「し」で韻を踏んでおります(笑)
今日の記事の舞台は、東京の下町;深川エリアです。「めし」と「いし」が主役の2つのおはなしを書いていこうと思います(╹◡╹)
記事のスタートは、撮ろうと思えば余裕で?撮れたはずなのに、なぜか撮ろうと思いつけなかったがゆえに無料写真素材サイトさんのお世話になることになったこのワンショットからですヽ(´o`;
🍚めし。
タイトルの絵文字でお分かりのとおり、めしとは『飯』のことです。そして主役となるその飯とは、“下町の味”と言われる『深川めし』です♪
深川めし、ってご存じでしょうか?
先日僕は、老舗と言われているお店でこの『深川めし』をいただいてきました^^下掲は、そのお店の入り口の辺りに吊るしてあった「ご自由にどうぞ」の新聞風チラシです。
ここからのご説明は、上掲のチラシから引用させていただきます♪
ご存じない方のために、まずは「深川めしとは?」のご説明です。
かつて深川では江戸前のアサリがふんだんにとれた。漁師たちは、そのアサリのむき身を、ネギや油揚げといっしょにミソでさっと煮て、炊き立てのどんぶり飯に汁ごとぶっかけて食べた、手軽で安上がり。しかも味はめっぽうよく、栄養も満点。気ぜわしい江戸っ子にはぴったりの食べ物として、たちまち市中に普及した。一杯めし屋や露店の代表メニューとなり、おかみさんたちも、天びん棒を担いだアサリ売りから、とりたての貝を買い、酒で味つけしたり、大根の千六本を加えて、それぞれ家庭の味にしていった。
しかし、東京湾でアサリがとれなくなると、この深川めしはすっかり姿を消してしまった時期が長くあったようです。それが、日本食回帰の流れと千葉方面で味も形もよいアサリがとれるようにもなったことで復活してきた、という歴史だそうです。
今回、僕が深川めしの老舗に足を運ぼうと思ったのは、「深川めしが食べたい!」と、もよおしたからでなく、次のおはなしの舞台である「いし」のある場所からの徒歩圏にあるランチスポットだったからでした。
記憶の限り、外食で深川めしを食べたことはありませんでしたが、下掲の写真(無料写真素材サイトさん)のような“アサリたっぷり丼”のイメージです。
さてそれでは、この日僕が訪れた、深川めしの老舗でのランチタイムのご紹介に入ります♪
そのお店はこちら。大正13年創業の『割烹みや古』さんです。
店内の雰囲気はこんな感じ。
注文したのは『深川めしセット』です。
ネットで見た値段よりももう一段上がっていました。僕の庶民感覚的には「旅行に行った時のランチでないと出さないお値段」の域に足の指あたりまで入っていましたが(笑)、「ここまで値上げしないといけないぐらい大変なんだろうなぁ、、」と思ったので、「今回はまぁ旅行みたいなものだな!」って気持ちよく思い切ることにしました^^
では、蓋を開けます✨
第一印象。
「アサリ丼、ではない🫢」
言わば、“アサリの炊き込みご飯”でした✨
僕にはその美味しさを上手に表現する“食レポ”のセンスがありません🙇🏻♂️ 先ほどのチラシからこちらのお店の“料理方法”なるものを引用させていただきますので、お味のイメージを膨らませていただけると幸いです☺️
まず湯でコブダシをとり、塩、しょう油、酒、ミリンに調味料を加え、そこにアサリ、ネギ、油揚げを入れる。2、3分煮て、ザルにあげる。その煮汁で次はめしを炊く。炊き上がる寸前にザルの具を入れて、飯と混ぜ合わせれば出来上がり。ワッパに盛って出す。漂うイソの香、立ちのぼる湯気をフーフー吹きながら、かき込むのが最高だ。
完食して店を出た後、次の目的地に向かって歩きながら、僕は、小学生の頃に自宅で起きた“カレーライス論争”を思い出していました。
【カレーライス論争:あらすじ】
- 僕は幼少の頃からカレーライスが大好きだった
- 当時、母が作ってくれたカレーライスは大好きだったけど、具がほとんど“なかった”
- 料理は全くできない父が、なぜかたまたまカレーライスを作ってくれる機会があった
- そのカレーには具がゴロゴロ“入っていて”、僕はとてもそれを「すごく美味しい!」と称賛した
- それを受け「ゴロゴロある方が美味しいよな!」と、父は誇らしげに大いに調子づいた
- 「具がないわけじゃなくて、具が全部溶けるぐらい長時間煮込んでいるのよ」と母
- 「見えないもの=ないもの」だった僕は、その意味が全く理解できず、以降、母の作るカレーにも具が“増えた”
今回、老舗の深川めしには、アサリはゴロゴロは入っていませんでした。実はその素朴な?見え方にはちょっと盛り下がってしまっていたんです🙇🏻♂️
でもそれはきっと、「見えないからなかった」のでなく、かつて母が作ってくれたあの“具がないカレーライス”と同じように、アサリは“しっかり溶けこませてあった”に違いありません。
そう思い直して振り返ると、『割烹みや古』さんの深川めしは、アサリがしっかり全体の調和をとっている感じで、付け焼き刃ではとうてい出せないであろう、優しく深いお味の炊き込みご飯でした.....
思い込みのメガネを外して、あらかじめ旅行スイッチも入れて(笑)、今度また食べに行ってみよう♬
🪨いし。
タイトルに絵文字をつけても今ひとつわかりにくいですね(笑)いしとは『石」のことです🪨ヽ(*´∀`)
深川めしランチを終えて僕が次に向かった場所。
『清澄庭園』。初めて訪れる都立庭園です♪
三菱の創業者、岩崎弥太郎さんが明治時代に社員の慰安や貴賓を招待するために造園したものを、それから約半世紀後に当時の東京市が寄付されて都立庭園となったのだそうです。
この庭園の印象は「石庭」です。
この季節、ということもあるのですが、“花より石”、大袈裟に書くと、“全ては石のためにある”みたいな心を感じる庭園、です🫢
この都立庭園をこれまで訪れたことがなかった理由も、実はそこにありました^^; ネットでの園内紹介を読んでいてもどうもあまり花が咲いている感じがしなかったんです。
でも今回、この庭園の近辺に別件の用事があって、ついに初訪園となりました^^
“花がない”、と言ってももちろん全くないわけがありません^^; 今日の記事はここまでのところ少し彩り不足なことに気づきましたので、まずはこの日に出会った稀少な彩りをご覧いただこうと思います♪
まずはこちら!
香りを嗅いでみて、「あーこれ、知ってる!」
でも、この香りがロウバイと似ていたかどうかよくわかりませんでした^^;
次はやはりこちら♪
白い梅の木が少なく赤系が主流でした^^
さて次。
以上です。(笑)
さて、こちらの庭園ですが、『回遊式林泉庭園』と呼ばれる、池を周遊しながら楽しむ景観になっています。
まずこんな感じの俯瞰図を。
“富士山”があります。
“麓”まで行ってみました^^
池側の雰囲気はこんな感じです♪
鴨がたくさん水上でくつろいでいました。
ここの鴨は人に慣れているようで、近づいても全くまったく動じません^^鳥たちにとってここは安全な場所なんですね☺️
新たな一羽、上陸し合流。
少しだけデート感をかも🦆しだす。
帰りまーす✋
では、ここからは覚悟を決めて(笑)この庭園の主役である『石』をご紹介いたします✨
まずは岩崎弥太郎さんが自社の汽船を使って日本各地から集めてきた「自慢の名石」を、このブログ初めての試み、“石の写真をひたすら花のように並べてみる” 、でご覧いただこうと思います(╹◡╹)
何だかとっても不思議な気分......^^;
伊豆石、伊予青石、紀州青石、生駒石、備中御影石、讃岐御影石・・・・日本各地からの「名石」。汽船を使って海から隅田川へ、というコースで運んだのでしょうが、汽船に乗せるまで、そして汽船から降ろした後は「人力」。大きな石を運ぶのは本当に大変な作業だっただろうなって思います。
こちらの石。
『佐渡赤玉石』と名付けられています。家が2軒建てられるぐらいのお値段がつくとても稀少なものなんだそうです🫢
石へのこだわりには創造力も駆使されています。
まずはこちら、『枯滝』と名付けられた作品です。そそり立つ青石は滝を表現しており、
下に敷かれた丸石は水の流れを表現しているんだそうです。
そしてもう一つの見どころは、池の端に石を点々と置いてそこを歩けるようにした、『磯渡り』と名付けられている“池の中の歩道”です。
「歩を進める度に景観が変化するように配慮されている」んだそうです。
「岩崎家の皆さんは石のどんなところにそこまで惹かれたんだろうなぁ」って思いが巡りました🤔
正直なところ仮説すら思い浮かばなかったので^^;、もうこれ以上お気持ちを考えるのはやめにして(笑)、石という存在のことを考えてみることにします。
思いついたのは.....
「石には念がこもる」という、昔聞いたことのある “言い伝え” です。
「この庭園の石たちに念(思い)がこもるとすればそれはどんな念だろうか?」ってことに思いを巡らせてみます。
【僕が思いつく念】
- 名石を切り出してこの庭園まで運んだ人たちの労働時に感じていた思い
- 岩崎家の皆さんの“石LOVE❤️”の思い
- 個人庭園だった頃から今の都立庭園に至るまでの長い年数の間に、この庭園を訪れた無数の人たちの思い
上記1には、石というとてつもなく重いものを扱う、文字通りの重労働、きっとポジティブな思いもネガティブな思いも両方あったことでしょう。この労働の最中には、事故で大怪我をしたりあるいはお亡くなりになった方だっていたかもしれません。
上記2は深く考えずにポジティブとしておきます^^;
上記3については、人が緑に囲まれた公園や庭園を訪れようと思う時というのは、その多くが心穏やかな状態の時なのではないかって思います。だからポジティブ、少なくともほとんどがニュートラルではないでしょうか。
そしてもうひとつ、【4】を付け加えたいと思います。この庭園は関東大震災や東京大空襲の時に避難場所として多くの人の命を救ったのだそうです。この庭園の敷地の中でその人たちは恐怖と不安を感じながらも、同時にこの庭園の存在に大きな感謝の思いも抱いたことでしょう。
以上の1〜4をふまえての僕の妄想的仮説!
「この庭園の名石たちには、きっとポジティブとネガティブの両方がぎっしりこもっている。どちらも持っているから、訪れる人がその時にどちらにある状態かに応じて同じエネルギーで呼応するのではないか🤔」
そんな石たちが存在している場所、って思ってみたら、実は先ほどまで感じていた “ちょっと無機質な石ばかりの庭園”って思い🙇🏻♂️に、言葉で表現できない彩りがついたような気がします✨
こちらは庭園パンフレットからの花暦の抜粋です。
暖かくなって花咲く季節に、“神社に参拝する時みたいな気持ち”でまた訪れてみようかなって思います(╹◡╹)この庭園ならではの “何かすごく心地良いもの” を新たに感じることができるかもしれない♬