“緑色”的な僕のほんのりワクワクblog

ほんのりワクワクがたくさんの毎日を♪

あの日の記憶と音楽と。

今年最後の記事。本当は1年後に書く予定だった、僕にとっては特別な記事。

この秋、京都への一人旅をしたいと思ったもともとの理由は、実は「観光」ではなく、自身の社会人としての節目の前に、昔、仕事で担当していた、今はなきスーパー『ニチイ』の跡地を訪れたかったからでした。

“跡地”と書いた通り、ネットで調べてもう当時の建物は老朽化もあって壊されてしまっていることは知っていましたが、それでもそこを訪れれば、なんらかの面影があるんじゃないか、感じられるんじゃないか、って思いが、僕の背中を強く押しました。

京都にあったニチイの中でも特に思い出がある3店舗、「伏見店」「大久保店」「向日町店」

今日の記事は、その3つの跡地をめぐる“センチメンタル・ジャーニー”です。

“僕にあの頃の感覚を思い出させてくれる音楽”の動画リンクを10個以上貼る、これまで書いてきた記事の中で最も独りよがりな記事になってしまいそうですが、各音楽動画はタイトルだけご覧いただき、「知らないなぁ」とか「あー知ってる知ってる」って感じだけで先へ進んでいただければ十分ですので、2023年最後の記事、スルスルっと流して最後までお付き合いいただけると幸いです☺️

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🛣️名神高速道路。

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大阪の営業所への新卒配属後、ニチイの京都地区のお店担当になった僕は、いつも営業販促車で名神高速道路を使っていました。出入口は『京都南IC』。最初の頃、名神高高速道路の想定を超える渋滞に巻き込まれ、しょっちゅう約束の時間に遅刻。半年後、いつもは優しいパートナー取引先の方がついに堪忍袋の緒が切れ、開口一番、「とろいのもいいかげんにせーよ!💢」と僕を一喝、それが本当に悲しくて悔しくて、そのことがきっかけで僕は「時間だけは何があっても守れるようものすごく早く出発する人」になったことを、改めて今思い出しました。

行きの高速では、最初の頃は、「どうじょうようぞう」さんという方がパーソナリティを務めるABC放送のラジオを聴きながら走っていましたが、当時の僕にはあんまり面白くなくて🙏、いつの間にか頭の中では当時好きだった曲が流れていることが多かったように思います。

代表的な曲がこちら。なんかすごくかっこよくて、聴きながら胸がときめいていたあの頃の感覚を思い出します☺️ 当時、たばこのCMにも使われていたと思います。

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入社2年目になると「ラジカセ」を車内に持ち込んで聴きながら走っていました。“名神高速出発のテーマ”って感じでよく聴いていたのがこちらの曲。なんだか気持ちが高揚してきて、ついアクセルを踏み込みがちでした🫢

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その1年後、アクセル踏み込みすぎ対策もふまえて?!よく聴いていたのがこちらの曲。「気持ちよく軽やかに車流れる」みたいな感じで🤭

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しかし、当時の名神高速道路の渋滞の原因、『天王山トンネル』は本当に鬼門だったなぁ.....

 

⛩️伏見店跡地へ

さて最初は『ニチイ伏見店跡地』への訪問です。

最寄駅は京阪電車の『伏見桃山』。当時、前日飲みすぎた日やどうにも労働意欲が湧かない時には、電車で来たことが何度かあります。

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ニチイ伏見店。このお店は、というか、このお店の売り場担当者の男性(以下Sさんで行きます)は、僕に関西での商売の扉を開いてくださった方でした。

Sさんは、僕の2度目の訪店で、いきなり「◯ちゃん」と呼んでくれた上、その月の催事イベントのオーダーまで出してくださった方。営業をそれも商いの町;関西でまともにできるんだろうか、という不安しかなかった僕は、Sさんのおかげで“商いの世界”に次の一歩を踏み出せたんだと思っています。

そんなSさんがいる伏見店には、その日の最初に訪店することが多かったです。まず安心安全な気持ちからその日の仕事をスタートしたかったんだろうな☺️

当時、朝の店内でよく流れていた曲がこちらです。

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時を戻し、2023年11月。

伏見桃山駅を過ぎるとすぐアーケードの商店街。

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大手筋商店街。当時は何の気にかけることもなく、僕にとってはただのアーケード通路だったけれど、『大手』という名前は記憶に残っていたのがなんか嬉しい。

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この雰囲気からすると、きっと僕が来ていたあの頃にも営業していたんだろうな。 

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ここを左に曲がって....

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真っ直ぐ行くと左側に....

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あったはずのお店は。

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商業施設複合マンション建設中。 

当時、この辺りがお店の入口で、入口のすぐ脇で店頭催事を何度もやらせていただきました。

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お店がもうないことは事前に調べてわかっていたので、「せっかく訪れるのだから」と事前に決めていたことがありました。

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それは、お店があった場所の真正面にあるラーメン屋さんでお昼をとること。そのお店は創業15年ぐらいとのことで、当時あったお店ではありませんでしたが、「そこで何かをして帰りたい」って思ったんです。

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ここの京都ラーメンは。 


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期待を大きく超える美味しさでした🫢   スープがとろける感じで麺と一体になってるような不思議な食感。

お店を出てから振り返ると....お墨付きでした✨

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建設現場を囲む柵にはなぜか動物のイラストが何匹も施されており、その中の1つが「もうお店はないを知っていてよく来たね。お疲れさま。」と言ってくれてるような...いや、言ってくれていることにしました。

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伏見店は僕にとって特に入社1年目の京都の象徴のようなお店でした。その頃、よく聴いていたアルバム2枚から特に好きだった曲を1曲ずつYouTubeからお借りして、思い出の1店目の章を結びます。

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☕️大久保店跡地へ 

宇治市🍵にあった大久保店。この店の担当者の方(以下、Gさんと記載します)は当時の僕よりだいぶ年上の男性で、取引先に“ささいなことで”電話をかけてきてクレームを言いまくるため、この大久保店は大型店舗にもかかわらずみんな最低限しか訪店しない、取引先から“煙たがられているお店”でした。Gさん的には取引先がほとんど来ないことで腹を立て、またクレームの電話をかけるから、みんなますます面倒臭くて行かなくなるの悪循環。

しかし、ある出来事がきっかけで、僕はGさんが苦手ではなくなったんです。

その出来事は店内の売り場で起きました。内容は忘れましたが、いつものようにGさんがあれこれクレームを言ってきて、しまいにはGさんの口癖(決め技)、「お前のとこ、もうやらんで!」を繰り出してきました。その日、僕はなんだかあまり精神状態が良くなかったようで、その一言を聞いた瞬間、やり切れなさ爆発、周囲にお客様がいなかったのをいいことに、Gさんにこんな要旨の言葉をまくし立てました。 

「私は真面目に一生懸命やってますよ!やってます!これ以上何をしたらいいんですか!おっしゃってくださいよ!できることならなんでもしますから!」

完全に若輩者の“やっちまった”ですが、、、まさかの反論をくらったGさんは豆鉄砲を喰らったような顔でほぼ無言。その日はその後どうしたか覚えていないのですが、でもその出来事を境に、(やっちまったお詫びもかねて)僕は以前よりこの店の訪店回数を増やし、Gさんは、相変わらず「お前のとこ、もうやらん」が口癖でしたが、次第にその顔は冗談混じりのような柔らかい表情に変わっていきました。

訪店が増え、関西恒例の?「茶行こか」の休憩を一緒にする機会を重ねるにつれ、僕はこんなふうに思っていたことを思い出しました。

「Gさんはみんなから避けられていて寂しいんだろうな....この店に来る時は、なるべくGさんがコーヒー休憩をとれる時間帯に合わせて来よう。」

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時は2023年11月に戻ります。

大久保店の最寄駅は、近鉄京都線の『大久保』駅です。駅の改札を出て左に出るとその先にはおぼろげに記憶のある風景がありました。

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「あの不二家、確か昔もあった!🫢」

最初の頃、この不二家を目にすると、「あーもうすぐ到着だ。嫌だなぁ、、」って気分になった記憶があります。

不二家に突き当たって右にずっとまっすぐ。

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そう、途中に教習所や税務署があって....


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あの歩道橋は昔もあった🫢

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そしてその手前、左側には!

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かつてのニチイの半分ぐらいのサイズのリハビリテーション病院が建っていました.....  

YouTubeを検索していたら、後年、ニチイ大久保店の運営を引き継いだイオンの閉店をお知らせする店内アナウンスの動画をアップされているYouTuberさんがいらっしゃったので拝借させていただきます。

イオン大久保店閉店メッセージ。 - YouTube

んーやっぱり切ない。。。

あの頃聴いていたこの曲をアップします。

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ニチイ大久保店跡地を訪れた日の夕食は、京都駅界隈の飲食店がファーストフード系以外はどこも混雑だったので、お弁当を買ってホテルで楽しむことにしました。

買ったお弁当がこちら。

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京都駅構内のお弁当屋さんで買ったこのお弁当、京都感のある『京町弁当』、内容は「西京漬け」「ちりめん」、そして推奨販売していたおばちゃんとの会話が弾んだ、が決め手のセレクトでした。

「さぁ食べよう♪」と蓋に手をかけた時に目に入った製造者の住所にびっくり。

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宇治市大久保町🫢 

ここでこんなシンクロがあるとは....。“神様のおはからい”だったのかな。


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僕がニチイの京都のお店を担当していた頃は、音楽界では“ドリカム”がデビューしてブレイクする直前ぐらいのタイミングでした。当時、独身寮で隣の部屋に住んでいた同期入社の彼が、「すごくいい曲ばかりなんだよ!絶対こいつらブレイクするから!」って連呼していたのを思い出します☺️

その頃のドリカムのアルバムの中で僕が一番好きだった1曲をYouTuberさんにお借りして、思い出の2店目の章の結びにアップします。

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🎄向日町店跡地へ

向日町店の最寄駅は阪急京都線の『東向日』駅。嵐山観光を終えたその足で向かいました。


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東向日駅に到着し、駅を出て振り返っての風景。「んーー昔もこんな感じだったような......」

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駅前は何やら大規模開発中の装い。

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当時、電車で来たのは一度だけだったので記憶がほとんど残っていない中、当時の記憶は、お店を出て駅まで向かった時に通った道、それから昼食を駅前の小さなお蕎麦屋さんのようなところでとったこと、この2つだけなんです。

駅前に出られるちゃんとした道を見つけられず、こんな場所を通り抜けたような....

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駅前に当時のそのお蕎麦屋さんのような店はもうありませんでしたが、駅前はこんな風に細い道だったのはあらためて思い出せました。

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向日町店の担当の方(以下、Rさんと記載します)は、僕より1つ歳上で、見るからに体育会系のかっこよく強そうな男性でした。「関東人が嫌い」という情報を事前に聞いており、お店のバイトの学生たちと「僕さー、ボクサー」と言いながら大笑いし合っている様子を早々に目にして以来、僕はRさんがなんだかすごく苦手になり、訪店してもほとんど会話せずに退店する日々が1年ぐらい続きました。ある意味、大久保店のGさんより苦手でした。

しかし、1年経った頃、状況(きっと僕の心の中)は急変しました。

お店にいると、突然、Rさんが「○ちゃん」と声をかけてきてくれて。今、思い返すときっとあれは、前述の「とろいのも💢」と一喝してくれたパートナー取引先の方が、「彼は伏見や大久保、他の店では商談もガンガンしているのに、向日町はほとんど私に任せっきり。Rさんに苦手感を持っているので、ちょっと声かけてやってくださいよ」みたいな感じでRさんに話をしてくれたのではないかって思います。

このことをきっかけに、僕はRさんとふつうに話ができるようになり、それまでの“空白の1年”を取り返そうとするかのように向日町店の訪店〜商談や販促支援も積極的に行えるようにもなり、いつの日からかRさんとのつながりは僕の中で“働きがい”になっていました。

当時のお店のバックルーム(売り場の裏の倉庫)でよくかかっていた曲がこちらです。

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おそらく3年目のクリスマスイブ。彼女も作らず(作れる器量も技量もなく)仕事しかなかった僕はなんとなく人恋しくなり、その日の最後の訪店先に向日町店を選びました。

僕の顔を見てRさんは開口一番、苦笑いしながらこう一言。

「自分なー、クリスマスイブのこんな時間にこんなとこ来んでどこか他に行くとこないんか😅」

この日はお店の閉店後、営業車でRさんをご自宅の独身寮まで送り届けました。

お店のバックルームで流れているのを耳にしたこともあり、Rさんも好きだと聞いていたこの曲。過去記事でエレクトーンの自演でカバーしているYouTuberさんの素敵な動画をお借りしたことがありましたが、今日は本家の演奏を他のYouTuberさんにお借りしてアップします☺️

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Rさんとの出逢いは、「この人のために」って思いながら粋に感じて働く喜びを知ることになった、僕の人生の中でとっても大切な1ページになっています。

時を2023年11月に戻します。

当時のお店が下にイオンフードスタイルストアが入ったマンションに変わっていることは事前に調べて知っていました。

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昔の面影はもう全くなしですね.....🥲

近くにあったこちらのお店は、もしかしたら当時から営業されていたのかもしれないな。

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伏見店跡地訪問の時と同様、お昼は向日町界隈のお店で、と事前に調べてきていました。

JR向日町駅寄りにある地元では人気の老舗の中華料理店;『麒麟園』です。

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店内はとってもキレイで快適な装い。


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お店の奥様に尋ねました。

「こちらのお店の創業はいつですか?」

奥様の返答。「もうずいぶん昔で1966年です。」

僕は目を輝かせて。

「あーそうでしたか😃、実は私、昔、もうなくなってしまったニチイに取引先としてお邪魔していたんです✨」

その後のお話が弾んだことは言うまでもありません☺️

僕がいただいたランチの定食。優しい味で身体に染みるようなとっても美味しいお料理でした✨

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お会計後に、奥様が「タイガースのとちゃうけどね」と照れながら僕にくれたパインアメ。

僕1人なのにその数が2つだったのは、“お気持ち”だったんだろうな、って思います。

「あーそうだ、京都は優しい人の町だった☺️」

あの頃のほっこり感覚を思い出しました。

 

🍀緑色的.....? 

ニチイは2001年に経営破綻してしまい、会社更生法の適用を受けてイオンの支援で再建されることになりましたが、最終的に事業再編の対象となって当時の面影を目にできることはなくなりました。

なんでなくなっちゃったんだろうなぁ。。

しかし今でも、イオンの事業のいくつかにニチイのDNAを感じることはできます。全国に展開する『イオンモール』ですが、国内におけるスーパーの大型複合商業施設はニチイが神奈川県横浜市に建設した『マイカル本牧』の視点とノウハウが起源だと思うし、『イオンシネマ』に足を運ぶたびに、「起源はニチイが手掛けたワーナーマイカルシネマズだよな」って思う。エグザスやピープルといったスポーツクラブ事業をイオングループで担うKONAMIは、もともとはニチイの企業グループ。

こんな風に思います。 

「歴史的に見れば、ニチイは、もちろん意図せず、だけど、イオンの、いや、日本の大型スーパーが次の時代のステージへ進む上での“緑色的”な裏方として大貢献したんだよなぁ」

今日の記事の結びは、僕が京都のニチイのお店へ出入りしていたあの頃、閉店時間の前に店内で流されていた音楽を拝借します。ビリージョエルの『素顔のままで』→ つのだ⭐︎ひろの『メリー・ジェーン』、そしてニチイのイメージソング;『ふれあいニチイ』。いつもこの順番でした。

『ふれあいニチイ』なんか好きだったなぁ。

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お店の閉店がまだ19時だった、昭和から平成の始めにかけての古いお話です☺️

 

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7,000字を超える回想録、無事に書き終えることができましたm(._.)m

大晦日になってしまったけど、この記事は年内に投稿して一区切りつけたかったのでホッとしています。

毎回訪問してくださる有り難いブロガーの皆さまを始めとして今年もご縁を持ってくださりありがとうございました。実は今日のこの記事を書き終えたことではてなブログをやっている間にどうしても記事にしたかったことが完遂してしまったので今後どうしようかな、って思いがあるのですが、PROと独自ドメインの契約は来年の10月までありますし、来年いきなり行方不明(笑)になってしまうことはないので、来年も引き続きよろしくお願いします😊

2024年が皆さまにとって心穏やかに優しい気持ちでワクワク過ごせる素敵な年になりますように✨

良いお年をお迎えくださいね!

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