今日の記事は、下掲の前回記事に続く後編です^_^
💿CDと👔ネクタイと私🐨
社会人になって2ヶ月後の配属発表で、まさかの大阪配属。初めての親元離れてのそれも関西という“異国”への配属が決まってしまったことは、当時のへなちょこな僕的には“人生が終わってしまう”ぐらいの衝撃でした^^; そんな僕に対して「私は大丈夫だから行ってらっしゃい!」と明るく背中を押してくれた母。“とりつく最後の島”がなくなってしまったことで、僕はもう流れのままに大阪に赴任するしかなかったわけですが、、今思い返してみると、あの時の母の “愛と勇気の空元気” のおかげで僕の人生の“幸せの扉”が開いたんだな、ってわかります。
関西で始まった僕の企業人ライフ。人一倍多く働かないと同期のみんなと同じようには出来ない、そして人二倍多く働かないと同期のみんなを超えられない。自分のレベルをそう認識したこともあって、僕は当時の人生を仕事三昧にすることを自ら望んで選択していました。
休日のオフィスに出社して仕事をしていたある日。たまたま出社してきた同じ部所の大先輩(当時40歳過ぎ)が、僕と目が合った時、一瞬の沈黙の後に発した一言。
「おんなをつくれ!😅」
仕事ばっかりしていたのでお金の使い道がない当時の僕は、 音楽CD💿をバンバン衝動買いし、モノの価値もさっぱりわからないくせに難波の高島屋でブランドネクタイ👔を毎月数本購入していました。
あの頃の僕の幸せは仕事時間にあり、その仕事時間の思い出に当時聴いていた音楽がテーマ曲のようにくっついています。2年前の大晦日に投稿した下掲の記事は、ここまでの長い会社人生の中で最も愛おしく感じる5年間を綴ったもの。数ヶ月に一度は読み返したい(聴き返したい)気持ちが湧く唯一の自分の記事です。
🐏彼女をめぐる冒険
大阪から東京への人事異動は入社してから5年後。そして東京勤務2年目のゴールデンウィーク、僕は人生初めてのひとり旅を敢行しました。青森→盛岡の3泊4日旅行。青森へは寝台列車で。二度寝して目覚めたら列車がなんと普通車に変わっており、恥ずかしくて終点の青森まで2段ベットから降りることが出来なかったというカッコ悪い思い出があります^^;
1泊目は青森駅前のビジネスホテル、2泊目は下北半島の民宿みたいなホテル、そして3泊目は盛岡のビジネスホテル。2泊目の下北半島のホテルから夜明け前のタクシーで青森駅まで行って、そこから観光バスで八甲田山〜十和田湖で盛岡に入るというルート。この3泊4日中で観光らしいことをしたのは、下北半島で遊覧船に乗っての仏ヶ浦めぐりぐらいだったと思います。
実はこのひとり旅の目的は観光ではありませんでした。当時密かに好きだった女性の誕生日がゴールデンウィーク内にありました。僕は彼女の誕生日当日にアポ無しのサプライズでお土産を渡しにいくための“口実”として、観光にはほとんど関心のない心でみちのく旅行を思いつき決行したのでした。お土産の仕立ては、昔懐かしい「おもちゃの缶詰」みたいなイメージで、「いろいろな郷土産のお土産が詰まっている巾着袋」という画期的なアイデアを思いついたのはなかなか良かったと思うのですが(笑)、その袋に詰めるお土産選びにまさかの大苦戦、結果として袋に詰めたのは「コケシ」とかで。。。帰京前夜のホテルの部屋でお土産を巾着袋に詰めながら、「こんなのもらっても嬉しくないよなぁ、、」って少し途方に暮れながら、「もうコンセプトは“笑いをとる”に切り替えよう」って思い直したことを思い出しました^^;
20代の女性へのそれも誕生日プレゼントによくそんなものばかり詰めた袋を持って誕生日当日の夜遅く(確か22時前後)に自宅近くまで持っていったものだとあらためて思います...
でも当時の僕としては稀少なその勇気ある行動が、それから何十年も続いている今の幸せにつながっています。その彼女とは僕の現奥さんだから^_^
この章の結びとして選んだ音楽は、前述のみちのくひとり旅の道中で繰り返し聴いていたアルバムの中の2曲。20代後半、遅咲きの青春の1ページにくっついている曲たちです♬
🏠いつも一緒にいられる幸せ
2000年代は、もともと好きだった音楽を聴くことはほぼ封印していました。家族が増えたことを機に独りで音楽を聴く時間がなくなったから。でも、聴きたいのに時間がなくなってしまったわけではなく、音楽を聴くよりも家族と一緒の時間を過ごす方が幸せだったから、自分専用の音楽はその頃の僕には不要だったのです。
しかしそんな当時の僕でも新たな音楽との出逢いはありました。その出逢いの場は、娘が好きでよく観ていたテレビ番組『おかあさんといっしょ』。
大人が「子供にはこんなことを大切にして育って欲しい」と願いながら社会のしがらみなしで書いた歌詞は、実は大人にも、いやもしかしたら大人にこそ大切なことだったりするのでしょう。
あの頃の平穏な幸せの思い出にくっついている歌の中から一曲を選んで、YouTuberさんから拝借してお届けします。リアルタイムで観ていた頃の歌のおにいさん&おねえさん。2人の個性の掛け合わせで創り出された空気と、それから、ゆうぞうおにいさんのなんとも優しいクシャッとした笑顔が好きでした。
⏰ウェイクアップコール
2010年の初夏、僕は社長直轄プロジェクトのリーダーを実質専任で拝命しました。1年前の人事異動で転入してきたその組織で、僕は未だ多くの人との人間関係が築けてはいませんでした。当該プロジェクトのテーマは、現場で働く人からすると難度が高くて極力関わりたくない類のものでした。このプロジェクトには僕以外に6名ほど参加していましたが、彼らもその例外ではなく、僕にそんなメンバー達を引っ張っていく器量・技量が不足していたこともあって、そのプロジェクトのほとんどのワークを僕が独りで遂行している状況が続きました。
その頃、何度も録画を視聴していたテレビ番組があります。
それは『クリスマスの約束』。
この番組は、昨年末で終了してしまいましたが、 2001年から毎年12月25日前後にTBS系列で放映されていた音楽番組です。 小田和正さんをメインアーティストに据えて、「アーティストがお互い認め合えるような番組」を目指してスタートしたんだそうです。視聴されていた方もいらっしゃるのではないのでしょうか^ ^
この番組を僕が観るようになったのは2009年から。そして、前述のプロジェクトリーダーとして孤軍奮闘していた頃に何度も視聴していたのはその2009年に放映されたものでした。
この年の内容は、20組計33人のアーティストが集結して、各アーティストの楽曲にボーカルとコーラスが巧みに掛け合う壮大なアレンジを施して全員でつなげていくという壮大なメドレー(そのタイトルは22'50"(22分50秒)」です。
歌声自体の素晴らしさ、一曲終わるたびに次のメインボーカルを務めるメンバーへバトンを繋ぐかのようにハイタッチをする姿、そして全て歌い終わった後のメンバーたちの笑顔と涙、それに重なる観客席からのずっと鳴り止まない盛大な拍手。強い個性の集まりが心をひとつにして創りあげたその“物語“を最初に視聴した時、僕は涙があふれて止まりませんでした。
僕のその涙には次のような思いが溶け込んでいたと思います。「僕もこんなふうにたくさんの人と共創してひとつのことを成し遂げる喜びを味わってみたい...」
実は...そんなふうに強く思ったことは人生で初めてでした。それまでの僕がずっと好んできたお仕事スタイルは、「ここだけは外すなよ」を事前に確認した上で「後は僕を信じて任せて下さい(自由にやらせて下さい)」という働き方。
そんな僕だったにもかかわらず、「僕もあんなふうに...」って思いが湧いてきたのは、当時、孤軍奮闘だったプロジェクトリーダー任務でのさびしく切ない気持ちがとっても強かったからだと思います。
「この世の中は多様であって、その多様性に優劣をつけるのではなく掛け合わせて何かを創造することって可能であり、きっとそこにはこれまで僕が経験したことのない大きな喜びがあるのだろう」
こんな気づきをくれた『 クリスマスの約束2009』。番組のクロージングは参加アーティスト全員によるアカペラでの一曲でした。この章の結びは、小田さんからその原曲を拝借します。
🥹感涙は恐れを洗い流す
2020年3月。会社では「コロナ感染拡大防止のため極力出社せずに在宅勤務を遂行すること」という指示が出されました。その3月から4月にかけて僕が自宅で注力したことは次の3つでした。
- 年代or時代別に当時好きだった音楽でiTunesのプレイリストを作成する
- 見逃していたテレビドラマをAmazonプライムで一気に視聴する
- コロナウィルスについてネットで調べまくる
上記1についてはまず曲を選定して手元にないものはレンタルCDショップに足を運んで。古いものはもう単独でのCDを置いてないことも多かったのですが、「懐かしの⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎年代」的なタイトルのアルバムの中に収録されていたりして、それをショップで探し出すのもワクワクな楽しい作業でした^_^


上記3については、当時、公的機関が発信する情報に反する見解を発信する情報への規制は結構ありましたよね。国内報道のトーンはあらゆるメディアで見事に一貫していて、それは「それが事実である証し」とも取れるのかもしれませんが、僕の場合は未知のウィルスに対してそこまで見解が統一していることに違和感を覚えました。普段あれだけ多様な情報を発信しているYouTubeでも国の“公式見解”に意を唱えるような動画は徹底して視聴不可にしていましたよね。国内での情報収集には限界があると感じた僕は、途中からは、報道規制を逃れている海外サイトを探し出して「何が起きているのか」「どう対処すべきなのか」「導入準備が進んでいる予防接種は一体何者なのか」に関する探索を毎日続けていました。その結果としてコロナ禍で一番ケアすべきと僕が判断したのが下掲の過去記事の内容です。
さらっと書きますが、僕は「自己責任」の下、予防接種は一度も受けていません。それでも絶対に感染しないという“根拠のない”自信があったのですが、長期にわたる低温やけど的なメンタルストレスで思いの外免疫力が落ちてしまっていたようで、不覚にもWHOが新型コロナ緊急事態宣言終了を発表した数ヶ月後の夏に感染してしまっています。。。
さて、、、この章のタイトルである『感涙は恐れを洗い流す』は、解説を飛ばした前掲「2」に該当するお話です。「見逃していたテレビドラマ」。それはTBS系列・日曜日に放映されていた 『JINー仁-』。2009年(第1期)と2011年(第2期)に放映されていたドラマですが、“テレビ離れ”が身体に馴染んでいた当時の僕は全く観ていませんでした。それなのにこのドラマを観ようと思ったのは、リアル放映中の当時、妻が「とってもいいドラマだよ」って言っていたのを思い出したことも理由にあった気がします。 実は視聴を始めるまで、これが医療をテーマにしたストーリーであることすら知りませんでした。「今、時代劇はあまり気分ではないけれど、 第1期、第2期とも無料視聴になっていて何日も気晴らしできそうだから観てみようかな」ぐらいの気持ちで視聴をスタートしたのです。
思いがけず、特に第1期の視聴では毎回ボロ泣き😭になりました。「なんでこのドラマ、当時観なかったんだろう」「なのにAmazonプライムで全話観られるなんて本当にラッキー」「このタイミングで医療ドラマだなんて、これは必然の出逢いだったのかも」
このドラマのメインテーマを聴くと、コロナ禍の始まりの頃の感覚をなんとなく思い出します。その感覚がなぜか「もう思い出したくもない恐ろしいもの」ではないのは、きっとドラマが毎回もたらしてくれた感涙が、見えないウィルスに対する恐れを洗い流してくれていたからではないかと思うのです。
🎨多様性受容力向上の旅
前々章で書いたウェイクアップコールで、多様性を掛け合わせた共創の世界に憧れを持つようになった僕が、その憧れを現実のものにするために自分に欠けている能力として気づいたのが『多様性受容力』。自分と異なる考えや意見にぶつかると、自分の方が正しいのだとなんとか相手に理解させたい思いが強く湧いてきてしまう。それが叶わないと自分の心の中で“循環参照”を起こしてストレスに転化してしまう。
このウィークポイントを克服したくて、いろいろな本を読んだしそれにより頭では理解できたことも増えたけれど、どうも腑に落ちた感が生まれてきませんでした。
「本を読んでるだけでは克服できない。外へ踏み出そう」と勇気を出して行動を起こしたのが、人のキャリア支援の国家資格の養成講座の受講です。コロナ禍2年目の夏からのスタートでした。
もちろんこの講座受講は自身のこれからのキャリアを見据えての資格試験合格を目標に置いたものではありましたが、一番の目的は前掲の『多様性受容力』の大幅な向上でした。
養成講座終了後に受講したフォロー講座でのある面接ロールプレイングで、相談者役の講師に対してカウンセラー役の僕が「なぜ?」という問いかけを何度かしたことに対して、相談者役の講師からは「いや、別に」「親に言われたからなんとなく」という類のそっけない応答を何度も繰り返されました。僕はしだいに言葉が出なくなり、頭がフリーズしてそこから数分間は無言。相談者役の講師も役になりきってずっと無言。ずいぶんと長い奇妙な時間に感じられました。そしてそのままタイムアップ。
本当に情けなくカッコ悪くショッキングな体験でした。でも.....この体験は僕の心に「とにかくもう二度と“なぜ?”とは聞かない!」を刻み込んでくれたと思います。
「なぜ?」がどうしてNGなのか、ですが、そこには「それを教えてくれたら私があなたにとって適切な答えを教えてあげますよ」というカウンセラーのおこがましい思いがあるからです。その人にとっての最適解とは、その人の信じる正しさに基づいてその人が自ら気づくものであって、他人が「それならあなたの最適解はこれですよ」などと簡単に教えられるようなものではないということ。
「人の数だけ正しさはある」、すなわち「あなたも正しい」「私も正しい」。このことをどれだけ腑に落とせているかということが『多様性受容力』の肝であり、白黒つけることなく他の人と共創していく上でもすごく大切なスキルなのだと理解しています。
前述の情けない面接ロールプレイング体験のおかげで、それまでの長い人生で形成してしまった “ものすごく固い殻” に穴を開けることはできたように思っています。でもまだ入口に足を踏み入れたばかりの感じです。スタートが大幅に遅れた僕の「多様性受容力向上の旅」は続きます。
この章がこの記事のラストになりますが、この章の結びの音楽は、養成講座受講中にオンエアされていたTVCMで流れていた一曲です。このCM、当時はYouTubeでフルバージョン編がアップされていて、そちらが本当に素敵な空気感で魅了されたのですが、今はショートバージョン編しか観れなくなってしまいました。
性別・年代・国籍の多様な人たちが一同で車に乗り込み爽快なドライブを楽しんでいるシーンがとっても素敵で、映像と音楽がすごくマッチしていて✨✨
あの頃を思い出す“音楽動画”であると同時に、こうして記事に引用させてもらったことで、これからも続く僕の『多様性受容力向上の旅』のテーマ音楽映像にもなる気がしています☺️