

「これまでの人生経験から、みんなの行く方を選んでおくのがもっとも無難でうまいこと行くんだよ。もしそれでダメならそれも運命、まぁ気楽に行こうよ!」

こんな感じの価値観でこれまでの自分の人生を創造してきた人は、それがその人の信じる正しさなのですからもちろん良いのです。正しさは人の数だけある。

だから今日書いていることは、あくまで「僕が信じる正しさ」に基づく話です。

 

自分の現実は自分で創っていることを忘れないために、特にこれから当面の間、僕があらためて心がけていこうと思っていることはこれです。

 

「批評、批判をしない。」

 

批評・批判を発信してその望まない状態を自らの行動で変えていく覚悟まで持っている場合は別です。

そこまでするつもりはなくただ他者を責めるだけの「批評・批判」は、実は「自分は無力なのだ」というアファメーション(自己暗示)になってしまって、やればやるほど逆に自分の幸せ創造力を弱めてしまう、という話を、僕は昨年のコロナ自粛期間に知りました。自身のこれまでの日常経験を振り返ってもなんとなくこのネガティブ作用は納得できるものでした。

 

これからの “ステージ” では、そうでなくとも無力感に引き込まれてしまいそうなパワーのある情報が一気に増してくる可能性が高い気がするだけに、自分の “力” を失わないためにも、僕はこの「批評・批判をしない」ということもあらためて心がけていこうと思っています。

 

僕の幸せの“舵取り”は僕がやる。

こんばんは!

僕の会社はあさって5日が仕事始め。朝5時半に起きて出勤です。明日はオンスイッチを入れる準備の日としようと思うので、まだオフスイッチでいる三が日の最終日となる今夜、この記事を投稿しようって決めて書き出したいと思います^ ^

 

先月の29日から始まった僕の年末年始休暇。コロナ禍の中でも平穏な今であることに感謝しながらポジティブを膨らませることができています♪

「ほんのりワクワクな時間」を増やしていくために今年をどう過ごしていくか、について、特に元日の夜から昨日にかけ、手帳とペンを使って取り組んだ “自己との対話” を通じて見える化した内容をふまえて、ここから先は「今年の抱負」みたいなことを書いていきます(╹◡╹)

 

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まずこの思いをしっかり持つ

「たとえコロナ情勢がどうなろうと」、僕自身の幸せの “舵取り” を、コロナを含む自分以外の何かに委ねることなく、明け渡すことなく、『自分らしさ』を信じて自分の現実を創っていく。

 

『自分らしさ』を信じる上で必要だと思うのは、

比較しないこと。

“誰か” と比較することをやめる。

“常識” あるいは“ふつう”と比較することをやめる。

でも、この比較だけはやる。

その比較対象は、人としての『良心』

 

今年最優先の“トレーニング”

ほんのりワクワク体験を増やしていくために、昨年、僕が立てた “戦略テーマ” は次の3つです。

 

  1. ポジティブとネガティブが併存する中で、自分が望むポジティブを「選択」する心の力の向上
  2. 多様性受容力(違いの存在を認める力)の向上
  3. 自分が望むことをもっと明確に描ける力の向上

 

 

この数日、各々のテーマについて、具体的に何をやっていこうかをいくつか決めましたが、その中で最も力を入れて取り組んで行こうって決めたものがあります。

 

それは上記の戦略テーマ1を実現するための課題のひとつである、

「頭の中を空にする、あるいは頭の中の雑念を静めるスキルの習得」 です。

 

これまでの人生で何度も体験してきたこと。

 

頭の中の思考が静まっている時に、自分が持っている問いに対する最適な答えは、ふっ、って浮かんでくる。

若い頃から今に至るまでいつもそうです。

その象徴的な時間帯は「朝」

特に起床してから駅まで向かうまでの朝の時間帯。

この時間帯は、雑念があふれがちな僕の頭であっても、まだあれこれと雑念が湧いていない、頭の中がかなり静かな時間帯です。

この時間帯に、前日まであれこれ考えていた事柄に対する、「あっ、なんかすごくしっくりくる」って感じる答えが、“ふっ、そしてスルスル” って感じのストーリーで湧いてくることを何度も経験してきました。

 

自分自身のこの経験から、僕はこう確信しています。

「朝の時間帯のような頭の中の雑念が少ない静かな状態を意図的にいつでも作れるようになれば、自分の持った日々の大小の問いに対して、自分がしっくりくる答えを、今までよりもっとスムーズに得られるようになるに違いない。」 

 

これを実現するためのスキル。

それは『瞑想』あるいは『マインドフルネス』と言われているものですね。

『ヨガ』なんかもきっと同じ効果が得られるのだろうとは思います。

実は、僕は10年前からこれらの可能性に関心を持ち、関連する書籍を買ってしばらく実践しては挫折、新たにまた新たな書籍を買ってきて実践しては挫折、を何度か繰り返してきています。。

取り組んでいてもふと気づけばすぐ雑念の中、あるいは疲れていて眠ってしまったり、と一向にうまくできた実感が持てない状況に我慢しきれず気づけばフェイドアウトしている、の繰り返しでした。

ちょうど1年前には、マインドフルネス瞑想の個人セッションも受けて、以降2ヶ月ぐらい、自宅で続けたのですが、やはりちゃんとできている確かな実感が持てない中で、コロナ自粛でエネルギーダウンした心に負けて “一時活動停止” に。

 

これだけ挫折しまくっているこのスキル習得チャレンジですが、これを習得することは、「自分の望む幸せを選択する力を向上させる上ですごく役立つはず、もうなんとしても習得したい」って、あらためて今、強く思っています。

世の中では一部の特殊な人だけでなく多くの人たちが習得できているこのスキル。かなりの雑念グセがある僕には、他の人より時間がかかるだろうとは承知の上で、今年は何がなんでも、少なくとも「幸せ選択力向上に何となく役に立ってる感じがする」ってところまでは到達できるように最優先で取り組もうと心しています!

 

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ほんのりワクワク体験の本丸 ♪

「都立9庭園」「国立昭和記念公園」をメインのお散歩フィールドにして、1年を通じて、毎週末1回以上、季節の花達に会いに行こう!、って想いを巡らすだけで、ほんのりワクワクが高まります♬

それぞれの年間パスポートを安心して買える状況にまで世の中が落ち着けば、もう最高ですね(╹◡╹)

都立庭園のご案内

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昭和記念公園年間パスポート案内

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“もしもの時” も明け渡さない!

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緊急事態宣言なのか特措法なのか、、どっちにせよ、僕は、昨年の春の時のように、「収束を信じて今はほんのりワクワクも我慢。とにかく収束を祈って静かにしていることしか私たちにはできないのです・・」って感じの、自身の免疫も著しく下げてしまうような、心の無力感スイッチはもう入れません!

もちろん、周りの人たちに不安や恐怖を感じさせてしまわないために必要となる選択行動はとります。

 

 

万が一、本丸のほんのりワクワク体験が全くできなくなってしまった時に備え、その代わりとするものは想定してあります!

 

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約10年前に、僕は通信講座で、『おりがみ絵本技能士』という、履歴書には全く書けない(笑)資格を取りました。この資格の特典は、この団体さんの冠の下で折り紙教室が開講できる、です。教室を開くつもりは当初から今に至るまでないのですが^^;

「おりがみ絵本」は、名前を変えて「はり絵折り紙」になったようですが、最近では書店でもほとんど見かけなくなってしまいました。。

 

この講座を指導されている朝日勇先生が創作された作品はこちらです。僕はこれらの作品を見てときめいてしまったことが通信講座を受けたきっかけでした^ ^

 

『初日の出』

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引用:「はり絵折り紙12ケ月」日貿出版社刊

『心弾む春の訪れ』

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引用:「大人のおりがみ絵本」パッチワーク通信社

『妖精の集う聖夜』

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引用:「大人のおりがみ絵本」パッチワーク通信社

 

先生の作品の後に続けるのはお恥ずかしいのですが、これが通信講座の最終課題として、約10年前に僕が創った作品です。

『卒園〜旅立ち』

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通信講座を終えたタイミングで、ちょうど僕の会社キャリアの岐路となる人事異動の対象となり、その環境が落ち着いたと思ったら東日本大震災、って感じで時は流れるうちに別の関心事ができ、「落ち着いたらやろう」って一時休止しているつもりだったおりがみ絵本創りは、ほとんどやらないまま現在に至っているのです。

 

万が一、自宅でしかほんのりワクワク体験ができなくなってしまった時には、「いい機会だから落ち着いて取り組んでみたら?」っていうサインだと受け止めて、無力感を跳ねのけてすぐ気持ちを切り替え、“この札を繰り出す” つもりです!

 

自分の心に刻み込むつもりで最後にもう一度。

自分の幸せの “舵取り” は、自分以外の誰か、何かに委ねることなく、明け渡すことなく、この1年を1日ずつ歩んでいきたいなと思っています(╹◡╹)

平穏な2021年元日ですね🍀

あけましておめでとうございます♬

2021年元日。東京は快晴でした(╹◡╹)

何も心を乱されることが起きず「平穏」であることは、実は当たり前ではなくとっても「有り難い」ことなんだな、って、今年の元日は特に感じました。

「平穏」でさえあれば、あとは自分次第、自分がやりたいことに向かって行動するだけですもんね!

だから「平穏」には感謝したいです ♪

 

元日の僕の住む街の空  

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快晴でした♪ 

 

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早咲きの梅の花も映えています♬ 

 

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遠くに雲が見えます。

 

雲もあるから快晴100%ではない。

 

でも「これがいいんだ!」って思います^ ^

 

僕らが生きるこの世の中、比較するものがあるから望むものがちゃんと認識できる。認識できるから望むものが選びやすくなってる。

それに加えて、今日は思いました。

「どちらも一緒にある、併存している状態だって、これはこれでなかなかいい感じかも♬」

 

自分の現実を創っているのは自分。どっちか選ぶのも良し、どっちかでなく丸ごと選ぶのも良し。

選べる力が自分にありさえすれば、あとは自分が望む幸せの物差しで決めたらいいんですね(╹◡╹) 

 

さぁ、手帳に向かうぞ!

一年の計は元旦にあり、ならぬ、 

「一年の計は仕事始めの前日までにあり」

で参りたいと思います。

僕の仕事始めは「5日」。 

ここから4日までは、優先順位の高い、家族関連時間以外は、「手帳に向かってやるぞ!」と決めていたことに、理想は “全集中” 、

実行目標 “半集中大幅超え”、、でがんばります✊

 

ほんのりワクワクが始まる予感 ♪

この世の中で起きることは、

『必要、必然、ベスト』。

ここまでみんなで体験しているコロナ禍も、きっと僕らみんなの幸せにつながるように最後はなっているんだってことを僕は信じて、今年のスタートを切りたいと思います!

 

今日撮った椿の花の写真です。

見ているとなんだか、

「大丈夫、ちゃんとうまくいくようになってるから!」 って言ってくれている気がします(╹◡╹)

 

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僕はブログ投稿を始めてまだたったの2ヶ月、

「今年も」よろしくお願いします、って書くには、かなり気後れしてしまうので、、、

昨年つながりを持ってくださった方、今年も引き続きご縁を続けていただけると嬉しいです。

よろしくお願いします(╹◡╹)   

 

皆様にとって、2021年のかけがえのない1日1日が、“コロナ禍がどうなるかにかかわらず”、平穏とワクワクにあふれた幸せな1年となりますように♬

 

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終わりは“始まりの始まり”

こんばんは^ ^

子供の頃やっていたアニメ『天才バカボン』のパパが言いそうなフレーズのタイトルですが、、今日ふとそんな言葉が浮かんできたら、少しだけ記事が書きたくなってしまったので少しだけ書きたいと思います ♪ 「見出し」なしでも不具合もないぐらいのボリューム感で参りますm(_ _)m

 

今日は年始のためのささやかな買い物のためショッピングモールへ行ってきました。

食料品売り場はたくさんの人。おせち関連の食材売り場が特に混んでいます。家族連れも目立ちますね。もちろんみんなマスクは着用しています。

エレベーターの乗り口には、

「ディスタンス確保のため四隅に4人まで。」

って書いてありましたけど、この売り場自体の人の多さを目の当たりにすると、

「なんだかよくわからないな、、」って^^;

 

でも思いました。

「今年はみんな忍耐強くがんばったんだ。この年末年始だって帰省や旅行を断念して自宅で過ごす人が大半のはず。自宅で迎えるほんのささやかな幸せを楽しみにその準備のためにここに来ている人たちを、神様はきっと守ってくれるはずだよ・・」  

 

 

買い物を終えた夕暮れの駐車場から見えた光景。

 

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なんだかピントが合っていなくてごめんなさい、

これ、富士山、のはずです^^;

 

「あぁ、今年ももう終わりなんだなぁ・・」

 

ってこの光景を見てしみじみ思いました。

 

この思いに続いて、次に、今朝の散歩で出会ったこれのことを思い出したんです。

 

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梅の花。  

梅の花の開花って1月の後半ぐらいからなんだろうってずっと思っていました。12月から咲くんですね。

 

夕暮れの富士山とこの早咲きの梅の花のことが同時に頭に浮かんだら、

 

「終わりだけどもう始まってもいるんだなぁ・・」

 

「物事ってみんなこんな感じなのかもしれないな。」

 

なんていう思いが浮かんできたのでした。

 

「終わりは“始まりの始まり”」

 

 なんか変な言葉(笑)

 

 

前回の記事で、年末のご挨拶はさせていただいているので、この記事の最後は、来年のことを思いながらの “独り言” にしようかと思います。

 

コロナ禍になって以降、毎週の氏神神社での参拝で僕がいつも最後に唱えている言葉です。

 

あらためて、

 

生きとし生けるものが皆、幸せでありますように。

 

皆様、良いお年をお迎えください♬

 

2020年の年納めギフト

おはようございます ♪

今日は僕が勤める会社の仕事納め日なのですが、コロナ禍で今年は期末打ち上げもなし、加えて今年の12月は例年になく休日仕事が多かったこともあって、「もう休んでしまおう!」って先週思い立ち、有言実行?で、なんとか昨日で仕事を納めて、年末年始のお休みの初日を今日から迎えることができました♬

 

おとといの日曜日の夜の出来事。 

突然ですが、『ぶんぶんチョッパー』

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恥ずかしながら僕は今年初めてこの便利調理器具の存在を知りました(^^;

 

夕飯の準備で、牛タン焼の塩ダレ用に長ネギのみじん切りを作るために、この『ぶんぶん』が出動!

 

あっという間にみじん切り! 

「ぶんぶん、すごいぞ\(^o^)/」

 

ぶんぶんの刃がついてるパーツ。

 

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これを洗い終わって、雑談でよそ見をしながら仕舞おうとしたその瞬間。

 

「痛っ!」

 

右手の中指の第一関節の横。

ちょっとだけ「トン!」って当たったぐらいの感じだったというのに、切れた箇所からあっという間に出血 (><)

 

ぶんぶんの刃、よく見たらものすごく鋭利でした。

こんなの、よそ見しながら扱ったらいけない。。

(写真がリアルすぎていたらごめんなさい)

 

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「うわ、あっという間にこんなに血が。どうしよっか?」

 

「小学生かよ。」と我ながら突っ込みたくなる第一声を、奥さんに投げかけた僕。

 

ティッシュペーパーで指をくるんでしばらく押さえていたけれど、なかなか止血しない。

 

「これでずっと止まらなかったら、白血病とかだな。。」

「会社の定期健康診断でも、正常範囲だけど、年々、白血球の数、減ってきてるし、、」

 

などと、しょうもないことを妄想した後、

グルグル巻きのティッシュペーパーが緩まないようセロテープで応急固定した右手中指と一緒に夕飯の席に。

 

牛タンのネギ塩タレは久しぶりの大好評\(^o^)/

 

夕飯を終え、意識は再び右手中指へ。

 

ティッシュペーパーを外してみると、

だいぶ止血されてたので一安心。だけどまだ少し出血してる。

 

「ぐるぐるティッシュだとブログも書けないし!」

 

 

ここで満を持して登場。

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その2時間後、お風呂に入り、出てきてから新しい絆創膏に替えようと、絆創膏を剥がしてみると、

 

切り傷の線だけ残して、血の痕跡はもうきれいに無くなっていました。かさぶたも、、なぜかない。

 

今年の年納めにふさわしい“ギフト”

「出血が止まってよかった・・・」

 

その翌日、つまり昨日の仕事納めの朝ですね、こんな考えが頭に浮かんできました。

 

「出血を止める、って自分の意思でやったわけじゃないんだよな。。」

「僕の意思とか考えとは関係ないところで自動的にそうなってくれている。」

「思えば、心臓だって自分で動かしているわけではなく僕の意思とは関係ないところでずっと動いてくれている。」

「胃や腸の消化吸収だってそうだし、腎臓のろ過だってそうだ。」

「全身の細胞が一定サイクルで入れ替わっている(らしい)のだってそう。」

「思考を使っての自分の望む現実創りは、自分が意識せずとも自動的に常に働いてくれている、“見えないもの” があるからこそ安心してできる。」

 

そしてこの気づきにたどり着きました。

 

『思考を自分の幸せ創りに使えるように取り組んでいくことは僕にとってとても有意義なことだけれど、それにチャレンジできるのは、自分が決して意識してやっているわけではない、生きていく上で不可欠な事柄を、“見えないもの”が常にきちんとやってくれているお陰、って事実を決して忘れないようにしなくちゃ。」

 

見えないものへの感謝。

 

これを忘れるとバランスが崩れて、いろんなことがうまくいかなくなっちゃいそうです。

 

おそらくは今年の最後を飾る、“気づきのギフト” だと思って心に留めたいと思います(╹◡╹)

 

年末年始の「抱負」 

我が家は『W受験』。大切な家族の大きなイベントのこのタイミングで今自分が出来ることを最優先で考えたいなって思っています。

その上で、今年得られたたくさんの “気づき” を実践するために具体的に何をしていくのかをちゃんと「見える化」しようと思います。

 

入社した間もない頃、会社の先輩達が、僕についてこう言っていたという話を思い出しました。

 

「しんちゃは、全部気づいてる感じなのになぜかやらないんだよなぁ。他のやつらは気づけてないから仕方ないんだけど。ホント不思議なんだよな、、」

 

歳を重ねさすがに進化してますけど(笑)、でも僕の根っこにはまだその癖は残っているんです。

 

『ほんのりワクワク力養成トレーニング』

『「今ここ」を取り戻すリハビリトレーニング』

 

どんな “トレーニング” をやっていくのか、手帳に向かって、たまにはきちんと自分の手を使って文字を書きながら考えようと思います。

 

結果として、ブログ記事の投稿はちょっと少なめになるかもしれません。。皆さんの投稿された記事を読ませていただいてスターをつける楽しみは年中無休ですが(笑)

なので、念のため、年末のご挨拶をこの記事でしておこうと思います。

 

11月からブログ記事の投稿を始めて約2ヶ月。1ヶ月前は、50記事ぐらい書いて初めて読者登録をしてもらえるかどうかぐらいに思っていました。

そこからすれば、この1ヶ月で、まったく想像できなかった新しい世界が、僕の毎日の暮らしの中に生まれました。

今までの人生で経験したことのない、なんだか不思議な、“心穏やかにしてもらえるご縁”、に感謝の思いです。読者登録やスターでつながりを創って下さっている皆さん、どうも有り難うございます🍀

 

コロナ禍がいつまで続くかにかかわらず、

迎える新しいお年が、皆さんにとってハートフルでほんのりワクワクがたくさんのものとなりますようお祈りします♬

 

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コロナ禍の年の瀬に思う

こんにちは^ ^

今日の記事は、タイトルはこのままで行きますが、副題『唯一絶対の正しさがなくなる時代の始まり』みたいな思いを持って書こうと思います。

 

“コロナ感染リスクの高い人”

高齢者、それも高血圧や糖尿病を持っている人は特に高リスク、って言われていますね。

埼玉の実家で一人で暮らしてくれている僕の母は、まさにこれに該当しています。

数週間前、かかりつけの病院での定期診察でも、先生から、まさにこう念押しされて帰ってきています。

 

「あなたは、高血圧、糖尿病持ち。特に気をつけなくちゃダメよ!」

 

母は、特にコロナ禍に入ってからは、病院に行く以外はほとんど家にいて、テレビのコロナ報道という名のシャワーを毎日 “浴び続けて” います。

そんなこと、先生に念押しされなくったって、母は、すでにもう十分わかりすぎるぐらいわかっているんです。

もう十分すぎるぐらい気をつけて用心して過ごしているのに、先生にそんなダメ押しされたら、「気をつける」を超えて、「不安〜恐怖」の域に入ってしまいます。

母は人前では「私は何でもできるのよ。」「どんなことがあったって動じたりなんてしないんだから。」みたいな外ヅラをしてしまう性格なので、先生もきっと、「この人にはこれぐらい言っておいてちょうどいいぐらいだろう」って思ってのことだとは推測しますが、

でも先生、

「あなたの表現は刺さりすぎました。」

 

そして数週間前、母は僕に電話で言いました。

 

「コロナが怖いので今度の正月は来ないで。」 

 

そしてつい先日、僕と同様、東京に住んでいる妹に、母から電話が来て、開口一番、こう言ったんだそうです。

 

「寂しくてなんだか飛び込んでしまいたい気持ちになってしまったからたまらなく電話したの。」

 

 

先日した職場での会話  

奥さんが大阪出身の同僚との雑談です。

 

僕:「年末年始は大阪へは行くんですか?」

彼:「家内のお父さんがだいぶ弱っていて、親族みんなで顔を見せてあげられる正月も今回が最後じゃないか、って状況なので、子供たちは連れて行かずに夫婦だけで1月3日の日帰りか1泊2日で行こうかって話を家内としてるんです。」

彼:「東京から来た人間にあまり長く居られるのも、向こうの人たち、嫌がるでしょうしね、、」

 

僕が彼でもきっと大阪に行くだろうって思いました。「別格最優先」という自分の正しさを選んで。

 

せつないジレンマ

これまでの時代はずっと、マスコミから発信される “正解” を知り、その通りにしておくことが適切な意思決定であり行動である、という常識だったと思います。

でも、今回のコロナ禍でその “神話” は崩れたように感じています。

もしこのままずっとコロナが収束しない状態が続いて、それゆえ母にはずっと会えない状態が続いた場合、会えるのはきっと母の命に関わる「有事」の事態の時。

ということになった時に、僕は、それ以前のまだ元気だった母に会っておかなかったことを大きく後悔するんじゃないだろうか。

でも、、母が「怖い」って不安と恐怖を感じているのだから、強行して会いに行くわけにはいかない。

 

せつないジレンマ。

 

少なくとも、マスコミが日々連呼し続ける “唯一の正解” ほど単純な話ではないとしみじみ思います。

 

世の中に目を向ければ、いや、もはや目を向けなくとも感じられてしまうレベルで、もっと大きなジレンマがありますよね。

本来、稼ぎ時の年末年始に、また営業制約を求められている飲食店、旅行業界、レジャー業界、他。ここまで自助努力でなんとか頑張ってつないできていたとしても、今回はもうあまりに、あまりにキツいんじゃないでしょうか。 

 

「コロナ感染する前に、生活できなくて死んでしまうよ!!」

 

って状況に直面している人達がいたとして、彼らが生きられる可能性が少しでも高い選択、自分の家族を守るためにする選択に対して、「それは正しい」とか「それは間違ってる」とか、僕にはもうそういう判断をすること自体がとてもできません。

 

一方、医療関係者の方々の命がけの苦労も知っています。そこからすれば「自分が許容できる最大限の自粛を」って思います。

 

みんなが不安を解消して幸せを取り戻すための「唯一絶対の正解」がもはや見つけられません。

その通りに従っていればみんな幸せ、なんてのも全くをもってあるとも思えない。

 

せつないですね・・・なんだかやり場のない憤りも湧いてきます。

 

現況を客観的に捉えれば、“今の社会システムがみんなが幸せになれる前提で作られていない証し”、だと僕は思っていますが、こういう話は「せつない」からさらに下がって「ネガティブ」に落ち込むだけなのでこれ以上は深掘りしません。

 

長引くコロナ禍で僕が悟ったこと

「この通りにしていれば大丈夫です、安心です、幸せになれます」っていう、唯一絶対の正解があるかのような長い幻想の時代はきっともうおしまいに向かっているんです。

やっぱり、これからの時代は、「自分以外の人の正しさ」の存在を尊重しながらも、自分が実現したい幸せにつながっている「自分の正しさ」を自分の意思で選択して生きていくことが肝要になってくる、ってことなんだろう、って思います。

自分のその選択に必要なのは『自己責任』

このブログを始めて、僕はこの『自己責任』ということの深さを知りました。先が100パーセント見通すことができない時に自分が果たす覚悟をする責任、についてはまだ明確な答えは出せていません。もしかしたらこれはずっと答えが出ないまま、で、それでもその時に信じる選択をして前に進んでいくようなものなのかもしれない、って今は感じています。

この長いコロナ禍がなかったら、きっと僕はこんな気づきを得ることは出来なかった、って思います。陰と陽のバランス、という視点で捉えれば、コロナ禍の大きなジレンマや憤りをネガティブだとするなら、この悟りがそれに見合った、これからの幸せにつながる大きなポジティブ、ってことなのかもしれません。

 

ネガティブとポジティブの両方が見えている “まんなかの状況” で、「しんちゃくん、君はどちらを自分の現実として選択する?」

 

僕は、気づいたポジティブの方を選択することで、それによって輝きを増す幸せの光に向かって行きたいと思います。

そのためには、やっばり「自らの心のコントロール力の向上」が必要。

 

長いコロナ禍がもたらしたネガティブがくれたポジティブな気づきに対しては、あえて、あえて「有り難う」という感謝の言葉を置くことで、ネガティブの暴発を “封印するおまじない” にしておこうと思っています。

 

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