はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
こんにちは♪
今日の記事は、東京オリンピック開会式の日に投稿した、という記憶にしたくて、今日のこの日を選びました(╹◡╹)
オリンピックの華やかさに馴染まない感はありますが^^;、テーマは「ひとりぼっち」です。
まずは懐かしいこの歌から。
きっと40代半ば以上の方の多くがご存知じゃないかなって思います^ ^
『みんななかよし』
歌:東京放送児童合唱団
作詞:北川幸比古 作曲:桑原研郎
口笛吹いて 空き地へ行った
知らない子がやってきて
遊ばないかと笑って言った
ひとりぼっちはつまらない
だれとでも仲間になって
仲良しになろう
口笛吹いて 空き地へ行った
知らない子はもういない
みんな仲間だ なかよしなんだ
旧NHK教育テレビの『みんななかよし』。
小学校3、4年生の頃、道徳の授業の時間に見た記憶があります。学校のテレビが白黒だったのか、制作がもともと白黒だったのか、とにかく白黒映像だったような気がします。学校でみんなでテレビが観れるってだけでなんだか嬉しく楽しかった時代ですね^ ^
僕が小学校で観ていた時のオープニングは、航空撮影した空からの映像だったような気がしますので、おそらくは “その後バージョン” だと思いますが、その動画をYouTubeにアップされている方にお借りしてURLを貼らせていただきます。良かったらご覧ください ^ ^
独身寮での思い出。
会社に入社して大阪に営業職として配属された僕は、当時、大阪の堺市にあった会社の独身寮で新生活をスタートしました。同期入社の仲間10名と一緒です。2人部屋生活者が6名、残りの4名はひとり部屋でした。
ふと気づけば、毎日の仕事が終わって寮に帰ってきて夕食と風呂を終えるなり、大半の同期が人気のある特定の2人部屋に雑談を交わしに集まるようになっていました。
「おー、おかえり〜。今日はどうだった〜?」「聞いてよ、もう大変だったよ(>_<)」みたいな、新入社員ならではの会話ですね。
眠くなるとパラパラと自分の部屋にはけていくのですが、集まった全ての人がその部屋を出て自分の部屋に戻り終わるのは深夜1時過ぎだったようです。
そんな毎日が2ヶ月ぐらい続いたある日、集合場所となっていたその2人部屋の住人の1人からギブアップ宣言が出ました。
「2人部屋で自分ひとりの時間がないだけでも辛いのに、みんなに来られていつまでもいられたら本も読めないし寝ることもできないし・・・お願いだからもう来ないでくれ!(T_T)」
このギブアップをする数週間前に、その彼が、部屋に来ているみんなに向かって、笑顔で唐突に口ずさんだ歌のフレーズがこれでした。
「ひとりぼっちは おもしろい〜♬」
『みんななかよし』のワンフレーズ替え歌です。
なんだかそのヘンテコな歌詞を聴いた僕らは、単なるウケ狙いだと思い、笑って受け止めていたのですが、彼はみんなにこれで察して欲しかったんですね・・・
今ならさすがにわかる。
独りの時間は心のバランスを整える上でもすごく大事ですよね。
独りが大好きな人でも。
5年前に父が亡くなってから埼玉の実家でひとりで生活してくれている母。
それ以来、母がよく口にしていた言葉は、
「みんな、独り暮らしは寂しい寂しいって言うけれど、私はなーんともない。昔から私は独りは気楽で快適でだーい好き、どうしてみんなあんなに寂しい寂しいって言うのかホントに不思議で仕方ない。」
でした。
しかし、コロナ禍で孫たちと会えなくなって1年が過ぎた辺りから、毎朝のメールに時折、こんな意味の言葉を目にするようになりました。
「寂しくてたまらない。」
ほんのしばらくの限定期間の辛抱、だと信じていたのに、いつまで経っても収束の兆しが見えない状況を認識した時、独りが大好きだった母が「独りは寂しくもなんともない」、ではなくなりました。
しかし、「感染が怖いから東京の人は来ないで!」という昨年からの母の強い意向は取り下げになったわけではなく、電話、メール、宅配での贈り物、以外になす術がない現況。ジレンマは続いています。
花散歩はいつも独りだけれど。
季節の花をめぐる散歩。この時、僕はいつも独りです。マイペースで好きなだけ歩ける♫ 好きなだけ立ち止まれる ♪、好きなだけ気に入った花の写真が撮れる♬
だけど、この散歩で素敵な花の写真が撮れると、僕は妻へ、撮ったばかりの写真をその場からスマホで送ります。
これは、「夫婦の良好な関係維持が目的で送ることにしている」、わけではありません。
「見て!こんなに素敵に咲いているよ♬」って、最愛の人に伝えたい気持ちが自然に湧いてくるんです。
「つながり」 時々 「ひとりぼっち」
僕が働いている会社は60歳定年制です。そこから先は再雇用制度という受け皿になっています。僕にとって節目の年齢まではあと数年。その節目の年齢以降をイキイキと生きていくために必要なことは?
僕は“独り遊び”は得意なので(笑)、独り遊びスキルをこれ以上高める努力は特に必要なさそうです。
だけど、どんな独り遊びをするにせよ、それをワクワク楽しめるためには必須だと信じていることがあります。
それは『つながり』を失わないことです。
つながりの対象の一番身近なものは、僕にとってはまず「家族」そして「友人」ですが、それに加えて「社会」とつながりを実感できている状態を確保することがとっても大切であるように感じます。
それらのつながりを持っているからこそ、ひとりの時間を安心して満喫できるんだと思うんです。
それは、不特定多数に交流を拡げる、という意味ではありません。
「社会の中で、そこに自分がいることを無条件に許されていると感じられる場所」、あるいは「社会の中で、何らかの形で自分が役に立てていると実感できる機会」。
この2つ、あるいは少なくともいずれかがしっかり持てていることが、これからの人生でひとりの時間をおもしろくするための大切な鍵なんじゃないかなって思っています。
けれども、もし、家族、友人、そして社会とのつながりの全てを失ってしまった時には・・・
実感を持っての想像が難しいですが、その時にはきっと人間以外の生き物とのつながりを求めるのでしょう。しかしそれも無理になったら、きっと “地球” とのつながりを求める気がします。空、川、海、風・・・
つながりが実感できる毎日があるからこそ、ひとりぼっちの時間がおもしろいと感じられる。
そして、ひとりぼっちの時間があるからこそ、つながりの日常も楽しめる、ということもまたしかりなのかもしれません(╹◡╹)
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東京オリンピック。
「本当にやるのかな、やれるのかな」って思ってましたけど、ついにスタートの日を迎えましたね。
僕はこのブログのプロフィールに「昭和の東京オリンピック開催年生まれ世代」って書いていますが、この「年生まれ世代」という言葉、実は「僕は開催年生まれではなく、その翌年の早生まれ」って意なんです^^; 「学年は一緒!」ってやつですね。
昭和の東京オリンピック
東京の上野に『下町風俗資料館』っていう小さな施設があります。ハスの花で有名な不忍池沿いにあるんですが、不忍池のハスの花はこんな感じでもうかなり咲いていました♪
そして、資料館ではこんな企画展が。
「自己責任で写真撮影可」だったので、少し緊張感を持って撮影しました^^;
この企画展の中に、1964年10月開催の東京オリンピックに関する展示がありました♬
生誕の継承
気になったのはこちらの展示です。
このモノクロ写真の中央前方に建っている噴水塔。
これは、1964年の東京オリンピックの前に、当時の上野公園入口に設置されたのだそうです。
そして噴水塔の上に立っている彫刻。これは台東区名誉市民の彫刻家、朝倉文夫さんという方の作品です。
彫刻のタイトルは『生誕』。そのコンセプトは、「戦後の焼け野原から復興した新生日本で立ち上がる若人を釈迦誕生のポーズに重ねた」ということだそうです。以降ずっと公園のシンボルとして親しまれていたそうですが、2001年に地下駐車場建設のため撤去されたとのこと。
しかし。
今回の東京オリンピックを前に、「生誕の継承」という想いを込めて、場所を不忍池畔に移して約1年前に再設置されたんですね。
「えっ、池畔・・・あ、あったかも!」
資料館を出て右へ数メートル歩いたところには。
ありました!『生誕』の像。
この彫刻が、「コロナ禍が長く続く今こそ、戦後に当時の人たちが感じていたであろう平和の有り難さ、そして一人ひとりが復興に向けて、自律意識をしっかり持ちながら1日1日を目一杯生きることをがんばっていた、あの“初心”を思い出そう!」ってメッセージを発しているように思えました。
僕は、“自分が生まれてから初めての” 東京オリンピックの競技自体をもちろん楽しみにはしていますが、でも今一番感じていることはこれなんです。
「全ての国の選手、関係者、そして観戦する全ての人が、何よりもまずは無事に、そして笑顔で大会最終日を迎えられますように。」
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ご挨拶。
実は、本日のこの記事投稿をもって、自身のブログの運営を無期限休止にすることに決めました。
最短で来春まで予定している、これからの人生の岐路となりうるチャレンジの具体的な内容とスケジュールが先日明らかになったのですが、今の僕の器量・技量では、ブログを完全に断たない限り、全集中での取り組みはとてもできないと痛感したことが理由です。
ここまで書いて約3,800字。もうだいぶいい文量になってしまっていますが、、最後に免じて、あと2,000字ぐらいお付き合いいただけると有り難いですm(_ _)m
このブログをスタートする時に決めたことがありました。
それは、年齢にとらわれることなく、自身の「ing」の姿を見せること。「ing」とは「成長志向でいる」ということです。
成長志向の前提は、「自分は発展途上にあるのでうまく出来ないことも多いけれど、それゆえにこれからも人としてずっと成長し続けていける余地がある」と信じた上で、その成長のために必要なヒントに気づき、そのヒントの活かし方を考え、行動に移すことを続ける、ということです。
僕は、会社での仕事柄、20代の若手社員とも気軽に会話できる・会話してもらえる関係が、社内の同世代の人たちよりも多く持てている恩恵を受けています。コロナ禍の前は、何人かの若手社員と時々「サシ」で飲みに行く機会も持てていました。
数年前のあるサシ飲みの時に、僕が何の気無しに口に出した言葉がこちら。
「俺、もうジジイだから(笑)」
これに対して、苦虫を噛み潰すような顔で即突っ込んでくれた若手社員の一言。
「年齢なんて関係ないっすよ!」
彼は、学生時代にグローバルな活動でリーダーシップ経験も持つ、英語堪能でとても優秀だけど決しておごりがなく素直な心を持った20代半ばの魅力的な若者です。
僕は彼の“愛ある苦言”からこの気づきをもらいました。
『多様性の時代をイキイキと生きていくために大切なのは、「“年の功ブランド”の認知獲得・拡大」よりも、「年齢に関係なく現在進行形=ingなハートを持ち続けられる自分の確立」である。』
このブログでは、たくさんの花の中に埋もれながらも(笑)、その「ing」を磨くために、普段の日常生活でわざわざは表に出さない「へなちょこな弱い部分」も取り繕わずにさらけ出し、前進するための “葛藤” や “苦悩” も、ごまかさずにほぼありのまま表現するようにしてきました。
そして、意図せぬ取り繕いやごまかしが顔を出しにくいように、「私」ではなく「僕」、「である」調ではなく「です・ます」調で文章を書いてきました。
また、これはとっても僭越なのですが、 “おおよそアラフィフぐらいの年代以上” の方々を意識しながら、「生涯現役のハートで行きましょうね!」っていう “同志な思い” で書いていたことも、最後なのでカミングアウトさせて下さいね。
実質9ヶ月ほどのはてなブログライフで得られたことを5点ほど書かせて下さい(╹◡╹)
- ブログ記事を書くこと、そして記事にアップする前提で花めぐりに繰り出して写真を撮るひとときは、ホントにほんのりワクワクで楽しかったです♬
- 皆さんのブログ記事を読ませていただいて、人生ってとっても多彩で一人ひとりが主役なんだな、って深く納得し、もっと多様性を受容できる器量を身につけて誰かと協働したり、あるいは誰かを応援したりできるようになりたいという思いに至れました ♪
- 自分が「ing」でいるために必要な気づきを数多く得ることが出来ました♬
- コメント欄非表示でも、たまに、ブックマークコメント × スターを通じて会話させてもらえているような感じが持てた時はほんのり嬉しかった ♪
- こんな小さなブログにもかかわらず、お1人だけではありますが、ブログの外でもご縁がつながれた友人ができました ♪
一方、今日の記事のタイトルの中にある「ひとりぼっち」に引っ掛けて、(取り繕わずにありのままがコンセプトのブログなので)正直に書くと、小さなブログ運営は、時折、ひとりぼっちの寂しさを感じてなんだか無性にせつなくなることがありました。「ひとりぼっちはつまらない」の方ですね^^;
コロナ禍が長く続き、家族以外のリアルなつながりがオフタイムでほとんど持てなくなってしまっていることが大きかったかもしれません。
それでもブログのコメント欄を表示していればもう少し違ったのかな・・・^^;
2021年7月23日;東京オリンピック開会式の日は、僕の『最終記事投稿記念日』になります^ ^
「もうブログ記事は書かないんだな・・・」「花の写真を撮ってワクワク貼りまくれることもなくなるんだな・・・」って思うと、ちょっとせつない気持ちも湧いてきますが、決めたことなので、前を向いて心のアクセルを踏みます!!
来春以降のいつの日か、ふいに「またブログやろう!」って内側から湧き上がってくるものがあるといいな、って思います♪
最後になりますが、
皆さんの「ブログライフを含む毎日の生活」が、さらにほんのりワクワク、いや、時にはほんのりも吹っ飛んでワクワクがあふれるものとなりますようお祈りします(╹◡╹)
こんなに小さく、マイペースなブログの記事を読みに来てくださり、どうもありがとうございました!
※2021年10月6日追記:ブログ再開しました。2021年7月23日の『最終記事投稿記念日』は『ワクワク開放記念日』に名称変更しています。