
「心の平和」を唯一の目的とするプロセス;『アティテューディナル・ヒーリング(AH)』の書籍からの引用、全18回中の第12回です。

(「前略」でいきなり本題に入りますが、略した前段の解説は下掲の第1回記事に書きましたので、初見の方は良かったらご参照ください☺️)

人を傷つける考えをすべて変えることを選べる
考えの中には、自分を傷つけるものも、自分の力になるものもあります。自分の頭で何を考えるかを常に選んでいるのはわたし自身です。ほかの人はだれも私の代わりに選んでくれないからです。私は愛のある考え以外は全て手放すことを選びます。今日、私の全ての考えを、自分自身や他人への怖れ・罪悪感・非難から解放することを決意します。そのためにこうくり返します。
人を傷つける全ての考えを変えることを選べる。

この“詩”に対する僕の心の中からの引用コメントは、ブコメと同じ100字以内にとどめます。
この“詩”の中で何度でも繰り返し唱えようって思えるフレーズは「自分の頭で何を考えるかを常に選んでいるのはわたし自身」。自分には望む幸せな人生を創る力がちゃんとあるんだってことを心に刻みたい。

僕の今世で特別なご縁があった人が先日他界されたことを知りました。享年76歳。この数ヶ月、「ご健在なのかな。まだお元気だといいな。」って思いが時々浮かんできていたのは“お知らせ”だったのかな....とも思いました。
これ以降の文章では、この方のことをSFさんと呼ばせていただきます。
2年前、これまで書いた記事の中でも3本の指に入る思い入れがある下掲の記事を書きました。
この記事に書いた5年間を通してずっと僕の“半分上司”だった存在が、当時、京都府の観光中心地のあたりにあるご自宅から大阪に通勤されていたこのSFさんでした。
SFさんとの思い出は、思うがままに文章を綴っていけば1万字ぐらいは書けると思います。今日はそんな思い出の中から3つの出来事を記事として残そうと思います。

🥃Episode1
入社3年目で、僕が取引先企業(今はなきスーパーのニチイ)のエリア本部担当に抜擢されてから数ヶ月後に京都で開催された取引先会合の後、SFさんに宿泊先のホテルの地下のバーへ誘われた時のこと。
他にはほとんどお客さんがいないバーのカウンターに横並びで座り「お疲れ様」の後で始まった、SFさんの語り。
「俺は本当はお前の同期の◯◯(*人の名前)の方を評価していたんだ。だけど◯◯じゃなくてお前の方が上がっちゃったんだから仕方ないじゃないか。もうお前に頑張ってもらうしかないんだよ。お前は俺のこと嫌いだろうけど、そういうことだからまぁよろしく頼む!」
確かに当時の僕は、いつも不機嫌そうな顔で口を開けばお説教というイメージがあったSFさんのことが好きではありませんでした。とは言え、2人きりの場でいきなり面と向かって言われたその内容には「そうですね」と返すわけにもいかず、「いえいえそんな、、」と言葉を濁して黙って聞いていたように思います。覚えているのは、SFさんがそう話しながら、グラスから出た水滴で濡れたテーブルをおしぼりで延々と拭き続けていたこと。そして「やっぱりこの人のことは嫌いだ」って思ったことです。

🚅Episode2
僕はその後の2年間で高い営業成績を挙げることができ、それが評価されて東京の本社のマーケティング部門に異動することになりました。その頃の僕は「全て自分の実力」って感じで、今思い返すと恥ずかしいぐらい自信満々でした。若気の勘違い、です。
当時の大阪営業所には、転勤者を、残る社員が空港や新幹線のホームで壮行お見送りをするという社内慣習がありました。
僕は新幹線で新大阪駅から東京へ向かう転勤組。新大阪駅のホームに、同期入社の仲間や後輩達を中心に数多くの人が集まってくれました。
そろそろ列車の出発時間、車内に入ろうというタイミング。その時、お見送りの人達をかき分けて前に出てきて僕に駆け寄ってきた人。それはSFさんでした。
僕の右手を両手で握って力強く一言。
「頑張れよ!」。
嫌われていると思っていたので、当時は「なんでSFさんが」ってちょっと不思議な気持ちでした。

🥂Episode3
それから約20年後に、思いがけずまたSFさんとのご縁を持つことになりました。SFさんは社長、僕は中間管理職、という立場での再会でした。
SFさんが着任して数ヶ月後、僕は社長室に呼び出され、「社長直轄のプロジェクトを立ち上げるので、お前にそのプロジェクトリーダーをやってほしい」と突然命を受けました。
その後で耳にしたところでは、SFさんが「任せられるのはあいつしかいないんだ」との一点張りで、他の幹部役員も口を挟む余地が全くなかったとのこと。ご自身が会社人としての締めくくりをされるタイミングでの僕との再会を意味のある特別なご縁と思ってくれていたようでした。
若い頃は嫌いだったSFさんでしたが、その頃の僕の中でSFさんは「会社キャリアに留まらず、人生を拓く大きな転機を作ってくれた人」に変わっていました。本社のマーケティング部門に異動にならなかったら、最愛の妻に出逢えることもありませんでした。その人事異動の決め手になった大阪時代の営業成績は、いつもSFさんが事前に敷いてくれていた“企業間取り組みの強固なレール”なくしては間違いなく成すことはできませんでした。
拝命したプロジェクトのテーマは、僕がかつてのマーケティング部門で経験してきた領域から少し外れていて未知の部分が多かったのですが、SFさんへの恩返し、という思いをモチベーションに、今思えば不退転の覚悟で心を燃やして、そこから約2年間の責務を全うしました。
SFさんが社長退任となる最終日。この日は社の期末最終日ということもあり、夕礼の後、執務エリアの脇のスペースで打ち上げ会が開催されました。会がスタートするなり、僕はSFさんのところへ誰よりも先に歩み寄り、こうお声がけをしました。
「お疲れ様でした。いろいろお世話になりありがとうございました。・・・僕は、少しはお役に立てましたか?」
この問いかけに対して、SFさんは、ほんのちょっぴりの間の後、笑顔で明快に一言。
「お前が一番だよ!」
この一言は、長い会社キャリアを通じて僕が最も嬉しかった言葉であったことを、今思い出しました。この一言を思い出すとちょっと目が潤みそうになります。


今年は、半年前に親友、そして先日のSFさん、と、僕の人生にとって特別なご縁だった存在が、相次いで空へ旅立ってしまいました。
今の僕の心の中からの引用で今日の記事を結びたいと思います。
いつ今世に終わりがやってきてもおかしくはないんだ。ぐるぐる思い悩んでる時間も、その日の浮かない気分に任せてやりたかったはずのことを先延ばししたりやめてしまうことも本当にもったいない。もっと人に会おう。もっと新しいことを経験してみよう。そして、妻を笑顔にできそうな機会に気づいた時はどんどん行動を起こしていこう。