“緑色”的な僕のほんのりワクワクblog

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刺さった。(『空白を埋める1ピース』:第3話)

こんにちは♪

今日の記事は、ブログ断ちしていた48日間の空白を埋める3ピース目として、その期間中に読んだ本の内容で、こころに刺さったことを書きたいと思います。

 

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喜びが来るのを待ち受けるな。

筑波大学名誉教授の村上和雄先生が書かれたこの本を読みました。

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※『アホは神の望み』村上和雄著   2018年 サンマーク文庫刊

村上先生は1936年生まれ、僕が尊敬する “人生の大先輩” 的な方です。この本より前に出版された他の著作は何冊か読んでいるのですが、この本はまだ未読でした。

村上先生は、バイオテクノロジーの世界的権威なのに、いや、科学を真摯に追求してこられたからこそたどり着いたに違いない、こんな確信を持っていらっしゃいます。

いろいろむずかしいことをいいましたが、一つ、心にとどめておいていただきたいのは、目に見えるものだけを信じるあまり、目に見えないものは「存在しない」と切って捨てないことです。生命思考の観点からは、命にとって大事なものほど目に見えないものかもしれないーそうした想像力の余地を残しておくことは、私たちの思考に幅や余裕を与え、生や命を充実させてくれるはずだからです。

 ※前掲書227頁13行目〜228頁1〜3行目から引用

 

今回、僕のこころに最も刺さったのは、以下のメッセージです。

もちろん人生は、そうそううまくいくことばかりでもなければ、笑ってすまされることばかりでもありません。しかし、厳しく苛烈であるからこそ、私たちは喜びをもって生きることを忘れてはいけない。喜びがどこからかもたらされるのを待つのではなく、どんなささやかなことでもいいから、自分から喜びを探し出して、その日一日の収穫として喜ぶ「陽の思想」が大切になってくるのです。

 ※前掲書230頁13行目〜231頁1〜3行目から引用

 

僕にはこの「陽の思想」をこころに養うことが必要だって、ものすごく痛感させられたのでした。

 
上機嫌は大人の義務である。

続いてこの本です。

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※『60歳からの生き方哲学 円熟した大人の作り方』 齋藤孝著   2020年 笠間書院刊

テレビでもお馴染み、明治大学教授の齋藤孝先生の著書です。

これまで齋藤先生の本を読んだことはありませんでした。

齋藤先生の専門は「日本語」、というのが僕が持っているイメージです。

60歳以降に向けての準備が書かれた本はもう何冊も読んでいてすでにひと段落、の感を持つ僕が、前掲の齋藤先生の本を読もうと思ったのは、自分の中で日本人であるということへの思いが高まってきているがゆえだったのかもしれません。

 

この本で最もこころに刺さった内容を引用します。

 

円熟した大人は、上機嫌の場作りの一番の責任者です。場には人の身体性が色濃く染み出します。私たちの機嫌しだいで、周りの人たちが幸せな気分になったり、険悪な気分になったりします。円熟した大人には、率先垂範して上機嫌のオーラを供給し、楽しく幸せな一期一会の祝祭の場を作り出す努力義務があります。

上機嫌と親類関係にある「気持ちを高揚させるもの」「楽観」「幸福」などもすべて、気まぐれな気分や感情に基づいたものではなく、極めて意思的なものであり、苦労し、工夫して勝ち取らねばならないものなのです。

 ※前掲書84頁11行目〜85頁1行目から引用

 

職場での自分自身を思い返しました。

極端な感情表現には至らない非好戦的な性格、と自認しているがゆえに、むしろ感情は取り繕うことなくありのままの自然体で振る舞う方が周囲の人たちの安心につながるし、僕自身も信頼してもらえるはず、って感じのことを、若い頃からなんとなくずっと思って今現在に至っていることに気づきました。

だから「怒」や「哀」についても、特に意識して “コントロール” しようとした記憶がないのです・・

自分が気づいていないだけで、周囲の誰かにネガティブな気分を味わわせてしまったことが何度もあったかもしれない可能性は否めません。

 

この時、その数日前にFMラジオで耳にした曲のワンフレーズを思い出しました。

すぐスマイルするべきだ 子供じゃないならね

森七菜 スマイル Music Video - YouTube

幸か不幸か、いやきっと幸なことに、引用した上記のワンフレーズ以外の歌詞は記憶に残っていなかった僕には、「お父さん、しっかりしてよ!」って言われたような感じが。

 

「円熟した大人は、上機嫌のいちばんの責任者」

 

本当に齋藤先生のおっしゃる通りだと思いました。

 

卵もニワトリも。

村上先生も齋藤先生も、前提にされているのはおそらく以下のようなことだろうと思いました。

 

  1. この世の全てのものには「陰」「陽」の両面があるというのが真理である。
  2. だから「陰」を排除して「陽」のみにしようと頑張っても、その達成はきわめて困難である。
  3. しかし、幸い、人間の現実というのは、その人の意識で意味づけしたもので創られている。
  4. よって、幸せを感じたいのであれば、望まない「陰」を排除しようと“必死に”意識を集中するのではなく、望む「陽」の方に意識を集中できる能力を高めていくべきである。

 

陰=ネガティブが完全排除されることはありえないという前提に立つのならば、ポジティブのすぐ隣にネガティブがあったとしても、主体的に自分の意思の力を使ってポジティブの方に気持ちを集中(=選択)することが最も賢明な方法なのでしょう。

改めて考えてみると、僕がこれまでの人生で何度も繰り返してきた、ネガティブ完全排除のための奮闘、苦闘、というのは、それによって学べたものには後から必ず気づけてはいるけれど、幸せになるための努力の仕方としてはかなり効率の悪い方法だったのかもしれません。

 

村上先生のおっしゃる「陽の思想」が養われてくれば、齋藤先生のおっしゃる「上機嫌の一番の責任者」に相応しい言動はより自然にとれるようになれそうです。

一方、よく言われるところの、「まず形から入ってしまう」手法として、たとえ最初はぎこちなくとも「上機嫌の一番の責任者」を意識した言動を日々努めて生活していくことが、「陽の思想」の養成につながっていくような気もします。

 

卵が先かニワトリが先か、でも、どちらが卵かニワトリか、でもなく、ピンときたのだから、

どちらも同時にすぐ始めた方がいい。

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以上が、ブログ断ちをしていた48日間の空白を埋める“3つ目のピース”のお話でした。

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【追記】村上先生と齋藤先生の言葉がこころに刺さって以来、ときどき僕の口からはこのワンフレーズがメロディー付きで突然ポロッと湧いてきます。

すぐスマイルするべきだ 子供じゃないならね

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※次回のブログアクセスは5月29日(土)になります。それまでの間、“お留守”にさせていただきますこと、どうかご容赦ください。