“緑色”的な僕のほんのりワクワクblog

ほんのりワクワクがたくさんの毎日を♪

2021年、コスモスと秋桜。

f:id:wakuwakushincha:20211024194330j:image

ご訪問してくださりありがとうございます(╹◡╹)

 

今年のコスモスの開花については、1週間ほど前に、国営昭和記念公園のホームページにもこんなご案内が掲示されていました。

f:id:wakuwakushincha:20211024190406j:image

2021年のコスモスももうそろそろフィナーレなんですね。

今日の記事では、今年のコスモスを訪ねた散歩で撮影した、“お気に入りの写真” をアップさせていただいた上で、心に浮かんできた思いを綴りたいと思います ♪

今年のコスモスの印象。

ピンク色の花を中心にお馴染みの『センセーション』という種は、花自体は元気に咲いていたものの、台風もどきの強風の影響が大きかったようで、倒れてしまっているものも多かった印象でした。

そんな中で力強い安定感だったのが、黄色の『キバナコスモス』でした(╹◡╹)

協演作品。 

実は、計3回ほど公園へ散歩に行って撮影したコスモスの写真のうち2回分を、僕自身の “あまりに不注意なアクシデント” により消失してしまっています。そのため、本日アップさせていただく写真は、冒頭で「今年撮影した写真」と書きましたが、実は「昨年撮影した写真」との “協演作品” になりますこと、あらかじめ正直にカミングアウトいたしますm(._.)m

では参ります♪

f:id:wakuwakushincha:20211024212136j:image
f:id:wakuwakushincha:20211024212134j:image

f:id:wakuwakushincha:20211026205623j:image
f:id:wakuwakushincha:20211024212228j:image

f:id:wakuwakushincha:20211024212418j:image
f:id:wakuwakushincha:20211024212415j:image
f:id:wakuwakushincha:20211024213802j:image

f:id:wakuwakushincha:20211024213826j:image

f:id:wakuwakushincha:20211024213902j:image

f:id:wakuwakushincha:20211024213934j:image

f:id:wakuwakushincha:20211024214019j:image
f:id:wakuwakushincha:20211024214021j:image

f:id:wakuwakushincha:20211026205449j:image

『コスモス』で心に浮かぶのは。

僕の場合、山口百恵さん、なのです^^; 

なぜ、コスモスで百恵さんなのかと言えば、その百恵さんが『秋桜』という曲を歌っていたからだと思います。

ブログを始めて何回目かの記事に書いた記憶がありますが、僕が確か小学校3年生の時が百恵さん(当時はもちろん「百恵ちゃん」)が芸能界デビューした年で、その年に僕の街の駅前の夏祭りに来てやぐらの上でデビュー曲を歌ってくれました。

そう、のど自慢大会?の頭か途中に、確かこんなやぐら(のもう少し簡易なやつ)の上で歌ってくれました。

f:id:wakuwakushincha:20211024223720j:image

とても部分的な記憶だけれど、それまでにテレビで何度か観たことのあるアイドルを直接見られたことで、僕はとってもワクワクしていたと思います♫

それを見て以来、百恵さんは引退するまでずっと憧れの女性アイドルでした ♪

『秋桜』

僕と同世代以上の方ならこの曲を知らない方はいらっしゃらないのではないかと思いますが、動画をアップされているYouTuberさんにお借りしてご紹介します。

秋桜 # 山口百恵(CD音源) - YouTube

さだまさしさんが作ったこの曲。当時の僕はまだ子供すぎて、実は「生真面目すぎてちょっとつまらないよ、百恵ちゃん」って思ってしまっていました^^;

しかし、今あらためて聴いてみると、これから先もずっと歌い継がれていくに足る “昭和の名曲” だったんだなぁ・・ってわかります。

ただ・・・実は、僕にはこの『秋桜』の曲のイメージは「和」な感じがかなり強くて、今、実物のコスモスを見ても、この『秋桜』の曲のイメージにつながらないんですよね・・・^^;

子供の頃は団地育ち、今はマンション住まいの僕には、「縁側」と「コスモス」がイメージ的に結びつかない、のでしょうか?!

それでも百恵さんなのは。

コスモスの花たちを観ている時に、僕の頭の中に流れてくるのは百恵さんのこちらの曲なんです^^

おそらくはアルバム収録の曲なのですが、百恵さんの曲の中で僕が一番好きな曲です(╹◡╹)

youtu.be

曲の一番だけ歌詞も引用します♪

哀愁のコニーアイランド

歌:山口百恵

作詞:森雪之丞 作曲:大瀧詠一

潮風に
錆びた観覧車
夕焼けが やさしく染める
昔パパとはぐれた この場所で
不思議ね 今でもまだ私は迷子
Lu Lu Lu …
“You will lose your love”
今度も ジルの占い
きのうのことしか あたらない
あの人ったら やさしいの
私を起こさず出ていったわ
まるで そよ風みたいに
Lu Lu Lu …

きっと大瀧詠一さんが作曲だからでしょう、歌謡曲というよりもシティポップな曲調で、今聴いても全く古さを感じない素敵な曲だなぁ♪ ってあらためて思います^^

 

「でも歌詞がコスモスと関係ないよねぇ、、、」

 

はい、、この曲の舞台はコスモスガーデンではなく米国の遊園地ですし、失恋の歌だし、全くコスモスと関係ないんですけど・・・^^;、 

なんていうか・・・メロディー、雰囲気ですね。

コスモス“そよ風”に静かに吹かれながら咲きほこる秋の光景にとてもマッチしているように感じるんです♫

f:id:wakuwakushincha:20211025214501j:image

 

やっぱり『秋桜』のことも。

百恵さんからのインスピレーションで記事を書くことも今後なかなかないだろうって思うので、『秋桜』に戻って、この曲から今の僕が強く感じることを、今日の記事の最後として書きたいと思います。

まず、曲の歌詞を一番だけ引用しますね。

淡紅の秋桜が秋の日の
何気ない陽溜りに揺れている
此頃涙脆くなった母が
庭先でひとつ咳をする

縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話くり返す
独言みたいに小さな声で

こんな小春日和の穏やかな日は
あなたの優しさが 浸みて来る
明日嫁ぐ私に 苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと 笑った

このお母さんの気持ちに感情移入してしまいます。

この頃、「嫁ぐ」とは「苦労」があることが当たり前の時代だったんですね。その苦労の中で大きかったのは、きっとお姑さんとの関係だったんじゃないのかな・・・って気がします。

『○○家』という概念。家の大小に関係なく『○○家』。これ自体は、命をつないできてくれた先祖への感謝、という意味で、日本人らしい素敵な部分でもあるのでしょう。

ただ、○○家の『嫁』、となってくると・・・。

 

ここから書くことは思い切り僕の主観であり、あくまで僕が信じる正しさであることをお断りした上で・・・

『○○家の嫁』という言葉には、“家の常識”という “暗黙の了解” を使って意の通りに従わせたい、従ってもらいたい、というニュアンスを含んでいるように感じてしまうんです。「多様性」から最も遠ざかってしまうような感じがします。

僕は、『“常識”という名の幻想』が人の『心』より上位になるような概念が好きではありません。

僕は僕の妻に対して、「こんなへなちょこな僕と結婚してくれて、そして今に至るまでずっとそばにいてくれて本当にありがとう」っていう深い感謝の思いがあります。そんな僕にとっては『家の“常識”とか“べき論”』なんかよりも彼女の『心』の方がずっとずっと大切です。

2人の娘の父親でもある僕は、かつては結婚に伴う“常識”とされていた類の苦労などしなくてもよい、何より心を大切にしてくれる人たちとのご縁が彼女たちにありますように、という思いが、彼女たちの成長を見守る日々を重ねる中で少しずつ増してきています。

 

多様性の時代、正解がひとつではない時代は、きっと心の時代。過去から現在に至る「見えないものへの感謝」は忘れることなく、お互いの正しさを尊重し合いながら、みんなが笑顔で幸せを共創できる、そんな時代が来ると嬉しいなぁ、って思っています^^

 

f:id:wakuwakushincha:20211026202035j:image

㊗️10周年と1周年♪

ご訪問してくださりありがとうございます♪

 

読者登録させていただいているブロガーさんの最近の記事で、はてなブロガーに10の質問なるものを何度も目にしているうちに、「僕も書いてみたい♫」という思いがジワジワ湧いてきました^ ^

それが「書くぞ!」という思いになった決め手は、はてなブログさんの “創業記念日” が「11月7日」であることを知ったからです。

まずは、はてなブログさん、10周年おめでとうございます♫  

私ごとですが、いみじくも?その前日である、「11月6日」は、昨年、僕がブログ記事初投稿した日なのです🍀

ぴったり日が一致していたら、とっても運命的でよかったんですけどね^^;

3ヶ月前に使いまくって、もはや枯渇状態にあるレッドスターもいただけるということなので(笑)、「もうすぐ1年目を終えるにあたっての振り返り」的な気持ちで、本日参加させていただこうと思います(╹◡╹)

f:id:wakuwakushincha:20211023213901j:image

 

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

ブログ名については、少なくとも「ほんのりワクワク」というワードは入れたいな、って前提を持って決めました^ ^  

最近は「HSP気質の」ってところがいろいろな点でちょっと引っかかっていて変えたい思いもあったりするのですが、ピンとくる代案が思いつきません^^;

ハンドルネームは、僕の本名の名前に「しん」がつくので原型は「しんちゃん」でしたが、ふと気づけば「ん」がいつのまにか退化してなくなった感じです(笑)実は昔、妻が僕のことをそう呼んでくれていました(╹◡╹)

はてなブログを始めたきっかけは?

思い返してみると、ブログを始めた理由は、確か、「自分らしさを生かしてなんらかの形で誰かの役に立てるきっかけになるかも」ってことだったような気がします。それに加えて実は、なんですが、「将来の収益化の夢」も見ていましたね。現在、Google AdSenseすらやっていない「100%無収益化運営」の僕なのに(笑)

はてなさんを選んだのは、ネット検索で「初心者ははてなブログが始めやすい」と目にしたからだったと思います。

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

やっぱりこれかなー。

wakuwakushincha.jp

この記事での『ブログ無期限休止宣言』は、休止と書きながらも、「これが最後の記事になるかもしれないな」って思いがとても強かったので、かなり気持ちの入った記事になりました。それに、僕史上最多のはてなスター、そしてブックマークコメントを書いてくださった方達の優しい温かさに包まれた気がして、「はてなブログやって良かった(T_T)」って思いでデコレートされた記事です。

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

  1. 素敵な花の写真がたくさん撮れた時 ♪
  2. 記事のストーリーがふいに湧き上がってきた時 ♫

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

1記事です。タイトルは「子供の頃の『日曜日』は“天国”みたいだった。」です。

f:id:wakuwakushincha:20211023231642j:image

上掲の通り、投稿済みの記事でしたが、リンクを貼っていたYouTube動画(『ムーミン』と『素晴らしい世界旅行』)がどちらも「視聴できません」になってしまっているのを発見し、大いに落胆しながら下書きに戻しました。

それに加えて、日常的には、ひらめきがあった時に、仮タイトルだけ書いて保存してあります。

自分の記事を読み返すことはある? 

投稿済の記事はたまにお気に入りのやつを ♪ 

投稿前には、一通り書き終えた後に、“全世界公開”である緊張感を持って、最終チェックと校正で30分〜長い時は1時間ぐらい読み返しています。必ず誤字はいくつかありますし、読み直してみると、「なんだかわかりにくい言い回しだな・・」とかが見つかります。陶芸で作品を窯に入れる前の削り仕上げみたいな気持ちでしょうか ♪

f:id:wakuwakushincha:20211022230059j:image

好きなはてなブロガーは?

男女問わず、“その方らしい優しさ”が感じられる記事を書かれているブロガーさん。その優しさは多様なのでこれ以上は説明できません♫  

f:id:wakuwakushincha:20211022230217j:image

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

僕の人生に新しい世界を拓いてくださり、ありがとうございます♫

困った時に問い合わせをすると、とても丁寧に回答してくださることにも感謝しています。

10年前は何してた?

『ワークライフバランス』を追求していました。

会社の仕事では、社長直轄プロジェクトのリーダーを担って、若い頃に恩義のある当時の社長への恩返しの気持ちも持って奮闘していました。

そしてライフでは、自分が子供の頃にはほとんど体験できなかった「幸せな家族時間」創りをほんのりワクワクな思い一杯にやっていました♫  毎週末のなんらかの家族イベント。旅行もTDR(東京ディズニーリゾートですね ♪)も各々年3回ぐらい行ってたかなぁ。思い返すとほんのりする大切な幸せな思い出の日々ですね^^

f:id:wakuwakushincha:20211022230847j:image

この10年を一言でまとめると?

自分の人生の意味・意義・望むことへの “気づき” の10年です。

f:id:wakuwakushincha:20211022232907j:image

 

 

あれれ、質問が終わってしまいました(^^;

 

よし、11問目を追加してしまおう(笑)

 

これからはてなブログでやりたいことは?

うーん。ささやかでも何か新しいことをやってみようかなって思います。

と言っても思いつくことはあまりないのですけど^^;、今思いつくこととしては、記事の「見出し」の見え方のカスタマイズをしてみたいです。

そしてもうひとつは、記事のコメント欄「表示する」に変更してみようかな・・・ 最短ではこの記事を投稿した後にでも。忘れなければ(笑)

 

マイペースで楽しく書いていきたいと思います♫

ブログ再開後、「結果として」週2回ぐらいのペースで記事を投稿していますが、しばらく動きが見られなくなった時には(笑)、「あ、今、チャレンジが忙しいんだな」って軽く思っておいていただけると幸いです。でも書くのは好きなので、投稿間隔よりも、なるべく文章のボリュームの方で調整したいとは思っています^ ^

ということで、今ご縁を持ってくださっている皆様、そしてこれからの近未来でご縁を持ってくださる予定の皆様、今後ともよろしくお願いいたします(╹◡╹)

 

f:id:wakuwakushincha:20211023223058j:image

 

あれもこれも “僕の場合は” ということ。

ご訪問くださりありがとうごさいます(╹◡╹)

突然ですが、この花、ご存知ですか^ ^

f:id:wakuwakushincha:20211018072140j:image

もう少し接写で♪

f:id:wakuwakushincha:20211018072245j:image

この花の名は『ホトトギス』

昨年、僕はこのホトトギスの花からのインスピレーション?で、下掲の記事を書きました。

信じてもらうことの幸せパワー - HSP気質な僕のほんのりワクワクblog

今年もホトトギスの花を目にするようになったことで上掲の過去記事を思い出して読み返してみたのですが、今現在の自分の考え方と照らし合わせると、「うーん、なんか放置できない・・」感が満載でした(^^;

ということで、本日の記事は、前半ぐらいまでは上掲の過去記事をベースにしながらも、後半からは「今現在の僕」としてあらためて書き直したいと思います ♪

 

ご紹介〜花の名前の由来

花びらにある紫色のまだら模様の斑点が、鳥のホトトギスの羽毛の模様に似ているというのが、その由来だそうです。

ネットで『ホトトギス(鳥の方)』の写真を確認してみましたが、「なるほど〜!」って思える写真を探し出せなかったため、画像の掲載は見送りにさせていただきますm(._.)m

 

花言葉

「永遠にあなたのもの」「秘めた意志」です。

前者は「夏から晩秋まで長く開花している姿」、後者は「日陰で力強く咲いている姿」に由来しているそうです。

f:id:wakuwakushincha:20211020205802j:image

 

フッと浮かんできた疑問

「『ホトトギス』って鳥、昔から全く身近な存在でもなく、この記事を書くまでどんな見た目かも知らなかったのに、どうして名前だけは忘れずにちゃんと覚えていられているんだろう??」

注)今はよく知っているので、これは昨年の思いです。

 

あ、きっとあれだ・・・

 

「鳴かぬなら○○○○、ホトトギス」 

 

懐かしの日本史授業。

1.「鳴かぬなら殺してしまえ、ホトトギス」

  織田信長さん。怖い(^^;;

f:id:wakuwakushincha:20211019124721j:image

 

 2. 「鳴かぬなら鳴かせてみせよう、ホトトギス」

  豊臣秀吉さんですねー。ワクワクの追求?!

f:id:wakuwakushincha:20211019124734j:image

 

3.「鳴かぬなら鳴くまで待とう、ホトトギス」

  徳川家康さん。こんなに大らかではなかった?

f:id:wakuwakushincha:20211019124750j:image

 

僕がホトトギスだったら。

これは、「人間である僕の心を持ったままで、このホトトギスになったら」という想定で参ります。

ここでの自問自答は、「果たして僕は、信長さん、秀吉さん、家康さん、のうちの誰の庭の木にいるのが一番幸せに感じるだろうか?」です。

 

まず始めに、命の危険を感じる信長さんの家の庭はやっぱり嫌ですねーm(._.)m

よって、秀吉さんの家の庭か、家康さんの家の庭か、の決戦ですが・・・

 

うーん・・・・・・・

 

はい、答え、出ました!!

えーと、、

「以下の様に接してくれるなら、秀吉さん、家康さんのどちらでもいい!」

 

“以下の様に” とは、こんな感じですね。

  1. 最初は秀吉さんスタイルで、僕にポジティブな関心を持ってくれていると思わせて欲しい
  2. しばらくしたら、家康さんスタイルで鳴くまで待ってくれることを基本にして欲しい
  3. しかし、時にはまた秀吉さんスタイルに戻って、引き続きポジティブな関心を持ってくれていることを確認させて欲しい

その心は、「君のことは信じているからいつ鳴くかは君の好きな時に任せるよ」って接して欲しい、でしょうか。

家康さんアプローチを基本としながらも、時折、秀吉さんアプローチを繰り出して欲しい。

家康さんアプローチだけだと、「信じてもらえてるから任せてもらってる」のか、「どうでもいいからほったらかされているのか」のどちらなのかわからなくなってくるかもしれないので、前者である証しとして、「時折、秀吉さんアプローチをお願いしますね」という感じでしょうか^^;

 

他者事例。

ふと浮かんできた、15年ぐらい前の職場での記憶があります。

当時の僕の職場のある同僚(男性)が、上司のことでいつもイライラカリカリと心を悩ませていました。

彼はその上司からはむしろ高い人事評価をもらっていた人だったのですが、にもかかわらずとにかくいつも怒っていました。

原因は、その上司が常に彼の言動に対して、彼からすると “難癖” “ダメ出し” 発言で接していたからです。とにかく彼が提案したことに対して、「OK、それでやってみなよ。」とは決して言わない。

当時、彼がよく発していた独り言がこちらです。

気持ちよく仕事させてくれ!!ただもうそれだけでいいから(><)」

彼は、理屈よりハートで動くタイプの人でした。当時の僕は、「彼らしいな」って思ってただ苦笑いしているだけでしたが、15年経った今振り返ると、当時の彼の気持ちはこんな感じだったのかもな、って思えます。

「心揺らすような小さな指摘とかせずに信じて待っていて欲しい。俺は何がなんでも期待に応えてみせる覚悟はあるんだから!」

 

僕の事例。

僕自身の会社キャリアを振り返ってみても、言われると一番嬉しく、心にパワーがみなぎってくる言葉は、これでした。

関西での営業キャリアでは、

「自分に任せるわ。」

注)関西?では「あなた」のことを「自分」と言います。最初の頃は意味が分からず戸惑いました(^^;

東京に戻ってきてからのスタッフキャリアでは、

「任せるよ。」

「任せる」とは、それで何か不具合が生じた時には、任せたその人に責任が及ぶのが基本です。それを承知で任せてくれるという行為は、万が一のことがあったら自分が責任を負う覚悟で「信じてくれる」ということでもあります。

「任せる」と言われた時の僕には、こういうスイッチが入ります。

「信じてくれたこの人が絶対責任を問われるようなことにはしない!それどころか、やはり任せて良かったって感じさせてあげたい!」

僕にとって「信じてもらっている」という感覚は、昔から今に至るまでずっと、心に力を入れて前進するためのエンジンでした。

 

分水嶺。

f:id:wakuwakushincha:20211020170954j:image

この記事の冒頭に掲げた昨年の記事は、「信じてもらって任せてもらうことって誰にとっても嬉しいことですよね♪」という思いで書きました。

でも今年の今の僕だとそうならない、というのが、今回、記事を書き直すことにした理由です。

今の僕だと・・・・こうなります(╹◡╹)

「“僕の場合” はそうなんですけど、これは全ての人にとって幸せと感じるものにはなり得ませんよね。」

信じてもらえること自体はきっと多くの人にとって幸せなことなんじゃないかなとは思いますが、でも「任されて責任を負うことになるのは嫌だから信じてもらえなくていいので信長さんみたいに『俺の言った通りにやれ!』って言ってくれる方が気楽で幸せだよ」って人も必ずいるんだと思うのです。

自分の幸せなこと=皆も幸せなこと、ではない。

自分の心地よいこと=皆も心地よいこと、ではない。

僕はYouTubeを観ている時、そんな感じのことをしみじみ思います。

例えばこちらのリンク動画です。

MISIA - 逢いたくていま - YouTube

これは年末の紅白歌合戦の紅組のトリを担うまでになったMISIAさんの公式チャンネル動画。この曲は僕が大好きなTVドラマ『JINー仁』の主題歌でもあり、MISIAの曲の中で一番僕の心に刺さる曲です。

僕からすれば驚きの事実なのですが、この動画に対して、5%強もの方が低評価ボタンを押されています。

※2021年10月20日17時33分現在です。

f:id:wakuwakushincha:20211020222847j:image

「好きか嫌いかは個人の自由だけど、わざわざ低評価ボタンで意思表示しないでスルーにしておけばいいのに。。」って、まず僕は感じてしまうわけです。

でも、わざわざ低評価の意思表示をされる方には、必ず「その方が大切にする価値観に基づく正しさ」があるのだろう、って思い直します。

自分と異なるものを “無理して” 受け入れる必要は全くないけれど、「尊重すること」は大切だと感じます。『尊重』とは自分の考え方とは異なるからといって攻撃したり排除しようとしたりしないことです。そもそも自分が攻撃や排除される立場になったら、って考えると、辛いし嫌ですもんね^^;

この心のあり方は、これからの「多様性の時代」ではとても大切になってくるのだろうって、特にコロナ禍が始まってからのいろいろな経験を通じて、すごく思うようになってきています。

f:id:wakuwakushincha:20211020182254j:image

 

今年のオリジナル花言葉は?

昨年の記事で、僕が『ホトトギス』の花につけたオリジナルの花言葉は「信じてもらうことの喜び」でした。

今年はそれをリセットして、本来の花言葉のうちの「秘めた意思」で行こうと思います!

秘めたその意思とは、

「これって誰もに当てはまる正解などではなく、“僕の場合は” だよね」ってことをまずは忘れないようにする。

f:id:wakuwakushincha:20211020211416j:image

もし『不老不死』をプレゼントするよって言われたら。

ご訪問くださりありがとうございます(╹◡╹)

この秋の、花をめぐる散歩では、“初めて出会った” 花がたくさんあります♬

正しくは、これまでもおそらくはずっと視界に入っていたはずなのにその存在をちゃんと認識できていなかった花たちなのですけど^^;

今日は、それらの花のうちのひとつにフォーカスして、まずその花のご紹介した上で、その花との出会いをきっかけに、思いと考えを巡らせたことについて書こうと思います。

f:id:wakuwakushincha:20211017010227j:image

 

まずはご紹介を♬

今日の記事を書くきっかけをくれた花を紹介します。

こちらです^ ^

f:id:wakuwakushincha:20211013221405j:image

花の名前は『千日紅』

「百日紅(サルスベリ)」の上をいく名前のついている花だし、僕がこれまで認識できていなかっただけで、きっと多くの方が知ってる有名な花なんだろうなぁ、って確信しております^^;

僕がこの花を “今頃になって” 認識できた理由は、友人「好きな花」であることを知ったからです♪

ついこの間まで存在をちゃんと認識すらできていなかったのに、そう知った途端に、「うん、なんか素敵な感じかも♪」なんていう思いに簡単になれてしまう現実を前に、「世の中にはきっと、僕がまだ存在を認識できていないがゆえに知りえていない素敵なことが、数えきれないぐらいたくさん存在するんだろうなぁ」って思います。。。

 

『千日紅』を味わう♬

では、先日の散歩で撮影した写真をアップしながら、都度つぶやきたいと思います(笑)

f:id:wakuwakushincha:20211014200227j:image

千日紅って、思いの外、マイペースで “自由奔放” に咲いている印象を受けるのですが・・・^^;

f:id:wakuwakushincha:20211014200451j:image 

でもなんだか一輪の存在感がすごくありますよねー。「個の存在感がある」のは、まさにこれからの時代を担う花、って感じでしょうか♪

しかしこの花をジーッと見ていると、僕にはなんだか “これ” に見えてきてしまいます。

f:id:wakuwakushincha:20211014200858j:image

剥いたらこんな感じだったりして^^;

蜂や蝶は「花の蜜」を吸いに来ている?

f:id:wakuwakushincha:20211014201211j:image

「こんなライチみたいな花のどこから蜜が吸えるんだろうか(p_-)」

接写してよく見てみる。

f:id:wakuwakushincha:20211014201601j:image

「わからない・・・(^◇^;) 」

自力回答ギブアップ。ネットで調べました。

なんと!!

は、表面にポツポツと点在する小さい穴みたいに見えるところでした(><)

ちなみにこの写真の状態が咲いている状態なのかどうかはよくわかりません^^;

f:id:wakuwakushincha:20211014201942j:image

さらに判明したすごいこと。

大半を占めている、この写真で言えば赤紫色の部分は、花ではなく「苞(ほう)」と呼ばれる葉が変化したものなんだそうです!!

僕はこの事実を知って、思わずこのつぶやきが口からこぼれました。

「マジかよ・・すげーな・・・」

白い花(苞(ほう))は、この通り、「他の花を引き立ててながら自身の存在感も示す」という、 プロ好み(笑)のいい仕事をしていました♬

f:id:wakuwakushincha:20211016141433j:image

 

花言葉。

もはや「葉言葉」って言った方が正確なような気もしていますが^^;、細かいことを気にするのはやめにして、ネット検索で調べた結果をご報告します。

その花言葉をいくつか挙げると、

『変わらぬ愛』『永遠の命』『不死』『永遠性』。

 

今日の記事への伏線?

数ヶ月前、感染対策でスカスカの映画館に足を運んで観た映画がこちらです。

映画『Arc アーク』本予告 2021年6月25日(金)公開 - YouTube

実は、この映画のテーマが「不老不死」でした。

今日のこの記事は映画論評ではないので、この映画自体に関する話は書きませんが、オフィシャルサイトから紹介文を引用しますので、もしご興味が湧きそうでしたらご一読ください。ビデオレンタル開始もおそらくもう間近だと思います(╹◡╹)

映画『Arc アーク』オフィシャルサイト|2021.06.25 FRI

f:id:wakuwakushincha:20210702214334j:image

この映画を観た後に頭の中を巡ったあれこれが、今回、千日紅の花言葉と結びついて、今日の記事を書こうという思いに至った気がします(╹◡╹)

 

不老不死について考える。

今日の記事は「不老不死」とは掲げながらも、全体のトーンとしては『千日紅』のエレガントな美しさ✨の印象でまとめたいので、ここからの「不老不死」に関する自問自答は、深みにはまり込みそうになったら引き揚げるようにしたいと思います(╹◡╹)

【メリット】

不老不死を得られたら、きっと身体のちょっとした不調感とか違和感が気にならなくなるので、今よりもっと多くの時間をほんのりワクワクで生きられるようになるんじゃないかって期待があります ♪

【リスク】

人生時間が無限になってしまうと、あらゆることがいつでもできるようになるでしょうから、きっといろいろなことを先延ばしにして毎日を過ごすようになり、気づけば「有り難い」という感情もなくなり、しいては生きる喜びというのが欠けてきてしまうような、そんな予感もしたりします。。。

〈特筆すべき自分の感情〉

「不老不死を選ぶ時、愛する家族も同じように不老不死を選ぶことができるのか・・」

もし自分だけ永遠の命を得られることになっても、僕は幸せとは思えません。

【メリットVSリスク】

果たしてどちらに傾くでしょうか・・・?

f:id:wakuwakushincha:20210703144533j:image

今の僕には、メリットとリスクのどちらも非常に納得度が高く、どちらかを以て不老不死を受け入れるか否かを決めることは難しいと感じます。

それゆえ、現時点で確信を持って使える判断基準は、現在の自分の強い思い、すなわち、「その時、愛する家族はどうなるか、どうするか」ということになるだろうって思うんです。

僕にとってそれぐらい家族は大切なもの、ということを今あらためて認識できたのは幸せなことですが、しかし、不老不死を受け入れるか否かの判断のよりどころ「自分の外側」にある、というのはなんだか違和感を感じます。。

自分の書いた「メリット」と「リスク」の文章をしばらくずっと見ていたら、そこに流れる共通点に気づきました。

僕が強く望んでいることって、つまりは「『今この時』『今この瞬間』をきちんと生きられるようになりたい」ってことなんだよなぁ・・・

1日の内のとても多くの時間を、目の前にない過去や未来のことにばかり思いや考えをめぐらせてしまう自分。

一昔前はそういう状態に陥っていることさえ気づいていなかったことを思えば、今は「あっ、また『今ここ』から離れてしまっているぞ」って、時々気づけるようになっているので “進化” はしていると思います。

でも残念ながら「『今ここ』に生きられている時間は以前よりも明らかに増えたよな♪」というレベルには至れていないのです。

何の論理的裏づけもない直感にはなりますが・・・・・より多くの時間で「今ここ」にしっかり意識を置いて生きられる心のコントロール力。その力が高まってくれば、『不老不死』に対しても自分なりに納得できる答えがいつの間にか持てている自分になれるのではないか。

だから、今は『不老不死』のこと自体をこれ以上考えるのはやめにして、最近おろそかになってしまっている、「『今ここ』にちゃんと生きられている時間を増やすための取り組み」を、少しずつでも日々の生活で再開していこうって思います(╹◡╹)

 

千日紅からのエール!

記事の最後にちょっとだけ不思議でかつ素敵な写真を♬

なんと、花たちの後ろに虹のアーチがかかりました!

f:id:wakuwakushincha:20211015233631j:image

自宅に帰ってから写真を確認して気づいたのですが、なんだか思いがけないほんのりワクワクです♬

うん、これはきっと千日紅が、「『今ここを生きる力アップトレーニング』、根気強くがんばってね!」って、僕にエールを贈ってくれているに違いない!(笑)

 

今日の記事をここまで読んでくださった方にも思いがけない素敵なことが起こりますように✨

秋の“アジサイ”♬

お題「ささやかな幸せ」

訪問してくださりありがとうございます♬ 

いきなり話を始めますが(笑)、

先日、散歩していて、「えっ?」って感じで見つけたのがこちらなんです。

f:id:wakuwakushincha:20211011220826j:image

「アジサイ?」「枯れてるの?」

「いや、枯れて・・・はいない感じの色合いだけど、でも水気があまりないような・・・」

 

この日の散歩を終えて帰宅してから、「アジサイ」「秋」「開花」でネット検索してみました。

『秋色アジサイ』

アジサイの花弁に見える部分は、葉の一部が変形した「装飾花」と呼ばれるものです。この装飾花の部分は、本来の花(装飾花で囲まれた中央部分)が枯れても残って、段々と色素を失って、言うなれば “老化現象” を起こすそうです。

老化につれて元の色(緑)に戻っていくその過程の色合いが “アンティーク調” で趣き深いと好む方もいらっしゃるそうで、その状態のアジサイを『秋色アジサイ』って呼ぶそうです。

思い返せば、アジサイのピークシーズンの終わり頃にも、緑がかった、葉に近い感じのアジサイを時々見かけた記憶があります。

ではここで、写真素材無料サイトさんのご協力をいただき、秋色アジサイの写真を2枚ほど載せたいと思います(╹◡╹)

 

f:id:wakuwakushincha:20211011223752j:image

f:id:wakuwakushincha:20211012124507j:image

 

「うーん、でも、僕の見た冒頭の写真のアジサイ、“遅咲き” とかではなくて、秋色アジサイなのかなぁ・・・^^;」

 

でも今日書きたかったのは・・・

『秋色アジサイ』のことではないんです^^;

この秋、とっても気に入ってしまった花があるので、何より「その花の写真を記事に何枚も貼る!」という、ささやかな幸せを感じたくて、今回の記事を書こうと思いました♬

 

その花がこちらです!

f:id:wakuwakushincha:20211011230609j:image

僕はこの秋に初めてこの花の名前を、というより、存在自体をこの秋初めて認識しました。望まない得意技である、 「視界に入っていたけどずっと“見えて”はいなかった」のひとつですね(><)

みなさんご存知の有名な花なんだろうとは思いますが、あらためてAIアプリのハナノナくんに紹介してもらいます♪

f:id:wakuwakushincha:20211011231158j:image

はい、『ペンタス』です(╹◡╹)

初めのうちは、「なんか惹かれるな ♪」って感じだけだったのですが、そのうち、「あ、ガクアジサイの額に似てるかも!!」って気づきました。

下掲のガクアジサイの額の部分ですね♬

f:id:wakuwakushincha:20211012070847j:image

 

ということで、この『ペンタス』が、今日の記事タイトルである『秋の“アジサイ” 』です(╹◡╹)

では、『秋の小さな “アジサイ” 祭り🎇』の気分で写真を何枚か貼りますので、スルスルッとご覧いただけると幸いです^ ^

f:id:wakuwakushincha:20211012072301j:image

f:id:wakuwakushincha:20211012072422j:image

f:id:wakuwakushincha:20211012072438j:image

f:id:wakuwakushincha:20211012072511j:image

f:id:wakuwakushincha:20211012072547j:image

f:id:wakuwakushincha:20211012072611j:image

f:id:wakuwakushincha:20211012072703j:image

このペンタスは、熱帯アフリカの出身だそうです。熱帯の花なのに、日本の気候に適応してしまうところがすごいですね。

開花期は、秋限定ということではなく、5月から、とのこと。「そんな前から咲いてたんだ・・^^;」

この花の花言葉は、「希望がかなう」「願い事」。花びらの形が星のような形をしているので、「流れ星に願いをかける」ということのようです。

 

今、星に願うとしたら、僕は何を願うだろう・・・

 

まずは・・・

「心の幸せ創造力をもっと高められますように」

かな♬

 

そしてもうひとつ、これは人によっては「私は今のままでいい!」かもしれないので、「僕の関わる現実世界において」と限定の前置きをつけた上で。

「“誰かの願いがかなうと誰かの願いがかなわない” というゼロサムチックな世界が、誰もの願いがかなってそれでもちゃんとバランスも取れている、みんなが笑顔になれる世界にシフトしていきますように」

 

あ、ちょっとお願い多すぎだけど(笑)、せっかくなので最後にこれもねじ込んでおこう。

「慢性酸欠で免疫が低下する上、顔の劣化まで加速する“マスク生活劇場”の幕が下りますように」

 

f:id:wakuwakushincha:20211012073523j:image

オレンジ色のほんのり♬

この記事を書き始めている今は、10月8日(金)の夜です。

この記事は前半部分を今日書いて、残りの半分は休日の土曜日に書いて投稿しようと思っているところです。

この記事は、「今日」とか「明日」とか書くと、それがいつなのか、書いている本人すら混乱して書き間違えそうだなと今気づいたので^^;、8日(金)の出来事と、9日(土)の出来事を、見出しをつけて分けて書くことにしようと思います。

 

f:id:wakuwakushincha:20211008210043j:image

※子供たちが小さい頃遊んでいたレゴの “今もとってある唯一の1ピース” です✨

 

記事の主役の紹介

この時期のオレンジといえば、もちろん(僕にとっては)こちらですね!

f:id:wakuwakushincha:20211008203333j:image

はい、キンモクセイです(╹◡╹)

恥ずかしながら、僕は、キンモクセイの名前と “顔” が、昨年初めて一致したんです。そのキンモクセイに会える事を、今年はとても楽しみにしていました。

しかし、今年は例年より早く咲き始めたキンモクセイに、僕は気づくことができず、開花してまもなく台風が一気に花を散らせてしまったことをその数日後に知ったのでした。

それを知った時の思いはもうこれに尽きます。

「なんてことでしょう・・・」

 

先週末の出来事。

自宅への帰り道、歩いていると、少し先の一軒家の前に大きな緑の塊、そしてその緑の中には小さなオレンジ色の点々?

足早に近づいてみると・・・

f:id:wakuwakushincha:20211008181206j:image

「うわ、キンモクセイ、満開!!」

f:id:wakuwakushincha:20211008181336j:image

「日当たりの関係とかで遅咲きだったのかな?」なんて思いながらも、今年はもう会えないとあきらめていた、満開のキンモクセイに思いがけず会えた幸運を喜びました。

 

8日(金)の出来事。

朝の通勤電車の中。

この10月は、チャレンジ中のテーマにはしっかり取り組みながらも、出来るだけ花に会いに出かけようと思っている僕は、この土日はどこへ出かけようかと都内の公園の最新情報をネット検索していました。

まず僕の目に飛び込んできたのはこの情報。

f:id:wakuwakushincha:20211008182102j:image

上掲は都立日比谷公園の公式Twitterです。

「えーーっ?」と驚いた僕は、すぐに他の公園の情報を検索。

都立小金井公園の公式Twitter。

f:id:wakuwakushincha:20211008182258j:image

ホームグラウンドの国営昭和記念公園の公式HP

f:id:wakuwakushincha:20211008182405j:image

「9月の台風で散ってしまったキンモクセイが“二度咲き”してまた満開になっている・・・」

そう頭の中で反芻した瞬間、思いがけず、恐らくは感動でいきなり涙が出そうになり、「電車内でスマホを見ながら目を潤ませてるおじさんってまずいだろう(-_-;)」と、慌てて気を取り直す僕。

とにかく、想定外のとっても嬉しい出来事に、朝からほんのりワクワク気分になれました♬

 

しかし、この章を書いている現時点(8日の夜)での、東京の週間天気予報は・・・

f:id:wakuwakushincha:20211008211217j:image

明日の土曜日もあさっての日曜日も雨が降りそう。

 

深いため息 “やり場のない●●●” みたいなもの。。

 

でも・・・ここで運良く、つい先日書いた自分のブログ記事を思い出す。

「拳を開いて手放そう」

f:id:wakuwakushincha:20211008211948j:image

雨=散歩に行けない、って思い込みを手放そう。

 

「よーし、土砂降りじゃない限り、明日は花散歩に出かけるぞ♬」

 

9日(土)の出来事。

朝起きてみると、

「うわ、雨は降ってない!」

f:id:wakuwakushincha:20211009120005j:image

スマホの天気予報も・・・

f:id:wakuwakushincha:20211009082818j:image

「嬉しい方に変わってる!!(><)」

夕方前に雨が降るかもしれない、ということで、2つの公園に行きたかった僕は、花めぐり散歩で初めて移動に車を使うことにしました。

まず都立小金井公園へ♪

公園に着いた頃には少し青空も見えてきました^ ^

f:id:wakuwakushincha:20211009185119j:image

そしてこの公園で最もお目当てのキンモクセイの花木は、この写真の建物の両側に見える大きな木です。

f:id:wakuwakushincha:20211009185328j:image

近づいてみると♪

f:id:wakuwakushincha:20211009185422j:image

「あれ、だいぶ散っていて下の方にはもうあまり花が咲いていない・・・」

f:id:wakuwakushincha:20211009185510j:image

なので花が咲いている上の方をズーム接写。

f:id:wakuwakushincha:20211009185613j:image

うーん・・・期待が大きすぎたので。。。

園内の別の場所にもあるということで、気を取り直して行ってみました。

f:id:wakuwakushincha:20211009185802j:image

f:id:wakuwakushincha:20211009185831j:image 

やはり上の方だけ、です。

ホントにすごく期待してたんで・・・

その場でネット検索して調べましたが、キンモクセイの開花日数「3〜5日」と短いんだそうです。

いざ国営昭和記念公園へ

「咲いてるといいなぁ・・」って思いながら車のハンドルを握り、公園へ到着しました。

f:id:wakuwakushincha:20211009190644j:image

青空がだいぶ増えて日も差してきたことで、思いがけず汗ばむ陽気になってきました♪

 

園内でキンモクセイが植樹されている場所へ足早に歩く僕。

 

着きました。こちらがそのうちの1本。

f:id:wakuwakushincha:20211009191118j:image

f:id:wakuwakushincha:20211009191132j:image

一応、覚悟はしていたけど。。。。

その後、「咲いているエリア」と公式HPに出ていた場所を探して歩き回りましたが、キンモクセイの木自体がどうにも見つからず、に加えて、他の花に浮気している間に時間はどんどん経ち、ついに閉園1時間前の園内アナウンスが。

 

公園の有料エリアの退場ゲートを出ると、公園から駅の方へ続く一本道を100メートルほど、これまた足早に歩きました。行き先はキンモクセイが何本か植樹されていた記憶のある場所です。

 

到着。こちらが目的地のキンモクセイの木です。

f:id:wakuwakushincha:20211009195856j:image

今日出会った中では一番開花していました・・^^;

少しだけ報われたような気持ちで、僕は何枚か写真を撮りました。

f:id:wakuwakushincha:20211009200222j:image
f:id:wakuwakushincha:20211009200219j:image
f:id:wakuwakushincha:20211009200217j:image

 

ほんのり幸せな結末を。

自宅の駐車場に着くと、僕は運転席に座ったまま、身につけていた万歩計の歩数を確認しました。

f:id:wakuwakushincha:20211009201054j:image

※自宅に帰ってからの撮影です。

移動に車を使ってこの歩数だから、いつものように電車で移動していたら3万歩を超えたかもしれません。

「今日は朝の出発時から、満開間違いなし!、って信じ切っていたから、あまりの想定外の事実にやっばりちょっとがっかりだったなぁ・・・」

その瞬間、ふと「行ってみよう」って思いついた場所がありました。

その時の時間はまだ17時20分ぐらいだったんですが、もう夕方から夜に入りかけぐらいの明るさだったので、「見えるかなぁ・・」と気にかけながらも足早にその目的地へ。

 

約3分で到着。これがその目的地の目的物です。

f:id:wakuwakushincha:20211009202329j:image

この記事の前半で書いた、「先週末出会った、一軒家のキンモクセイ」です。木の下にはだいぶ花が落ちていましたが、この明るさでもまだ上から下までほぼ満開に見える咲きっぷりでした。

1枚だけフラッシュ点灯で接写させていただきました。

f:id:wakuwakushincha:20211009202848j:image

実はこの一軒家は、上の娘が小学校の頃に通っていたピアノ教室の先生のご自宅なんです。ピアノを始めた時の先生になります。

娘は、その先生に2年間ぐらい習った後、別の先生の教室へ移って中学3年の半ばまでやってピアノの習い事は辞めています。

娘のピアノの集大成の場となったのが、中学3年生の合唱コンクールのクラスと学年のピアノ伴奏。

その合唱曲の動画をアップしてくださっているYouTuberさんがいらっしゃいましたので、お借りして載せます。

【合唱曲】 信じる - YouTube

※この動画のピアノ伴奏は僕の娘ではありませんし、歌っている皆さんも娘の中学校の生徒さんではありませんm(_ _)m

中学校最後の合唱コンクールでのその娘の晴れ舞台のことは、僕にとっても感極まるに近いほどの本当に印象深いものでした。さらに僕個人にとっても大きな気づきになるものがあったので、実は、ブログを始めた頃の過去記事の中で綴っています。

娘の晴れ姿での感動を思い出させてくれた上に、僕にとっての「信じることの大切さ」をリマインドしてくれた、娘のピアノの先生だった方のご自宅の “オレンジ色” に、撮影直後に「ありがとうございました」って小さくつぶやいてみたら、「僕の今年のキンモクセイの物語はもうこれでOKってことにしよう」って気持ちになれました(╹◡╹)

 

オレンジ色ってどんな色?

この記事、当初の想定では、「後半は、文章は最低限にして、オレンジのキンモクセイの花の写真三昧で華やか且つシンプルに終わらせよう♬」ってささやかに夢見ていたのですが(笑)、三昧にできる事実に出会えなかったことで、思いがけないストーリー展開になりました^^;

せっかくタイトルに「オレンジ色」って使ったので、最後にオレンジ色について、ネットでザーッと見て知ったことを書こうと思います(╹◡╹)

オレンジ色は、一般的なイメージ通り、ポジティブな特徴としては、「楽しさ」「明るさ」「暖かさ」「元気」さらには「社交性」あたりが挙げられています。

この色の日常での活用法としては、明るい気分になりたい時、とか、人と関わりを持ってうまくやりたい時、さらには、逆につらいことや落ち込むことが起きて癒されたい時、などにあえて身につけたり目にしたりするといいみたいです。元気がない時にあえてこんな元気な色を、って、僕にはなかなか思いつけない発想ですが(^^;、それぐらい画期的だからこそ効果が「ある」のかもしれませんね♪

この色について、僕が最も「へー、すごいなぁ」って思ったのは、「大切なものは自分の外側でなく内側にあることに気づける」=「自立のパワーが湧いてくる」というものです。

ふだん、僕が身につけたり、使っているものに、オレンジ色はなかった気がしますが、自立力・自律力の向上は僕の大切なライフテーマなので、今後意識して取り入れてみようかな、って思います♬

 

f:id:wakuwakushincha:20211009220331j:image

手放そう。

今日はオフィスへの出勤日。

今日のオフィスの出社率は2割ぐらいでしょうか。

昼休みの時間にこの記事を書いています。

30分ぐらいしかないけれど、朝、心が動いたことを少し書きたくなりました。

先日買ったCDアルバムの曲を、昨夜、スマホのiTunesに収録しました。歌詞のあるCDアルバムを買ったのは15年ぶりぐらいです。

朝の通勤電車の中で聴きながら約50分。僕の通勤時間は徒歩も入れると片道80分、ちょっと長めです。

あと数駅で下車、のタイミングで聴いた、アルバム最後の曲。それがこちらです。

 

Fujii Kaze - Kaerou (Official Video) - YouTube

 

歌詞の最初から最後までの全てに対して心動いてしまったので、一部だけ切り取れなかったもので・・長くなってしまいますが、歌詞をフル引用させてください。

 

帰ろう

作詞・作曲:藤井風

あなたは夕日に溶けて
わたしは夜明に消えて
もう二度と 交わらないのなら
それが運命だね

あなたは灯ともして
わたしは光もとめて
怖くはない 失うものなどない
最初から何も持ってない

それじゃ それじゃ またね
少年の瞳は汚れ
5時の鐘は鳴り響けど もう聞こえない
それじゃ それじゃ まるで
全部 終わったみたいだね
大間違い 先は長い 忘れないから

ああ 全て忘れて帰ろう
ああ 全て流して帰ろう
あの傷は疼けど この渇き癒えねど
もうどうでもいいの 吹き飛ばそう
さわやかな風と帰ろう
やさしく降る雨と帰ろう
憎みあいの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう

あなたは弱音を吐いて
わたしは未練こぼして
最後くらい 神様でいさせて
だって これじゃ人間だ

わたしのいない世界を
上から眺めていても
何一つ 変わらず回るから
少し背中が軽くなった

それじゃ それじゃ またね
国道沿い前で別れ
続く町の喧騒 後目に一人行く
ください ください ばっかで
何も あげられなかったね
生きてきた 意味なんか 分からないまま

ああ 全て与えて帰ろう
ああ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの
ありがとう、って胸をはろう
待ってるからさ、もう帰ろう
幸せ絶えぬ場所、帰ろう
去り際の時に 何が持っていけるの
一つ一つ 荷物 手放そう
憎み合いの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう

あぁ今日からどう生きてこう

 

僕とは親子ほども歳の差がある彼の曲は、そんなことどうだっていい、って思わせてくれるほど深い。

 

「あーこれは“握りしめちゃってるな、、” って気づいた時には、意識して“拳”を開いて手放すように心がけて生きていかなくちゃ。」

「なるべくなら、いつだって“手放している”状態でいられた方が、軽やかに幸せに感じて生きていけるのかもしれないな・・・」

 

あらためてそんな風に思ったら、今日の小雨混じりのどんより天気を、可も不可もなくありのままに受け止められた気分になっている自分に気づきました。

 

 

今週末は、お天気が大丈夫なら、花をめぐる散歩に繰り出したいなって思っています♬

 

f:id:wakuwakushincha:20211007125624j:image