こんばんは^ ^
あっという間に、年が明けてからはや約3週間経ってしまってはいますが・・・
今日の記事は、今年の元日の夜に、何十年ぶりかで僕が突然もらった “お年玉” のことを書きます ♪
まずはお年玉のご披露を。
元日の夜にもらった嬉しい“お年玉”。
それはこれなんです。
「字が急にまたちゃんと書けるようになった!!」
なんのことだかさっぱり分かりませんね^^;
以下、今日は「起承転結」を意識して、ご説明してみたいと思います 。
起:かつて硬筆は「特技」でした。
小学校の低学年から、「お習字」を習っていました。ですが、あまり上手くならない上、書いてても楽しくない。手習いの一環として?親から「行け」と言われて仕方なく行っていた感じの習い事でした。
小学5年生。
この1年間は、今までの人生を振り返って唯一、僕に “神様が降りてきた” 年だったんです。
あらゆる見るもの聞くもの、「自分にもできるんじゃないかな・・」って思いが湧いて、実際にやってみると、「ほら、やっぱり出来た ♬」みたいな感じの経験がたくさんの1年でした。
「硬筆」もその中のひとつだったんです。相変わらず「お習字」の方は今ひとつでしたけど^^;
そんな小学5年生のある日のこと、次の日が硬筆の課題提出日で、その夜、母に、「遅くなるから早くやってしまいなさいよ〜」と促され、コタツの机の上にお手本と清書用紙を置き、それらを見つめる僕。
ふと浮かんできた思い。
「要はこのお手本にそっくりに書けばいいんだよねぇ・・、なんかできちゃいそうな気がするけど。。よし、やってみよっと♬」
そして仕上がった作品。
「うーん、結構お手本みたいに書けたかも♬」
翌朝、学校へその作品を提出しました。
クラス全員の作品が、教室の外側の壁(窓?)に一斉に貼り出されて、審査が終わると、金賞、銀賞、銅賞の作品には、それぞれの賞の色の短冊みたいな紙が作品の右下に貼られる、というのは、当時はきっとどこの小学校でも同じだったのでは、って思います ♪
審査があったその翌日の朝。
僕の“神作品”(笑)の右下には『銀色』の短冊が!
そして朝一番の出欠確認の後、先生がみんなの前で当年の審査結果について説明。
その時に先生が話してくれた、僕の作品へのコメントのキーフレーズは今でもしっかり覚えています。
「金賞に近い銀賞」
その翌年の小学6年生以降、中学3年生まで、僕の提出作品は、毎年、市への選考までは行っていたみたいです。
僕は、その数年で、
「習字はイマイチだけど、硬筆ならきれいに書ける!」という秘かな自信を得たのでした🍀
承:“快”と“ふつう”の狭間での葛藤
変な持ち方
中学校3年の時の「数学」の授業の時間の出来事。
おそらく何か課題を出されて、生徒各自がノートに向かってやっていた時だと思うのですが、
机の周りを巡回している先生が、僕に一言。
「ん?、お前、なんか鉛筆の持ち方、変だぞ。」
それに対して僕。
「いいんです。これで上手く書けるんで。」
それに切り返す先生。
「いや、絶対おかしいよー。変な持ち方。」
言葉ではうまく説明できないので、当時の僕の鉛筆の持ち方を再現します。
僕の持ち方はこう。
親指が人差し指に深く被さる、
いわば、“握るような見た目”の持ち方でした。
僕は、この時の先生からの一言で、「自分の持ち方が人から見るとかなりおかしく見えること」を知る一方で、それを受け入れることに抵抗を感じ、「そのおかしさが気にされないぐらいきれいな字を書いてやる!」って思った記憶があります。
でもそれ以来、字を書いているところを人に見られることがだんだん気になるようになっていったのです。
「世間のふつう」への“すり寄り”?
そして、今から15年ぐらい前、「変な持ち方」って先生に言われてからだと25年後ぐらいでしょうか、僕は“正しい持ち方”に替えることにしたんです。
そのきっかけは、シャープペン等の消せる筆記具を使って字を書いた時に自分の納得できる字を書けないとすぐ消して書き直さないではいられないという自分のクセを改善したくて、常用の筆記具をボールペンに替えたことでした。消せない筆記具を使うことで、自分の “前進力” をもっと高めたいって思ったんです。
その時に望んでいたのは、「きれいな字よりもスピード」。
その時の判断はこんな思考の流れでした。
字が書き直せない → 納得のいく字が書けなくてもそのまま行くしかない → 上手く書こうとする思いがなんだか薄まる → ちゃんとは書けない「正しい持ち方」でももはや字の見栄えに大差ないかも → それならいっそ「正しい持ち方」に替えてみるか・・
なんて思って始めた「正しい持ち方」でしたが、最初のうちは自分でも笑ってしまうような力の入らないフニャフニャな字になってしまっていました。
でもそのうち(どれぐらい時を要したか覚えていないのですが結構長かったような・・)、人に見られても違和感を持たれないぐらいの字は書けるようになり、以降は無難に年を積み重ねてきました。
転:“オカルト”症状あらわる
実は数年前から、字が書きにくくなっている自覚があったんです。間違えられない類の清書系の書類に字を書く時は、気持ちが整っているからなのでしょうか、まぁ大丈夫なのですが、それ以外の時、特に人の話を聞きながら手早くメモをとるといった時がひどく。。
字が書きにくいというのは、
具体的に言うと、
まるで子供の頃に観たオカルト映画みたいに、
“自分の書こうとしている文字よりも手が勝手に先走ってしまい、書いている文字がそのうち自分でも読めないようなグチャグチャになる” 症状です。。。
これを目の当たりにするとあせってしまい、さらにグチャグチャに拍車をかけるんです。
これは年々ひどくなってきてる気がして、近年、僕は字を書くという行為がちょっとばかり憂鬱になっていました。
「昔はまともな字が書けたのに、なんでこんなことになってしまったんだろう・・( ; ; )」
結:元日の夜の“お年玉”
今年の元旦の夜、僕は“年頭所信”を書くために、手帳に向かっていました。
年始ゆえか気持ちが落ち着いていることもあり、自分で嫌にならない程度の字は書けるのですが、でもなんか書きづらい気がするし、気持ちよく筆が進みません。
その時に思ったこと。
「今年の初日なんだから、とにかく今日はただ気持ちよく書きたい!!」
その次の瞬間、僕の心にフッと浮かんできたこと。
「例えば昔の持ち方に戻した途端に、昔みたいに書けるように戻ったりしたらいいのに・・・」
その心のつぶやきと重なるように、僕はあの “握りしめる持ち方” を15年ぶりに解禁。
ペンを手帳に走らせました。
「あれ・・・。なんかスムーズに書けてる?」
もう少し書いてみる。
「あれあれ?なんかいい感じで書けるじゃん!!」
(埼玉育ち丸出しでの独り言で失礼しますm(._.)m)
この元日の夜以来、僕はずっとこの持ち方で字を書いています。メモの早書きの時も、人差し指にかぶさっている親指が、手が先走りして動こうとするのを抑え込んでくれているような効果と安心感があって、少なくとも昨年までとはぜんぜん違います ♪
書くことの憂鬱さが薄れて、文字を書くことの楽しさが、なんだか少し戻ってきたような気がしているんです(╹◡╹)
以上が、元日の夜に、僕が思いがけずもらうことのできた、 “お年玉” の話でした♬
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
って結びで、この記事は終わるはずだったんですけど、、3日ぐらいに分けて少しずつこの記事を書いている最中に不測の事態があったので、その話を追記して結び直したいと思います^ ^
正しい持ち方
“握り持ち”の写真と一緒に、“正しい持ち方”の写真も入れよう、と思ったのですが、その前に、念のため僕の認識している正しい持ち方が本当に正しいのかを確認しておこうって思い、ネット検索しました。
その確認結果を僕が再現するとこんな感じです。
「ん?僕が認識している正しい持ち方と、なんか少し違う。。」
僕が約15年やってきた“正しい持ち方”を再掲します。
ネットに出ていた、「人差し指が前に出て、その指に親指を添える」感じの持ち方を、試しにやってみました。
「あれ、、、“今までの正しい持ち方”よりもはるかに書く手をコントロールしやすいかも・・・」
結び直し。
“握り持ち”を解禁したおかげで、僕に、文字を書くことの喜びが戻ってきました♪ そして、このことをブログの記事に書こうってやっていたら、思いがけず、世の中で伝承されてきている “正しい(望ましい?)持ち方” を、なんとこの歳になって(笑)知ることもできました♬
この3週間の出来事を、“お年玉”になぞらえて言うとこんな感じでしょうか。
「お年玉袋を開けたら、『気持ちよく字が書ける券』というのが入っていたので、喜んで使い始めました!」
「その数週間後、空になっているはずのお年玉袋の中に、もう一つ何か入っていることに気づきました。」
「取り出してみると、それは、『君にもきっとできる、正しい持ち方』って書いてあるミニカードでした(笑)」
ネットで知った“正しい持ち方”は、“握り持ち”ほどではありませんが、人差し指が手の先走りを抑え込んでくれる感じの安心感はあるので、当分は “握り持ち” と、気分によって併用していこうかなって思っています(╹◡╹)