今日の記事は約1年ぶりのショートショートショートです。計5編の短編でお届けします(╹◡╹)
🍀あなたを忘れない。
この花、きっと皆さまのお住まいの近くでも目にされることがあるのではないでしょうか?☺️
この花の名は『シラン(紫蘭)』、紫の蘭、覚えやすいですね♪
この花は実物の美しさが写真になるとだいぶ目減りしてしまうなぁっていつも感じる花のひとつです。
この花の花言葉には「あなたを忘れない」というものがあります。
今後僕はどんな時に「あなたを忘れない」って思うだろう....って思いを巡らせてみたら、現時点での答えはこれでした。
「自分が人生の最期を迎えた旅立ちの時に、この世に残す愛する家族に対して」
🌅『大きな希望』の“トリセツ”。
カルミアの花言葉は『大きな希望』
大きな希望は「生きがい」や「今を生きる活力」になるポジティブな思いですよね♪
もちろん僕もそう思っていますが、でも“取り扱い方法“を誤るとともすればネガティブの引き金になりうるものかもしれないなぁ、って、これまでの僕自身の人生経験から思うのです....
大きな希望は、より具体的にイメージしてそれが達成された時に得られるだろうワクワクを今ここで感じきれるぐらいまでになると実現しやすい、って、何かの本で読んだ記憶があります。
「引き寄せの法則」を信じている僕的には、確かにこれがちゃんとできるとそうなるのかもしれないって思います。
しかし、これって雑念が邪魔しまくってなかなか上手くできない人の方が(僕を筆頭に)世の中には多かったりするのではないかなぁ、とも思うのです。
だから多くの人は、大きな希望を叶えたい時、その実現に向けた実行プランを立てる選択をする。
これも現実的かつ有効な選択だとは思うのですが、実行にあたっては注意した方がいいと思うことがあります。
大きな希望達成までのプランはきめ細かく立てすぎると、そのプラン通りに出来なかった時に自己肯定感が落ちて取り組みを継続するのがだんだん苦になって「今ここが不幸せ」になってしまうので、方向性は見失わないようにケアしつつも、できるだけ“ゆるーく”立てた方がいい
大きな希望と自分の今現在の立ち位置との距離が気になりにくいゆるーい実行プランを立てることで、1日の終わりの感覚が「少なくとも今日やれたことで昨日よりは希望の実現に近づけた♪」ぐらいになると、自己肯定感が得られて幸せに1日が終えられるし、「また明日も楽しみ♪」って続けられるように思います(╹◡╹)
目標達成のためには苦しい思いに耐えて頑張ることが「不可欠」って、僕らは子供の頃からなんとなくそれが当たり前かのように刷り込まれてきたけれど、「それは全く本質じゃなかったな」って、半世紀以上生きてきて確信しています。
大きな希望を持つことによって今ここの自己肯定感が落ちて不幸せ感が生まれるぐらいなら、その大きな希望は捨てた方が人生幸せなのかもしれません。
人は確実に訪れる保証のない未来での大きな希望を叶えるために生きているわけではなく、今ここで日々幸せを感じるために生きているはず、って思う僕は、大きな希望を持つのならそれを今ここの幸せに役立てるように取り扱おうと思っています(╹◡╹)
👐しばしの憩い。
何回か前の記事でスポットライトを当ててた『ミヤコワスレ』
悲しいエピソードが名前の由来とされているので、その花言葉にはもの寂しいものが多いですが、その中でひとつ「でもこれは大切だよな」って思うのが、しばしの憩い という花言葉です。
人は不安や怖れに象徴されるネガティブな感情に由来する緊張を長い期間続けていると、“ゴムが伸びて元に戻らない”状態になります。その期間の長さは人によりまちまちですが、ずっと伸びたままでいると人間ならいつかは誰でも“戻らない状態”になって、健康に支障を来たすことになると思います.....
しばしの憩い、とは、例えて言うと、“握りしめているものを手放す”時間を持つということです。
「手放す」というのは自分の思い通りにしたいという強い執着心をゆるめる、あるいは一時的に完全に忘れるということ。
「手放す」ための時間を意識的に持つことが、人生を元気にワクワク生きていくためにはとっても大切な気がします。
学校教育では「幸せに生きるためのコツ」として、そういうことを子供たちにしっかり教えてあげて欲しいな、って、僕はそう思います。
🎬人が見ていない場所。
先日のウィークエンドにこちらの映画を観てきました(╹◡╹)
youtu.be
あらすじは公式HPから拝借して
映画『ミッシング』公式サイト|2024年全国公開
この映画を見ようと思うに至った一番の理由は、「石原さとみさんの迫真の演技がすごい」と聞いていたからでした。トレンディードラマ出身のアイドル女優という、僕がまだ払拭しきれていない石原さんへの思い込みの印象がこの映画を観て一気に壊されることを一番の期待として映画館に足を運びました。
鑑賞後の第一感想は、「この映画、きっと来春の日本アカデミー賞の最優秀作品賞、最優秀主演女優賞以下各賞総なめにするんじゃないかな☺️」です✨
石原さとみさんの演技はまさにプロフェッショナルの役者さんでした✨助演の俳優さんも見慣れた方々だと言うのに、この作品はドキュメンタリーの実録を観ているかのような感覚🫢
「この事実を観てあなたは何をどう考えましたか?その感覚をどうか持ち帰ってこれからの人生になんらか役立てていただければ幸いです」みたいなお土産をもらって映画館を出た感じ、でしょうか。
僕がこの映画からもらったお土産(問いかけ)は以下の3つです。
- マスメディア情報とどう付き合っていますか?
- 生きるとは?
- 人が見ていない場所、ってあなたにとって?
1の「マスメディア情報」に対する僕の考え方は、これまでに何度も引用している下掲の記事の内容通りなので割愛します。
「現実は事実の選択の仕方や組み合わせ方でいかようにも誘導できる」
wakuwakushincha.jp
2の「生きるとは?」からのインスピレーションを鑑賞後の感覚優先で短く表現すると、「人生の時間とは誰にとっても例外なく今ここ以外にはない」、でしょうか。
そして3、「人が見ていない場所、ってあなたにとって?」ですが、僕にとって2つの意味があるように思います。
ひとつは「ほっと安心できるところ」、です。
社会で人に関わっている時間は、その時ならではの幸せ体験ができる価値あるものではありますが、でも多様な人の中にいる時間というのは絶えず一定の“見られているゆえの緊張感”のようなものが続いていると思うのです......だから家に帰った時の最初の感覚が「なんだかホッと安心する」なのではないのかな、って思います......
そしてもうひとつは.....「魂のレベルが測られている場所である」、でしょうか。
僕は少年時代のいつ頃からか、「人が見ていない場所でこそ後ろめたい行動はとってはいけない」「そんな場所で後ろめたい行動をとらないでいられるかどうか、良心に忠実な行動をとれるかどうか、が人の本当の価値」みたいな感じで意識するようになっていました。
「誰か他の人が見ていなくても“僕”に見られているので、後ろめたい行動を取ると自分自身から責められる終わりのない辛い日々を送ることになる」
この映画での「人に見られていない場所」とは、匿名でのSNSやネット環境、そして匿名電話が該当します。
「正しさは人の数だけある」
自分の正しさが絶対正義である保証などない中で、その主観的な正しさを拠り所に、匿名という“安心安全環境下”で誰かを深く傷つけうる言動をすることは、僕にとってはものすごく後ろめたく良心に反することなので、何よりまず自分のこころの平和のために今後もやりません。
映画『ミッシング』 すごく深くて制作に込められた思いに良心を感じる映画作品なので、「機会あればぜひご鑑賞を!」とお勧めしますが、人によっては、“気持ちが落ち込んでいる状態だと元気がもらえるトーンではない内容” かもしれないので.....(ご自覚として)メンタルが普通の状態以上の方へお勧めしたいと思いますm(_ _)m
今度観てみたいなとお感じになった方は、こちらの映画紹介動画もどうぞ☺️
youtu.be
🟢緑の大地で。
この記事の最後、5編目では、久しぶりに和泉宏隆さんのソロピアノ演奏をお届けしたいと思います♪
曲のタイトルは『TERRA DI VERDE』イタリア語で『緑の大地』だそうです☺️
今日の記事のここまでの計4編を書き上げた後でこの曲を聴いていると、なんだかこんなメッセージが静かに頭に浮かんできます....
“それでもまだ僕らは今ここに生かされているのだから“
youtu.be