“緑色”的な僕のほんのりワクワクblog

ほんのりワクワクがたくさんの毎日を♪

薔薇 と 鳩

こんにちは ♪

5月から6月にかけて、菖蒲とアジサイの開花ピーク探索にあまりに注意が行きすぎて、旬の開花を見逃してしまった花、それは『バラ』なんです。

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バラの見頃時期については、読者登録させていただいているみーみー (id:mimi32222)さんの下掲の「旬のバラの写真満載の記事」を読ませていただいた際に思い出していたというのに・・・うっかりタイミングを逸してしまいました😵

※みーみーさん、いきなり言及通知が届いてびっくりさせてしまったらごめんなさい^^;

薔薇まつり~フラワーパーク~ - みーみー明日こそは

 

ということで、今日は、旬のタイミングは逸してしまったものの、フィナーレ直前に滑り込んで少し会えたバラについての “小さな記事” から始めたいと思います♬

 

バラ園のある無料公園を訪ねて!

今回、足を運んだ公園はこちらです。

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神奈川県・相模原市にある『相模原北公園』。

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地図の右側にある「花木園」とその左上辺りにある「ロックガーデン」が今回のターゲットエリアですね。

本来は地図の中央にあるアジサイ園が一番の売りの公園なのですが、数週にわたるガクアジサイ狩り疲れ!?もあってか、この日は心があまり踊らなかったもので、今日の記事でアジサイは取り上げません。

 

花木園は・・・こんな感じです。遠方に丹沢山系が望めるカット。バラがもう少し咲いてたらなぁ^^;

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ロックガーデンは・・・下の1つ目の写真のような感じですね。階段の両脇と中央にバラが咲いているのですが、近づくとやはりちょっと見頃過ぎ感がありました。

下の2つ目の写真のバラは『ひなあられ』って名前の札が差してありました。いい雰囲気ですね♬

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出会えて良かったバラの花5選

ということで、小さくまとめて参りたいと思います。順位づけはなしで、5つの力を結集頼みです(笑)

1つめのバラ

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『プリンセスミチコ』という名のバラです。美智子皇太子妃殿下(現上皇后陛下)に捧げられた1966年イギリス生まれのバラ。1ケ月半ぐらい前にテレビで観た、美智子様がまだ正田さんだった頃にテニスをされていたモノクロ映像の記憶が、この花のエレガントな装いに重なりました。

2つめのバラ

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『夢』という名のバラです。1994年に日本で誕生したハイブリッドだそうです。作者はどんな思いでこのバラの名前を付けたのでしょうか。この淡く優しいオレンジ(ですよね?)を見ているだけで、気持ちが和らいでくるような気がします☺️

3つめのバラ

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『レディローズ』という名のバラです。1979年ドイツ生まれのハイブリッド。枝数が多くて多花性とのことで、本来は全体を覆い尽くすほど咲き乱れるんだそうです。「バラを思い浮かべてください」って言われたら、幼少の頃からのイメージなのか、こんな感じの真っ赤なバラがまず頭に浮かびます ♪

4つめのバラ

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『サプライズ』という名のバラです。1989年ドイツ生まれのバラです。サプライズって、本番はもちろんいいけれど、相手の人がとっても喜んでくれることを想像しながら準備している時間が本当に幸せですよね☺️ 黄色いバラって、その時の気持ちにとってもマッチしてるなぁ、って思いました♪

5つめのバラ

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『ディズニーランドローズ』という名のバラです。2003年に、アメリカでディズニーランドのために生み出されたバラで、東京ディズニーリゾートを彩る花の主役も務めているそうです。が・・・、子供たちが小さい頃は家族でTDRへは年2〜3回行っていた僕だというのに、バラどころか花が咲いていた記憶が全くない。。。「いや、これは上の空だったんじゃなくて、ファストパスの取得やレストランの空席探しに全集中だったんです!」ってことにしておこうと思います^^;

 

生まれて初めて僕が見た“衝撃”。

バラの記事はこれでおしまいなのですが、、、この日、この公園で「生まれて初めて見たもの」があるんです。

この写真の枝に一羽の鳩がとまっているのが見えるでしょうか?キジバトという種だと思います。

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この鳩、しばらくすると鳴き始めたんです。その鳴き声は、子供の頃から、お休みの晴れた日のさわやかな朝のイメージがあるとっても良いものなんです♪

「その鳴き声は鳩」だと親から言われてずっとそう思ってはいたものの、実際に鳴いているところを目にしたのは初めてだったので、「ホントに鳩だったんだ・・」っていう小さな感動がありました☺️

ちなみにどんな鳴き声かというと・・・、

「ぽーぽー・ぽっぽー、ぽーぽー・ぽっぽー、ぽーぽー・ぽっぽー、ぽ。」って、子供の頃から僕にはそう聞こえていました。音階だと、おそらく、「ミ、レ♯・ラ、ソ♯」の繰り返しと思われますが、さっぱり訳わからなかったらごめんなさい^^;

 

その鳩が繰り返し鳴くうちに、同じ木に左の方からもう1羽、鳩が飛んできたんです。そしてしばらくすると同じ枝に飛び移って、この写真のように横並びに。

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ここで僕は気づきました。

「鳴いていたのはオスで、後から飛んできたのはメス・・?」

一瞬、何しにこの公園に来たかも忘れ(笑)、僕は2羽を注視。すると・・・・・

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うわ、な、なんてことでしょう・・・🤭

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その瞬間、僕は思わず顔を歪めて目を閉じてしまいました。。

 

ネットで調べてみたら、オスのその鳴き声はメスを呼び寄せる前の「縄張り宣言」なんだそうです。。

昔からずっと朝のさわやかさの象徴だった鳴き声が、まさかそういうことへの “プロローグ” だったとは。なんだか長年のさわやかな朝のイメージが急速に薄れた気分になって、意気消沈してしまったのでした・・・

 

思ってること VS やってること

ほぼ毎週末、僕は氏神様の神社に参拝した際、最後にいつも心の中でこう唱えています。

「生きとし生けるものが皆、幸せでありますように」

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生きとし生けるもの。

「これ、鳩だって含まれてるよね・・・」

 

事実は、自分が使っている “フィルター” を通して解釈されて自分の現実になる。

2羽の鳩を見ていた時に僕が最後に使ったフィルターは、少なくとも「生きとし生けるものが皆幸せでありますように」が入ったフィルターではなかったのですよね・・・

 

実は、この記事を書いているここまでのところでは、まだ「さわやかな朝のイメージ」はダメージを受けたままだったりします。。。

 

こういう望まない感情はこれ以上引っ張ってはいけない!

 

ビジュアルを使っての “おかげの魔法” で、ネガティブをポジティブにひっくり返すチャレンジをします!!✊

 

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3分ぐらいずっと見ながら思いを巡らせていたら、いらない感情が、なんだか “溶けてきた”感じがしてきました・・・。

 

娘たちが生まれてきたばかりの頃を思い出し、その頃感じた無限の幸せな思いが大きく膨らんで、鳩たちを包み込んだような気がしてきました✨

 

生きとし生けるものみんな、そんな風にずっと命をつないできたんですよね😌

 

“応急措置”としては成功したみたいです♬

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ふと、10代の頃に好きだった、フォークデュオグループ「風」(僕の記事で2回目の登場)のある曲の歌詞の一部が頭に浮かんできました。

写真に写るときの君は
いつも目をつぶっていたね
きれいなものだけを見てたかったんだね

(『3号線を左に折れ』作詞・作曲:伊勢正三)

 

10代の頃に聴いていた時は何も思わなかったけれど、今、この歌詞を見ると、昭和の男ならではの別れた彼女に対する上から目線、のように感じられなくもないですね。。。^^;

 

目をつぶったっていいと思うけど、同時に “心の目”までつぶってしまう人にはなりたくないな、って思います。

生きとし生けるものの幸せを自然に願える人は、きっと “心の目”はしっかり開けている人に違いありません。

僕が、生きとし生けるものの幸せを自然に願える人になれるにはまだしばらく時間がかかりそうだけど、少しでも近づいて行きたい。

地球から “生かしてもらっている” ちっぽけな身だからこそ、その有り難さに少しでも応えていくために、もっと『俯瞰力』を上げて行きたいんです。

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その道につながる小さな次の一歩として、「第一印象で決めつけて、“心の目”を閉じてしまわない」ってことを意識して生活していく、ってことを、2021年前半、最初で最後の「バラをめぐる散歩」での気づきにしようと思います(╹◡╹)

 

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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

タイトルの記事内容としてはこれでおしまいなのですが、今日の記事の結びは、あちらこちらの公園を約1ヶ月渡り歩いてなんとかゲットできた「ほぼ満開の今年の菖蒲」の写真7選で参りたいと思います。スルスルッってご覧いただけると幸いです♬

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最終的に、「菖蒲をたずねて公園」は、「菖蒲をたずねて延べ11公園」となりました。

ホントによく歩きました(笑)

また来年。ですね☺️

 

 

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映画『いのちの停車場』は静かに問われ続ける作品でした。

こんにちは ♪

先日、『鬼滅の刃』以来約半年ぶりに映画館に足を運んで映画を観て来ました😊

『いのちの停車場』という、吉永小百合さん主演の作品です。タイトルからすぐお察しいただけるように、エンターテイメントではなく、ヒューマンドラマですね。

今日の記事は、この映画を観ながら感じたこと、考えたことについて、前半:やや?脱線気味、後半:本線を爆走!?って感じでつづりたいと思います。

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※当写真は下掲の公式サイトから引用しています。

映画「いのちの停車場」公式サイト

 

吉永小百合さんの思い出。

まずは主役の吉永小百合さんのことを。

僕が吉永小百合さんのことを知ったのは、大学生の頃、深夜にテレビ放映していた映画でした。

確か、映画の題名は『愛と死をみつめて』。

YouTubeを検索してみたら、日活さんの公式チャンネルになんとこんなに古い映画の予告編を見つけました!

愛と死をみつめて(予告篇) - YouTube

僕はこの映画での小百合さんを見て、「眼帯をしていても、こんなにも美しさが際立つ人っているんだ・・・」って、その作品の衝撃度と相まって強く魅入られてしまったのでした。

ちょうどその頃、新宿の歌舞伎町のオールナイトで、小百合さんが出演した日活の青春映画が4本立てぐらいで上映されているのを情報誌で見つけ、計2、3回ほどでしょうか、そのオールナイト上映を観に行きました。

この時のことを思い返すと、2つのことがおぼろげな記憶として残っています。

ひとつは、自分が生まれる前の昭和30年代に撮られた映画の中で生きている人たちの存在が、なんだかとっても不思議に感じられたこと。

そしてもうひとつは、夜の新宿・歌舞伎町が、ド埼玉県人でまさに右も左もほぼわからない僕にはホントに怖かったため、ものすごい早歩きで映画館まで目指したところ、どうやらそのスピード感はその時間帯には不自然に目立ちすぎていたようで、毎回、複数の呼び込みのお兄さんから声をかけられたことでしょうか。。。そのうちの1人なんか、僕の早歩きのスピードに合わせて横に並んでずっと早歩きしながら「どうですか?どうですか?」って口説いてきました😵

きっと、からかわれていたのでしょうね😣

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映画の紹介

これは、公式の(サイト&動画)さんに全面的に委ねますm(_ _)m

映画「いのちの停車場」公式サイト

【ストーリー】※上掲の公式サイトより引用。

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【予告編】

映画『いのちの停車場』本予告1 - YouTube

 

鑑賞中に頭に浮かんできた“枝葉”。

①ホントにただただ枝葉なこと 

この日は映画の序盤あたりまで、なんだかいつになく集中力散漫だったかもしれません。。

枝葉その1

東映映画の始まりの「打ち寄せる波」の映像。

「なんだか古い画質に感じるけど、これって僕が子供の頃に観に行った『東映まんがまつり』の頃からずっと不変ではないよね🤔」 ← 不変ではないようです

枝葉その2

「広瀬すずちゃん、テレビも映画も最近ホントによく出てるな。オーバーワークで倒れなきゃいいけど。。」 ← 娘を持つ父親ならではの心配でしょうか

枝葉その3

「松坂桃李くん、いい役者だな。数年前に樹木希林さんと共演していた『ツナグ』っていう映画が印象的な作品で、確かこの映画の続編を今年ぐらいにやるような芸能ニュース記事を見た記憶があるんだけど、早くやらないかなぁ。」 ←脱線しすぎ(><)

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②枝葉だけどちょっと有意義なこと

枝葉の中ではこれが最もマシです(笑)

「小百合さん、70代後半には全く見えない。救命センターの現役医師って一体何歳の設定??」

この若さは、遺伝とかいうよりも、きっと心の持ち方とか生活習慣の賜物なんだろうって思って、映画鑑賞が終わってから調べてみました。

みつけました! 答えになるような記事を書いてくださっているブログを。

吉永小百合さんの健康法 | (^^♪ 楽しく綺麗に健康に~健康のお店・エポック - 楽天ブログ

上掲のブログから引用させていただきます。

吉永流の健康管理

  1. 毎日からだと会話するようなイメージ。自分のからだの声に耳を澄ませるようにして体調を整えている感じなんです。それに、私は、元々からだを動かすことも、野菜を沢山食べたりすることも好きなんですよね。週2回のジムと、たっぷりの野菜が秘訣。
  2. 野菜は、旬のものを中心に摂っています。忙しい時ほど、からだは野菜を求める気がします。
  3. 健康な体は、小さな努力の積み重ねで作られるものだと思うんです。毎日のひとつひとつを大切にしていくこと。ムリをするとすぐに辞めたくなってしまうから、まず好きなこと、できることから始めればいいのではないでしょうか。それに、大切なのは、いつまでも好奇心を持ち続けていくこと。私は旅が好きなんですが、長い休みがとれたら、自然が豊かな土地へ旅行に行きます。そんな風にして、いつも好奇心や、夢を抱いている人間でいたいと願っているんです。

やっぱり “賜物” でした(╹◡╹)

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問われ続けたから考えた。

さて。考えたことで湧いてきたことを文章にしたいと思います。

①どのドラマの主役にも敬意を。

全ての人の人生においては、どの人も例外なく、自身のオリジナルヒューマンドラマの唯一の主役。自分も周りの人もみんなそれぞれのドラマの主演俳優。そのドラマのストーリーや演技力に共感するかどうかはそれぞれの好みの世界、でいいとしても、主演俳優として身体を張って演技し続けていることへの敬意は、僕らみんながお互いに持ってもいいんじゃないか、って思いが湧いてきました。

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②誰の人生にも必ず終わりがある

自分にも自分が愛する人にもいつか必ず。それがいつ来るかはわからない。そんな中で確かに存在しているのは “今ここ” の時間だけ。“今ここ”を慈しんで大切に生きないときっと “その時に” たくさん後悔することになるんだ、って、あらためて思いました。

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③自分の命の扱いは自分で決めていいのか

これは、「患者の生き方を尊重する医療」における究極の視点だと思います。

昔、こんな考え方を聞いた(読んだ?)ことがあります。

「自らの意思で生まれてこれなかったのだから、自分の人生、せめていつどうやって最期にするかぐらいは自分で決めたい」

 

一方、ちょっとスピリチュアルなこういう考え方も聞いた(読んだ?)ことがあります。

「人は皆、陰陽で成り立つこの世の多様な変化を体験したい!その経験を通じて魂を成長させたい!って自ら切望して“見事当選し”、この世に生まれてきている」

 

なんの根拠もないのですが、僕は「生まれたい、って自分が希望して生まれてきた」という考え方を受け入れています。

だから、こんな考えが湧いてきます。

陰陽ゆえの喜怒哀楽の変化にあふれるこの世であることを承知の上で、「それを体験するために生まれたい!」って手を挙げて生まれてこさせてもらったのだとするのなら、願いを叶えてもらった責任があるので、自分の人生の最期のタイミングを自分で決めてしまうことは、 “試合放棄” という、良心に反する行為。超高倍率の応募者の中で?僕を “当選” させてくれた “神様(あるいは万物の創造主に相当する存在)” を裏切ることになる気がする。

でも・・・

もし、自分が生き続けることが自分が愛する人たちに大きな負担をかけることになっている、あるいはそうなってしまう状態下に至っていると認識した時には・・・僕は、“あの世に行ってから厳罰を受けるかもしれない” ことを覚悟した上で、自分の愛する人にかける苦労を回避したくて、 “試合放棄”を選択しようと思うかもしれない気もしてしまうのです。

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この問いはあまりに難しすぎて、唯一絶対正しい答えなんて、今はとてもみつけられそうにありません。

結局、僕らができうることと言えば、「期間限定の人生を満喫すべく、何はともあれ“今ここ”をちゃんと生きるよう努める」ことぐらいないんだろう、って考えに帰着してしまいます。ただ、この実践がとても難しいのですが・・・・。それでも、唯一絶対正しい答えを今みつけることの難度に比べればずっと容易いことなのかもしれません。

 

僭越ですが“推薦文”を。

今回のこの映画は、節目節目で眼が潤んで周りの人にバレないようにハンカチを、ってことはもちろん何度もありましたけど、しかし、我ながら本当に意外にも、映画の宣伝コピーにあるような「大号泣」には至りませんでした。

 

それはどうしてだったのかな・・・。

 

やはり、「問われ続けたから」でしょうか。

自分事として「自分ならどうする」って常に問い続けることを促すようなストーリーだったからだと思います。

 

映画のラストシーンでは、「この先どうなるのかは、どうぞ、あなたが考えて創ってください」って委ねられた感じがしました。

大切なのは、唯一絶対の正解探しではなく、私にとっての正しさは何か、を自分事として考え、その結果たどり着いた正しさを信じることに対して自身で責任を負う覚悟を持つことなのかもしれません。

 

『いのちの停車場』。

生きる上でのなんらかの示唆を求めている方、示唆とかは別にいらないけど「人間っていいな」「人生ってささやかだけどなんか素晴らしい」って感動を味わいたい方、あるいはその両方を望む方にはオススメの映画だと思います☺️

映画『いのちの停車場』本予告2 - YouTube

 

 

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『ガクアジサイ 名所の陰に 穴場あり』

こんにちは♪

数えると字余り、唱えれば75調ばっちり!?の、深みのない割によくわからない一句(笑)をタイトルにしてみましたが、今日の記事は、先日見つけた、ガクアジサイ鑑賞の “穴場” に「再度」足を運んだ日のことを記事にしたいと思います😊

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では名句!?の解説を。

名所とは、先月、菖蒲めぐりで足を運んだ、菖蒲の名所、『堀切菖蒲園』のことです。

そして穴場とは、堀切菖蒲園に向かう『小道』のこと。以前の記事の中で書いた、“個性的で素敵なガクアジサイ達” に偶然出会った場所です。

僕は、その小道沿いに咲いていたガクアジサイの “キレッキレ感” が忘れられず、その穴場に点在して咲いているガクアジサイにもう一度会いたくなって、再度、この地に足を運んだのでした♬

 

穴場に咲くガクアジサイ♬

ここがアジサイの咲く小道に続く道路の入り口です。

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こんな感じで舗装のあしらいが変わり・・
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下の写真はもう小道の出口なんですが、この小道ではこんな感じで、時折、道の両側にアジサイが出現するのです。

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では、その小道に咲いていたガクアジサイの写真をアップします。スルスルスルっとスクロールいただき、彩りに富んだ個々の存在感をご覧ください♬

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見た目の多様ぶりがすごい♬

この小道に咲くアジサイは、7割以上がガクアジサイだったように思います(╹◡╹)

 

名所の中にも少しだけ♪ 

小道の出入口からすぐのところに、菖蒲の名所、『堀切菖蒲園』はあります。

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少しだけですけどガクアジサイも植えられていました。小道のアジサイ同様、見ているとなんとなく表情を緩めてくれるような雰囲気がありました ♪

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“失敗”転じて福となす♬ 

最寄り駅までの戻りも同じ小道で帰ろうと思っていたのに、どうやら1本、入る道を間違えてしまったようで、駅の近くの通りに出て初めて、それを確信し、「あー、やっぱり道を間違えてたんだ・・最後にもう一度、小道のアジサイ、見たかったのになぁ、残念。。」って思いながらも、あきらめて駅の方向に歩き始めました。

 

しばらく歩いていると。

 

目の前にいきなりこの光景が。

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「うわ、すごい!」

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これはまさに「一面のガクアジサイ」🤭

「ここは何?」と回り込んでみると。

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僕の口からは思わずこの一言が。

 

「すごいぞ、ほりきりん!」

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ふつうの小さな公園でこのボリュームはホントにすごいです。この街に住む方達の、ガクアジサイに対する思いの強さを感じました。

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一足伸ばして上野へ🚃

堀切菖蒲園の最寄駅、「堀切菖蒲園駅」は、ざっくりわかりやすく言ってしまうと、東田を結ぶ京成線の駅です。そしてこの路線の始発&終点が「京成上野駅」です。せっかくこのエリアまで来たので、上野公園の不忍池にも行ってみることにしました。

 

『不忍池』。蓮の花が開花シーズンの7月になると、ここの景観はなかなかの迫力なんです ♪

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池の周辺に咲いていたガクアジサイ。男の子と女の子、ってイメージでしょうか^ ^  「緑の葉との一体感がいい感じだな♪ 」って感じながら撮影しました😊

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西洋アジサイ。ガクアジサイ派の僕も思わず惹かれるカラフルさ、に撮影したくなりました😊

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この日一番心を惹かれたのは💘

不忍池のほとりで咲いていた、こちらのガクアジサイです♬

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友人にこの写真をメールで送って見せたら、「頬を染めた少女」という素敵な形容をしてくれました☺️

 

ただ、“このガクアジサイ” について調べてみたのですが・・・このアジサイ、“ガクアジサイ” ではなくて、どうやら『ヤマアジサイ』という原種の「くれない」という種みたいです😵

真ん中にある本来の花の部分を、花みたいな装いの葉が額みたいに囲んでいる外観なんだし、これも『ガクアジサイ』って名前でいいのに🤔、なんて、わがままなことを思ってしまいました(笑)

 

さらにお勉強しました✍️

今回の “ガクアジサイ狩り” 中に湧いてきた問い。

 

「アジサイって、それにしても見事な色合いの多様さ。この色の違いは全て種の違いなのかな??」

 

僕は帰りの電車の中で、このワードでスマホ検索。

「アジサイ」「色」 

 

わかったこと。

「アジサイは、育った土壌によって色が変化する」


同じ株の花でも、育った土の酸度とアジサイに含まれる色素の兼ね合いで、ピンクや紫や、あるいは鮮やかな青色になったりするそうです。

そしてこれは「周知の有名な話」とのことで・・・

僕はこれまでそんなこと全く知らなかったので、「えー、そうなんや〜・・・🤭」でした^^;

 

アジサイの発色は「アントシアニン」っていう色素によるものなんだそうです。この「アントシアニン」って眼にいいって言われるサプリとかに入っている成分ですよね。

そして土の酸度による発色の仕方は、大きくこの3パターンだそうです。

  1. 酸性が強い場合 →   青色
  2. 中性〜アルカリ性 →  薄紅色〜ピンク色
  3. 中性〜弱アルカリ性 → 薄紫色

発色の色自体を決めるのは、「土中のアルミニウム」の量の違いなんだそうです。土中のアルミニウムがアントシアニンと多く結合すれば青色になり、少ない結合だと薄紅色やピンク色になるそうです。

そして、アルミニウムは土中の酸度が高いほどよく土に溶ける一方、土中がアルカリ性だと溶けない、という特性ゆえに、前述の土の酸度に応じた発色の違いが生じるんですね。

ということは・・・

今回の住宅街の小道のような多様な色のアジサイは、望む色が発色するようにあらかじめ土や養分をきめ細かく選定して育て上げてきた人たちの思いと努力の結晶、ってことなのかな・・・

 

なんだか、一年に一度の花火大会で打ち上げられる花火の尺玉づくりみたいだな、って思いました✨

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『空白を埋める1ピース』最終話:“未知の世界”

こんにちは♪

今日の記事は、今年の3月中旬から4月下旬にかけてブログ断ちしていた計48日間を振り返る1話完結シリーズの最終回になります。

空白期間中に、“未知の世界” について感じ、考えたことについてのお話を書きたいと思います。

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“当たり前”が当たり前でない時は。

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4月24日(土)。花めぐりの散歩の中で感じた思いから、ブログ再開を決めた日の深夜のことです。

近年あまりテレビは観ないのですが、土曜日の夜だけは少しだけ夜更かしをすることがある僕は、テレビのリモコンを片手にチャンネルをグルグル回していました。

その時に偶然、“彼”が珍しくインタビューを受けて話しているシーンを目にしたことで、チャンネル回しをやめてなんとなく見始めたテレビ番組。

 

『FOOT×BRAIN』というテレビ東京のサッカー番組でした。

そして、その“彼”というのは、元サッカー日本代表の、愛称 “ヒデ” でお馴染みの中田英寿 氏です。

現役時代のマスコミ嫌いのイメージが僕にはとても強く、長時間のインタビュー対談に出演して話していることがなんだかすごく特別に感じられ、なんとなく録画ボタンを押して視聴を始めました。

中田氏は、現在、日本酒や伝統工芸などの日本文化を広めるイベントやその情報発信する会社を起こしてビジネスを営んでいるのだそうです。

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※上記写真はイメージです。

このインタビュー番組の中で、「これまでの人生で環境が変わることに対する不安とか迷いはなかったのか?」と聞かれたことに対する中田氏の答えが、僕にとって最もこころを刺されたものでした。

そのコメントを録画から書き起こして引用したいと思います。

初めて映画をやるとか、初めて違う国の人と仕事をするとか、自分のやっている分野の中でも初めての環境っていろいろ出てきますよね。

僕の場合も21歳でイタリアに行きましたが、それを怖いと思って行きますか?、というのと同じことですね。

どの分野であろうが、違う環境に身を置くということはそういうこと。自分の常識は通じなくなる。でも通じる部分もある。僕はサッカーをやってきたけど、サッカーだけをやっていたわけではない。そこで学んだことは他の分野でも生きる。

僕は小さい頃からそうやってきたから怖いは思わないですよね。
 

“小さい頃からそうはやってきていない”僕には、中田氏にとっての、いや、おそらくは多くの人にとってのその “当たり前” が、残念ながら “当たり前” にはなっていないことに気づかされました。

 

ずいぶんと “出遅れてしまった” そんな僕が、新たな変化に踏み出して行くために一番必要なこととは、もはや理屈ではなく、「えーい、もうどうなってもいいわ。飛び込んでしまえ!」ぐらいが最適なのかもしれない。

それに加えて、「先が見えない=不安」、という、自分の中の “辞書登録”を、「先が見えない=ワクワク」上書きできるまで、何度も繰り返しクリックし続ける”ことも必要なのかもしれない。もしどうにも上書きできない時は、「先が見えない=不安」の下に②として追記でもいい。

 

“こころの中の笑顔の鳥”

ブログ断ち期間中、僕はこの動画を何度か視聴していました。

Official髭男dism - Laughter[Official Video] - YouTube

 

Official髭男dismの『Laughter』という曲です。

昨年の夏の長澤まさみさん主演の映画主題歌です。

この曲の存在を僕に教えてくれたのは、今春よりnoteにブログ運営の軸足を移し、自身の夢を叶えるために “今ここ” をがんばっていらっしゃる、まるこさん(id:nanosinoke) です😊

 

Laughter=ラフターとは 「誰のこころの中にもいる笑顔の鳥の名前」だそうで、この曲は、「夢の実現に向かって新しい世界に踏み出すまでのこころの中を描いた曲」だと、僕は理解しています。

以下に、特に感じるところのあった、2番の歌詞だけ引用させていただきますね。


『Laughter』

歌:Official髭男dism 作詞・作曲:藤原聡

本当の正しさってものを 風の強さに問い詰められて 行くべき道を逸れて 他の鳥の航路へ迷い込むこともある

乱気流の中でさざめく 光の粒を探して ほら たとえ紛い物だったとしても 自分にとっての正しさを創造してみるよ 大事にするよ

人格者ではなく 成功者でもなく いつでも今を誇れる人で在りたい そんな希望抱き 未来図を描き 手放さず生きていたいだけ

現実は見えますか? 保証はできますか?

YesもNoも言えずに答えに詰まっていた過去を 背に乗せたラフター 予想を覆した

ゴールや距離ではなくて 絶えず響いていた声こそが 孤独な夜にサーチライトにしてた あの光だった 今やっと気付いた
 

 

僕のこれまでの人生は、大きな変化が何度か「望んでいないのに突然やってきて」、その「突然やるハメになったこと」に顔色を変えながらも、  “なんとか乗り越えて” きています。そして、それらの経験は全て、今の幸せにつながっている、という確信も得てはいます。

だから、決して、“未知の世界” に無縁なわけではありません。

ただ僕には、うまくやれる確信のないところへ自分から飛び込んだ経験」というのが、ないように思うのです。

 

これから、自分としては “未知の世界” レベルと感じられることに “初めて自分の明確な意思で” 飛び込もうとしているのですが、それは、僕の “こころの中にいる鳥” が本来の笑顔になれるからなのか、それとも、理屈で考えた “思考” が決めたものなのか、あるいはどちらかのウェイトが高いのか、実は、自分でもはっきりと確信はできていません。

ただ、僕の中の “鳥” は、こんな風にささやいている気がしました。

「期間限定の人生の中に、“やるハメになったから仕方なく未知の世界へ” だけでなく、“自らの意思で飛び込んでみた未知の世界体験” もあると、“あぁ、あの時、思い切ってあの経験もしておいて良かったなぁ☺️”って、いつの日か人生を振り返った時に思えるような気がしない?」

 

それに、僕にはとても大切な これ もあります。

 

あらかじめ勝算を確信することができない、先が見通せないところに、わざわざ自分の意思で飛び込むことで、きっと「恥をかきまくり」「出来ない自分に何度も落胆する」感情を何度も経験することになるのかもしれません。

それでも。

“鳥” が言うように、そんな経験が、自分の「人生録」に少なくとも1ページぐらいはあってもいいじゃないか。

 

こんな気持ちになれたのは、長引く不自由なコロナ禍において、人生が有限であること、がしっかり感じられるようになったことも大きいように思います。

 

“やるハメになった” 未知の世界と、“自分の意思で飛び込んだ” 未知の世界での感じ方にはきっと違いがある気もするから、それを実際に確認してみたい。

そしてもちろん、今の僕が想像できる以上の、ワクワクが待っているかもしれない、っていう期待もあります🍀

 

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以上でブログ断ちの48日間の空白を埋める最後のピースのお話はおしまいです。

 

ブログ再開から1ヶ月余りが経ちました。

実は2週間ほど前に、今日の記事で書いた、「えーい、飛び込んでしまえ!」スタートボタンは押しました。

この “未知の世界チャレンジ” は、7月半ばからスタートし、最短だと来春がゴール(一区切り)です。

いわば “人生初体験” となるこの機会を、“今ここ”にちゃんと気持ちを置いて満喫することが最優先。

そして、その体験で得られることが、これからの人生のほんのりワクワクをもっと拡げることにつながる可能性を信じて、地にちゃんと足をつけて1日ずつ、と心してやっていくつもりでいます。

 

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【再投稿】「情報」というものについて僕が知っていること

こんばんは♪

週末限定ブロガーゆえの本日のタイムリミット、あと数時間となっておりますが^^;、先ほど風呂で頭を洗っている最中に、ふと、「あの記事、少し加筆修正した上で再投稿しよう。」って頭に浮かんできた、自身の過去記事があります。

いつものスイッチオフ状態ではなく、半分オンの状態で書いた数少ない記事です。

再投稿すると当時のスターが消えてしまうのですが、自身の過去記事はスクリーンショットで撮影してスマホのメモ(と頭の中)にちゃんと残してありますので、当時その記事にスターをつけてくださった方、どうかご容赦下さい🙇🏻‍♂️

尚、元の記事は昨年の11月30日(月)の投稿なので、一部当時の古いニュース情報が出てきますが、それはあまり重要ではないので校正をかけずに参ります。

社歴30年余りを通じて僕が確信している、「情報というものについて」の認識のお話です。

結果として昨日からの連投になりますが、よろしくお願いします(╹◡╹)

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

こんばんは ♪

今日は自分のここまでの会社キャリアを通じて知った、「情報」に関する話を書こうと思います。

なんだかいつもより文字が増えそうな予感(^^;

 

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なんと「結論」が先にありき

企画は“アイデア”から始まる

僕の会社キャリアは、入社してから5年ほどは営業職でしたが、それ以降は今に至るまでずっとスタッフ職です。スタッフ職期間の前半がマーケティング、そして後半が今現在に至るまで人事労務系です。ざっくり言えば、いずれの職も「情報を分析した結果を以て新しい行動を社内外に提案する」ことが共通点の仕事です。

こう書くと、情報を分析しつくしてみて初めて提案することが決まってくるかのようですが、実務の実態はちょっと違ったりします。 

 

実は先に結論があることがほとんどなのです。

正確には「結論(案)」ですね。

この「結論(案)」は、いわば、提案者自身、所属部署の上司、あるいはもっと上の階層レベルの人が抱く「こうなったらいいな」という、意図的あるいは感情的な想いみたいなものです。もちろん、各々の人が既に持っている多くの知見から思いつくものだったりもしますから、全く非科学的だったり非常識なものだったりすることは少ないとは思うのですが、それでもその段階ではまだ「アイデア」というカテゴリーに属する性質のものじゃないかって思います。

 

上司と部下の禅問答。

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僕がまだ20代の頃のずいぶん昔の話ですが、最初に所属したマーケティング部署の上司(東大卒)が僕に説明してくれたことがあります。

 

「いいかい、企画っていうのはな、うまく言葉で説明できないんだけどさ、なんていうか、結論が先にあるんだよ。」

「でな、その結論を、データでちゃんと説明できるか検証していって、説明できるストーリーがちゃんとできればその結論で行けるって思って進めていいんだ。でも説明できるストーリーが作れない時は、その結論は使えないってことなの。わかるかな??」

 

この話をしてもらった時の僕は、市場調査データの渦に飲み込まれてしまっている真っ只中で、「もう何が自分の考えなのかわからない!」とか発して苦悩していた状態。説明してもらった意味はまったく理解できませんでした。

そもそも当時は、「マーケターとしての誠実な仕事とは、いかに情報データを “正確に” 読み取ってそこから “唯一絶対の正しい” 結論を導き出すか」だと信じていましたし。。

上司は、

「そっかぁ、まだちょっと今はわかんないよな!まぁそのうちだんだんわかってくるから(笑)」

という言葉で場を締めて席を立たれたのでした。 

 

実際、その時に説明をしてもらったことの意味を僕が実務の感覚としてなんとなく理解できるようになったのは、それから5年以上も後のことです。

 

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情報とは「多面体」だと思う

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懐かしのルービックキューブ。僕が高校生の時に流行りました^ ^

情報っていわばこのルービックキューブみたいなものだって僕は思います。

このキューブは六面体ですけど、要は見る角度によっていくつもの面があるということです。

どの面から見てもそれはキューブであるという事実に変わりはありませんが、その特定の面はあくまでキューブの一部分であって決して全体を正確に表しているわけではないんですね。

さらにもうひとつ。

キューブには同じ面の中にも複数の色があります。どの一色をとっても間違いなくキューブの構成要素であるわけですが、これまた特定の一色では決して全体を正確に表すことはできません。 

 

つまり・・・情報っていうのは、見る角度や位置あるいは見る大きさを変えることで、まるで別物のような顔になりうるものなのです。

 

「結論が先」×「多面体」=?

仕事とは限られた時間で成果を出す生産性が求められます。仮に毎日午前様で働いたとしたって、人間はずっと寝ないで働くことはできないわけで、やはり時間の制約はあるということは働く前提なんだと思います。

見る角度や場所によって無数に正しさがある性質を持つ情報の総体から「唯一絶対的な正しさを導き出すぞ!」なんてやっていたら、昔の僕のように情報の渦に飲み込まれてしまってオシゴトにならなくなってしまうわけですね笑

だから先に、いわば  “仮羅針盤” みたいな位置づけで「結論(案)」を据える必要があるのです。

その「結論(案)」が有効が無効かを検証するという視点で臨むことによって、無数の顔で構成される情報に飲み込まれることなく効率的に分析・考察を進めることができるわけです。

「結論(案)」を思いついた時には、たいがいの場合、それとセットで「なぜそれなのか」ということを説明するストーリーのイメージも一緒に頭に浮かんできます。「仮説」って言えばいいですかね。

「結論(案)」を実行に移していいものなのかどうかを検証する作業というのは、ある意味、情報の総体からこの「仮説」の正しさを証明できそうな特定の面、あるいは面の中の一部分を切り取ってきて、「なるほど!」って多くの人に思ってもらえそうなストーリーに組み立てるような感じです。それがうまく作れない時は、その「結論(案)」はボツ。

切り取ってきたものはどれも情報の総体の構成部分だったものなので「決してウソではない」わけなんですけど、でもちょっと乱暴に言うと、“都合の良いところ” だけ切り取って組み合わせた感じもあるので、その時点で “新たな価値を持つ別物” に変わってしまったりすることも起こりうるような気がするな、って僕はいつの日からか感じていました。

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僕が気づいてしまった “ちょっと怖い” こと

さらに気づいたことがあります。

それは、情報とは、その気になれば、「自分が意図する結論は絶対的に正しい」という見せ方にいかようにもあしらえることができる、ということです。

ちょっと大げさかもしれませんが、白を黒にすることですら、情報の切り取り方や組み合わせ方、あるいは不都合な部分にはあえて触れないようにすることによって、嘘をつかずとも多くの情報の受け手に「それは黒だよね」って認識してもらうことができうるほどの性質を持つものだと思うのです。

僕にはそこまでのスキルはとてもありませんが、極めて頭脳明晰な優れた人であればおそらくそんなこともきっと容易にできてしまうんじゃないかって思います。それが「情報」というものが持つ性質です。

それゆえ、情報を作成して発信する立場の人には、「良心」がとっても大切だと思うのです。

 

最近一番の気になる “情報発信”は・・

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やはり、、「コロナ感染者数」報道です。

本日の陽性者数「全国1,402人」、先週の半ばあたりで全国感染者数「累計14万人超」って報道を目にしました。

今春からずっとそうですけど、明らかに欠落している情報があります。

  1. 母数は?(何人が検査したの? 率は?)
  2. その人数ってどんな規模感なの?(インフルエンザの年間感染者は毎年1,000万人を超えてるらしいけど)

 

社内の企画提案で、もし、企画キャリア3年以上の社員がそんな欠落のある提案を連発したら、その人は次の人事異動で部署から放出されます。

情報作成・発信をする上ではそれぐらい基本中の基本のことなのです。

報道に携わる人たちは頭脳明晰な優秀な人ばかりでしょう。そんな基本事項を、それも皆が皆、失念するはずがありません。

僕はこうとらえています。

「それらの基本情報は、少なくとも “実現したい結論” からすると触れない方がいいって判断されている事実なんだろうな。。」

 

僕らにとって大切なこと

このコロナ感染者数報道について言えば、その報道が “実現したい結論” が何であるのか、ということは僕らにとってはあまり重要ではないんじゃないかって思っています。憶測したところで誰もほんのりワクワクできそうにもないし。

大事なのはこれだと思っています。

  • 情報というものの持つ性質を知っておくこと
  • マスメディアからの情報だからという理由ですべて鵜呑みにせず、ちゃんと自分の頭と心を使うよう意識すること

なぜこれが大事かはこの2つです。

  • 不安と恐怖で免疫を落とさないため
  • 不安と恐怖の強いパワーに引っ張られて、幸せを選択しやすい “ポジティブとネガティブの両方のバランスがとれる真ん中あたり”の心の位置を見失わないため

 

バランス修正。。

月曜の夜に書く記事にしてはちょっと根を詰めすぎてしまったようで、思いの外、疲れが・・・笑

記事のタイトルには全く関係ないんですけど(^^;、今日の記事はこれでクロージングさせてください。

 

昨夜の夕飯で、陶芸2作品目の『しゃぶしゃぶとかのタレ入れ』、やっとデビューしました♬

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平穏な幸せをありがとうございます(╹◡╹)

 

※2021.5.30追記:陶芸は今年の3月で休会しています。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

再投稿の本記事は以上になります。

僕がなぜこの記事を「再投稿しようと思ったか」は書きませんので、人の数だけ正しさはある、ということで、何か感じていただけたら幸いです(╹◡╹)

 

大変!帰りの鐘まで残り2時間を切ってる🤭(笑)

 

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菖蒲をたずねて8公園。

こんにちは♪

当初、今日の記事は「空白を埋める1ピース:最終話」にする予定でしたが、先に書きたいテーマが出来てしまったので、「最終話」は次回に先送りにして、その “旬なテーマ” の方を先に綴らせていただこうと思います♬

タイトルは、『菖蒲をたずねて8公園』

ホントにどうでもいい蛇足ですが、このタイトル、リズム的には『母をたずねて三千里』をイメージしています・・^^;

 

今年は桜の開花が10日ぐらい前倒しだったことに引っ張られて、以降、5月上旬の花まで開花前倒し、「ゴールデンではない長期連休」は、例年5月半ばぐらいである新緑が前倒しになった感じで、なかなか見頃の花に会うことが出来ませんでした。

だから、僕はこう推測しました。

「例年6月頭からの菖蒲シーズンも5月にかなり前倒しになるはず!」

今日の記事は、その予測の下、菖蒲をたずねて歩き回った、5月の散歩のお話です。

 

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本日の記事の構成

起承転結ならぬ、結起承転、で参ります。各章のバランスとイメージを見える化すると、こんな感じになるでしょうか。。

😵😅 → 起☺️ 承😉 → 転🤭✊

 

:読み、外れる。

5月に足を運んだ公園は、菖蒲の名所と言われている、以下の都内8公園(菖蒲園含む)です。

①浮間公園(東京都板橋区)

②石神井公園(東京都練馬区)

③善福寺公園(東京都杉並区)

④堀切菖蒲園(東京都葛飾区)

⑤堀切水辺公園(東京都葛飾区)

⑥水元公園(東京都葛飾区)

⑦北山公園(東京都東村山市)

⑧小岩菖蒲園(東京都江戸川区)

 

結論としては、

残念ながら開花率は最多で20%ぐらいでした😵

通常ならネット検索すれば、「現在の開花状況」なるものがアップされているわけですが、コロナ禍ゆえの自粛でリアルの情報が公開されていない中、「わざわざ管理事務所に電話確認までしなくとも、大外れなどないだろう」との楽観でのスタートからの勢い(意地!?)で8公園目までたどり着いてしまいました^^;

 

:心が動いた風景

と言うことで、本日の記事を菖蒲メインで書くのはちょっとキツいのですが、しかし、通算8箇所も行脚したので、幸いなことに、菖蒲に限らず心がほんのりした風景には出会えました^ ^

ですので、この「起」の章では、

『心が動いた風景 TOP5』と銘打ち、その風景を、ささやかなご説明を添えてご紹介したいと思います😊

 

では、第5位からさかのぼって参ります♪

 

第5位

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板橋区・浮間公園での1風景です。この日は雨だったのでちょっと暗めの写真になってしまいましたが、うっすら見える紫色の花はカキツバタです。

奥に見える風車が何なのか確認し損ねましたが、なんだかヨーロッパのどこかにありそうな風景に感じられませんか?😊

第4位

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練馬区・石神井公園の1風景です。手前の木製のベンチですが、この公園にはとても広い池の周りをこんな感じのベンチがいくつもいくつも池に向かって設置されているんです。これだけたくさん設置してくれていれば、老若男女、座りたい人はみんな座れる☺️ 

水面もキラキラしています✨ 

ごくありふれた風景かもしれませんが、「東京にもほっとできる場所って意外にあるよなぁ🍀」って感じさせてもらった1カットです ♪

第3位

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葛飾区・水元公園の入り口です。説明をするポイントが見つからないこの風景の良さは・・・ごめんなさい、実は僕のこころの中にあるのです^^;  

この公園に来たのは27年振りです。27年前に来た時は、当時交際していた彼女と一緒でした🍀  

自宅の僕の部屋の机の正面には、この時に満開の菖蒲をバックにして撮影した、笑顔の彼女の写真が飾ってあります。その彼女とは・・・もちろん、現在の僕の奥さんです☺️🍀

今回、菖蒲がまだほとんど咲いてなかったのは残念でしたが、「27年振りなんだなぁ・・」と言う感慨があったもので、この写真を3位に入れたくなってしまいました^^;

第2位

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葛飾区・堀切水辺公園の1風景です。後方に見えるのは『東京スカイツリー』です。

僕はオフィスへの出勤途中で、その気になればこのツリーまで歩ける距離からいつも目にしているので、このツリー自体に特に感動はなかったのですが、こうして紫色の菖蒲達に前面に並んでもらうと、塔の無機質さが中和されたバランス感が生まれた感じがして、なんだかホッと安心な気分になれたのでした☺️ 

第1位

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第1位は、東村山市・北山公園の1風景です🍀

ここも、「東京にもホッとできる素敵なところって結構あるよなぁ」って思わせてくれる場所の1つですが、この風景を1位に選んだ特筆すべき決め手があります。

菖蒲田の中央の木の歩道を走っている2人の女の子、わかりますでしょうか?

この子達、僕がいる目の前を左方向に走り抜けた後すぐ右折してそのままノンストップでこの写真の疾走状態なんです。年齢は幼稚園年長〜小学校低学年ぐらい、姉妹なのかそれともお友達同士なのかわかりませんが、とにかくホントに風のように軽やかに駆け抜けて行った感じでした🍃

その様子を見ていたら、ふと、「生きてるって素晴らしいな☺️」って気持ちを感じたことを思い出したので、この写真を1位に選びました(╹◡╹)

番外編

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水元公園からの帰り道のバスに座った時に、前の座席の背面に貼ってあったステッカーです。

同じ情報を発信するのでも、表現の仕方次第で受け手の感じ方が大きく変わる。不安を喚起して需要拡大を図るのが昔から現在に至るマーケティングの常用手法ですが、このステッカーにはその目線とは違う、愛と志と覚悟を感じました👍

 

:20%を100%満喫する!

最多で20%ぐらいの開花率、と書きましたが、どの公園でもまばらな開花ではなく、比較的まとまった開花本数があちこちに点在している感じでした。

一面の咲き誇りには出会えなかったものの、開花している20%自体は概ね満開でしたので、それなりにワクワクしながらスマホ撮影も楽しめました😊

菖蒲の花は、形がカッチリしていないものが多いからなのでしょうか、、まず自分が「いいね!」って思える写真を撮ることにずいぶん苦戦してしまったのですが^^;、たくさん撮った素人写真の中から、素人感性での “厳選” で、写真をアップしたいと思います♬

 

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最後に何者なのかよくわからない豪快なやつを(笑)

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この章をワンフレーズで結びます。

「一面満開の菖蒲の写真が撮りたーーーい!! 😅

これぐらいの感じの ♪

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※無料写真素材サイトさんのご協力です。

 

:思いがけない遭遇!

5月22日(土)、葛飾区の『堀切菖蒲園』へ行った日です。堀切菖蒲園から最寄り駅までの戻り道で、その思いがけない遭遇は起こりました。

 

住宅街の中に作られた小さな通り沿い。

 

目に入ったのはこれです・・・

 

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「え、ガクアジサイ? もうこんなにしっかり咲いてるの?? それもあまり見たことのない装いの、凄くいい感じじゃん。。。」

 

そしてちょっと視野を拡げてみれば。

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「うわ、なんかいい感じの配色・・・🤭」

 

その小さな通りに足を踏み入れ歩き出してみると。

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普段はあまり見かけない個性的な、それでいてとても品のいい装いのガクアジサイがいっぱい🤭

さらにはこちら。

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「西洋アジサイなのになんだかすごくキュート🤭」

(西洋アジサイ好きな方、すいません)

 

そしてこの日の帰り道、自宅までのいつもの通り沿いで出会ったのがこちら。

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「なんだか心に刺さるエレガントな美しさ・・😵」

 

 

「ガクアジサイの開花、だいぶ早まってるのかな・・・🤔」

 

今年はガクアジサイの魅力アピールも特にすごい気が。

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※このフォトは無料写真素材サイトさんのご協力です。

 

 

さて。

「一面満開の菖蒲」VS「本丸のガクアジサイ」

 

もともとの構想は、「5月に菖蒲を見終えて、6月はガクアジサイに集中!」だったのに、両方のピークの開花を見るには、例年通り、時期が重なってしまうことが必至になりました・・😵

これは “うれしい悲鳴” と言うべきでしょうが(╹◡╹)

現在の開花状況がネットで公開されていれば見に行く段取りも組みやすいのになぁ、、って言ってても仕方ないので、知恵も足も使って、なんとか「両方ゲット」できるように顔晴り(がんばり)ます✊

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刺さった。(『空白を埋める1ピース』:第3話)

こんにちは♪

今日の記事は、ブログ断ちしていた48日間の空白を埋める3ピース目として、その期間中に読んだ本の内容で、こころに刺さったことを書きたいと思います。

 

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喜びが来るのを待ち受けるな。

筑波大学名誉教授の村上和雄先生が書かれたこの本を読みました。

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※『アホは神の望み』村上和雄著   2018年 サンマーク文庫刊

村上先生は1936年生まれ、僕が尊敬する “人生の大先輩” 的な方です。この本より前に出版された他の著作は何冊か読んでいるのですが、この本はまだ未読でした。

村上先生は、バイオテクノロジーの世界的権威なのに、いや、科学を真摯に追求してこられたからこそたどり着いたに違いない、こんな確信を持っていらっしゃいます。

いろいろむずかしいことをいいましたが、一つ、心にとどめておいていただきたいのは、目に見えるものだけを信じるあまり、目に見えないものは「存在しない」と切って捨てないことです。生命思考の観点からは、命にとって大事なものほど目に見えないものかもしれないーそうした想像力の余地を残しておくことは、私たちの思考に幅や余裕を与え、生や命を充実させてくれるはずだからです。

 ※前掲書227頁13行目〜228頁1〜3行目から引用

 

今回、僕のこころに最も刺さったのは、以下のメッセージです。

もちろん人生は、そうそううまくいくことばかりでもなければ、笑ってすまされることばかりでもありません。しかし、厳しく苛烈であるからこそ、私たちは喜びをもって生きることを忘れてはいけない。喜びがどこからかもたらされるのを待つのではなく、どんなささやかなことでもいいから、自分から喜びを探し出して、その日一日の収穫として喜ぶ「陽の思想」が大切になってくるのです。

 ※前掲書230頁13行目〜231頁1〜3行目から引用

 

僕にはこの「陽の思想」をこころに養うことが必要だって、ものすごく痛感させられたのでした。

 
上機嫌は大人の義務である。

続いてこの本です。

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※『60歳からの生き方哲学 円熟した大人の作り方』 齋藤孝著   2020年 笠間書院刊

テレビでもお馴染み、明治大学教授の齋藤孝先生の著書です。

これまで齋藤先生の本を読んだことはありませんでした。

齋藤先生の専門は「日本語」、というのが僕が持っているイメージです。

60歳以降に向けての準備が書かれた本はもう何冊も読んでいてすでにひと段落、の感を持つ僕が、前掲の齋藤先生の本を読もうと思ったのは、自分の中で日本人であるということへの思いが高まってきているがゆえだったのかもしれません。

 

この本で最もこころに刺さった内容を引用します。

 

円熟した大人は、上機嫌の場作りの一番の責任者です。場には人の身体性が色濃く染み出します。私たちの機嫌しだいで、周りの人たちが幸せな気分になったり、険悪な気分になったりします。円熟した大人には、率先垂範して上機嫌のオーラを供給し、楽しく幸せな一期一会の祝祭の場を作り出す努力義務があります。

上機嫌と親類関係にある「気持ちを高揚させるもの」「楽観」「幸福」などもすべて、気まぐれな気分や感情に基づいたものではなく、極めて意思的なものであり、苦労し、工夫して勝ち取らねばならないものなのです。

 ※前掲書84頁11行目〜85頁1行目から引用

 

職場での自分自身を思い返しました。

極端な感情表現には至らない非好戦的な性格、と自認しているがゆえに、むしろ感情は取り繕うことなくありのままの自然体で振る舞う方が周囲の人たちの安心につながるし、僕自身も信頼してもらえるはず、って感じのことを、若い頃からなんとなくずっと思って今現在に至っていることに気づきました。

だから「怒」や「哀」についても、特に意識して “コントロール” しようとした記憶がないのです・・

自分が気づいていないだけで、周囲の誰かにネガティブな気分を味わわせてしまったことが何度もあったかもしれない可能性は否めません。

 

この時、その数日前にFMラジオで耳にした曲のワンフレーズを思い出しました。

すぐスマイルするべきだ 子供じゃないならね

森七菜 スマイル Music Video - YouTube

幸か不幸か、いやきっと幸なことに、引用した上記のワンフレーズ以外の歌詞は記憶に残っていなかった僕には、「お父さん、しっかりしてよ!」って言われたような感じが。

 

「円熟した大人は、上機嫌のいちばんの責任者」

 

本当に齋藤先生のおっしゃる通りだと思いました。

 

卵もニワトリも。

村上先生も齋藤先生も、前提にされているのはおそらく以下のようなことだろうと思いました。

 

  1. この世の全てのものには「陰」「陽」の両面があるというのが真理である。
  2. だから「陰」を排除して「陽」のみにしようと頑張っても、その達成はきわめて困難である。
  3. しかし、幸い、人間の現実というのは、その人の意識で意味づけしたもので創られている。
  4. よって、幸せを感じたいのであれば、望まない「陰」を排除しようと“必死に”意識を集中するのではなく、望む「陽」の方に意識を集中できる能力を高めていくべきである。

 

陰=ネガティブが完全排除されることはありえないという前提に立つのならば、ポジティブのすぐ隣にネガティブがあったとしても、主体的に自分の意思の力を使ってポジティブの方に気持ちを集中(=選択)することが最も賢明な方法なのでしょう。

改めて考えてみると、僕がこれまでの人生で何度も繰り返してきた、ネガティブ完全排除のための奮闘、苦闘、というのは、それによって学べたものには後から必ず気づけてはいるけれど、幸せになるための努力の仕方としてはかなり効率の悪い方法だったのかもしれません。

 

村上先生のおっしゃる「陽の思想」が養われてくれば、齋藤先生のおっしゃる「上機嫌の一番の責任者」に相応しい言動はより自然にとれるようになれそうです。

一方、よく言われるところの、「まず形から入ってしまう」手法として、たとえ最初はぎこちなくとも「上機嫌の一番の責任者」を意識した言動を日々努めて生活していくことが、「陽の思想」の養成につながっていくような気もします。

 

卵が先かニワトリが先か、でも、どちらが卵かニワトリか、でもなく、ピンときたのだから、

どちらも同時にすぐ始めた方がいい。

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以上が、ブログ断ちをしていた48日間の空白を埋める“3つ目のピース”のお話でした。

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【追記】村上先生と齋藤先生の言葉がこころに刺さって以来、ときどき僕の口からはこのワンフレーズがメロディー付きで突然ポロッと湧いてきます。

すぐスマイルするべきだ 子供じゃないならね

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※次回のブログアクセスは5月29日(土)になります。それまでの間、“お留守”にさせていただきますこと、どうかご容赦ください。