最近のマスメディアとSNSを見ていると、さまざまな「陰と陽」が絡み合ってうねりながら、“人類レベル“でのすごく大きな気づきを促す潮流みたいなものになっているのを感じます。
今の延長線上で出現する“最恐の陰” は、僕らが「もう何を信じたらいいのかわからない!」って頭を抱えてしまうような、絶望的な不安を感じる状況かもしれません。
しかし、そんな“絶体絶命”の状況になった時、そこに生じてくる“最強の陽”がある気がします。ここで言う“最強の陽”とは、「もう自分の外側ではなく自分の内側に信じるものを求めよう」という、一種の“悟り”のようなものが心の中に生まれてくる、のかもしれないということです。その心境になった時、僕らはこれまでずっと“外側の誰か”から保証してもらっていた(つもりだった)安心安全の毎日の頃よりも、「心底ホッと安心できる」上に、言うなれば「自己信頼由来の力強さ」のようなものさえ感じるようになるのかもしれません。
先週、ひとつ歳を重ねました☺️
歳を重ねる前日の夜、久しぶりに手帳に向かって、数時間、内省を綴りました。
外側の世界がこれからどう変わろうと、不可抗力でいきなり人生の幕が降ろされるような事態が起きようと、そんな望まない事態が起きるかもしれないことを憂いながら今をないがしろに生きることだけはやめよう。それをまず心に決めたことが、その日の内省のスタート。
そこから先、どんなことを手帳に書き綴ったのかは記事にはしませんが、4ページの内省を終えた直後、こう思いました。
「やって良かったな。やる前よりなんとなくワクワクが感じられる感じがする☺️」
生命力あふれる春の白✨
こちらは、毎年、シーズンの終わりに滑り込みで咲く、それゆえに生命力を感じる自宅のベランダの白。
そしてこちらは、圧巻の咲き誇る姿から生命力があふれ出る白。
「生命力。そう、植物って皆生きてるんだよな...」ってことをあらためて意識してみると、なんだかそれってものすごいことのように思えてきます。生きているんだから言葉は発しなくても意識だってあるはず。鑑賞する時だけ植物のことを気にかける僕ら人間は、実は周囲にいる全ての植物たちから “心の目みたいなものでいつだって見られているのかも” って思うと、「少なくとも良心に反することだけはしてはいけない」みたいな感じで、なんだかちょっとだけ気が引き締まる感じがしませんか🫢
大好き。
遠目から見たら「寒桜?」って思ったのですが。
近づいてみると、「あれ、梅だ...」
ネットで調べてわかりました。この梅の名は『紅梅』。
さらにわかったのが、“あの人”が愛した花だということです✨
ちなみに“あの人”は僕の知り合いではありません。笑
平安中期の有名な作家、清少納言さんです。
あの『枕草子』の中でこんなふうに綴っています。
木の花は、濃きも薄きも紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。
桜や藤の花については「こういう装いの時がいい」という条件付きの賞賛ですが、紅梅については「濃くても淡くても」“もうどんなのであっても”良い、って感じでの無条件の絶賛🤭
「大好き!」ってとっても幸せな感情ですよね✨
アンニュイ。
陰と陽のどちらの意味でも使われる和製フランス語。どっちなのか区別できない、でも穏やかな気持ちで、今年の早咲き桜の写真を並べます♪
ギャップ。
毎年、写真を撮る度に、「ホンモノはもっと素敵なのになぁ、、なんか写真だと違う...」って感じる花があります。
木瓜の花。
「うわー素敵✨」ってスマホカメラのシャッターを切るのだけれど、撮れた写真を見ると、「んー、なんかゴチャゴチャしててイマイチかも.....」ってほぼ毎回思ってしまいます。
撮影技術とスマホカメラの限界はあるとはもちろん承知してはいるものの、他の花を撮影した直後と比較すると、明らかに「んーー🤔」度が高いです。
リアルの良さ。
職場におけるコロナ禍での弊害のひとつとして、「リアルコミュニケーションの減少による社員の孤独感・不安感の増大」という課題が挙げられていたりします。
何度撮り直してもリアルでの素敵さを再現できないというとっても小さな出来事ですが、このギャップは、非効率や不便ととらえてきたことの中にもある幸せ、のことを思い出させようという“意図が含まれたギフト”だったりするのかもしれません☺️
陰と陽。
ふと気づいたら沈丁花が満開になっていました♪
2年ぐらい前まで、沈丁花がどの季節にどんな装いで花を咲かせるのかを全く知らなかった僕が、今ではこんなふうに毎年の恒例的な記事にできるようになったとは、「僕も進化しているんだなぁ」って感慨深いです。笑
沈丁花の花言葉って調べるといくつも出てくるのですが、最初の方に出てくるのが「不老」「不死」「永遠」。これは花に由来するのではなく、一年中緑の葉をつけている常緑樹だからだそうです。「沈丁花固有の特徴じゃないじゃん!」と突っ込みたくなる気持ちを抑えて....
春の「沈丁花」って、夏の「梔子(クチナシ)」「秋の『金木犀(キンモクセイ)」と並んで『三大香木』って呼ばれているんですね😃 アロマオイルが売っていないだろうか、って思い、Amazonと楽天で検索してみましたがほぼほぼありませんでした。。。沈丁花の精油ってほんの僅かしかとれないために商品化しても高額になってしまうので、世の中に精油由来のオイルというのは流通していないようです。きっと「香りを楽しみたかったら、花が咲く季節にリアルで会いに来て下さいね!」ってことですね☺️
そんなポジティブ感満載の沈丁花ですが、木や実には毒があって、誤って口にすると、下痢や嘔吐、ひどい時には心臓障害を引き起こすほどの毒性があるんだそうです。。
だというのに、花を煎じた汁は薬用として使われることもあって、口内炎や喉の痛みに効果があるのだとか。。。
見た目はキュートで、他のどの花とも似ていない清楚な香り。なのに強い毒性があって、なのになのに(笑)一転して薬用にもなる。。🤔
陰と陽が一体となってひとつの存在を成している。この世のあらゆるものってそういう風にできているのかもしれない、って思うと、、あらゆる物事に完璧を目指してそれが成し得なかった時に自己肯定感を落としたりすることって実は極めて不自然なこと.....真の完璧って実は「陽100%」のことではなくて陰と陽が併存する状態なのかもしれない。
ん?それって「物事は皆、初めからすでに完璧」ってこと?
あーなんか今、すごいことに気づいたのかも🫢
謝恩フェス✨
冬シーズンからこの春先まで、総力を結集して街に彩りをつくって来てくれた花たちへの感謝の意を込めて、広告ゼロが唯一最大の自慢!?である当ブログの記事スペースを“謝恩フェス会場”にしたいと思います😊
今日の記事の結びは、2年前、自己研鑽チャレンジの勉強をドトール☕️でやっていた時に、いつも店内で耳にしていた一曲にします♪ 当時のチャレンジが望む結果を得られるものになったこともあって、この曲を聴いていると「次の新たなチャレンジを✨」という気持ちが静かにかき立てられるような、そんな感じがしてきます(╹◡╹)
【本日の追記】
大切な存在だったブロガーさんがまた一人、いなくなってしまうことがわかりました...ブログをやっていることでのせつなさのひとつは、この「突然のお別れ」かもしれませんね。「Life goes on」ってこんな時に使う言葉なのかな。