約2ヶ月前、オリンピック開会式の日を最終投稿記念日として、このブログの無期限休止をご報告した僕ですが、来春以降、もしまたはてなでブログを再開しようという思いが湧いてきた時には、このブログに『あとがき』というタイトルでもう一記事だけ投稿した後にサブドメインを作ってやろうかなって考えていました。
まだ来春も迎えていないのに、、なのですが、数日前にふと「あとがき、ってタイトルの記事を投稿するのなら、今やったらどう?」って“啓示”が降りてきたような気がしたことがきっかけで、今、スマホ画面に向かって記事を書いています。
『あとがき』は何度も書くわけにはいかないので、冒頭に書いた来春以降の構想は白紙になってしまいますが、先のことはまたその時に考えるという前提で、今日は “1日限定” で、『あとがき』らしくちょっと控えめをわきまえた記事を書かせてください。
「えっ?」と息声が漏れた悲報
9月12日、僕が中学生の頃に好きだったフォークデュオ「風」の大久保一久さんが亡くなられました。
風で最も有名な曲はおそらく『22才の別れ』ですよね。この曲はもちろんのこと、風のシングルレコードのA面は正やん(伊勢正三さん)の曲ばかりで久保やん(大久保さん)の曲はいつもB面で控えめな印象でしたが、でもアルバムには久保やんが作った優しくてキラキラ輝く曲が何曲もあったんです。
訃報を知った後、僕はYouTubeで何度も久保やんの曲の中で一番好きだった曲の動画を視聴し、翌日も車を運転しながらその曲を歌いました。
若い頃の記憶って本当にすごいですね。中学生の当時、意味もちゃんと理解しきれずに聴いていた曲の歌詞がフルコーラスでスルスルと口から出てくる。自分の口から途切れることなく湧いてくる歌詞を聴きながら、「あぁ、そういう意味だったのか」「こんな情景だったんだなぁ・・」と初めて理解できた僕。
一番好きだったその曲ですが、オリジナルの素敵な世界観の映像を背景にその曲の動画を制作してくださっているYouTuberの方がいらっしゃったので、その方の動画をお借りしてご紹介します。
そう、曲のタイトルは『あとがき』、なんです。
訃報を知って動画視聴し、そして車で歌っていた時には全く気づかなかったのですが、先日いきなり、「あっ!あとがきとあとがきで同じじゃないか!」って気づいたんです。
僕はこの手の出来事を、偶然ではなく必然、ととらえる性質なので、冒頭に記載した通り、これは久保やんが「あとがきってタイトルの記事を書くつもりがあるのなら、僕の曲に対する君の想いを添えて今書いてくれると嬉しいな」って言ってくれているような気がしたのでした。
僕は『あとがき』という曲の1番と2番の間の間奏部分が特に好きでした。なんだかドラマティックで心を震わせるようなきらめきを感じていたんです。
今回とっても久しぶりに聴いた『あとがき』は、僕が知りえない久保やんの71年の人生が本のようにパラパラと高速でめくられているような、そんなイメージを感じました。
そして僕にはこんな思いが湧いてきたんです。
「期間限定の人生。精一杯大切に生きなくては。」
今思うと、僕が「僕」という一人称の呼称をよく使うようになったのは、久保やんの曲から伝わってきた「柔らかな優しさの僕」の印象が一番大きな影響だったかもしれません。
大久保一久さんへ。
僕に「優しさ」が素敵なものであることを教えてくださりありがとうございました。謹んでご冥福をお祈りします。
ブログ休止2ヶ月後の今の僕。
未知の変化に飛び込む経験に集中したくて無期限休止中のこのブログ。
8月半ばからそのチャレンジ経験は本格的にスタートしましたが、僕は今、その経験に飛び込んで本当に良かったって思っています。
未知の世界に飛び込む前の不安感。それでも不退転の覚悟を決めて飛び込み、少し顔色変えながらもなんとかその日のゴールに着地できた時の安心感〜やり切った感。あるいはついこの間まで全く知らなかった人達との協働体験。そして未知の世界は事前に想定できない分、想定外の嬉しさや楽しさも、“前を向いてさえいれば” ちゃんと得られるんだってこと。
きっと世の中の大半の人は、「未知の変化に飛び込む時はいつも不安はつきものだけど、でもこの後には大きなワクワクが待っているんだ」って知っているんだと思いました。「この不安はこれから得られるワクワクの予兆なんだ」ってことを経験的に信じられていることが、望む変化に自分の意思で踏み出す原動力になっているんじゃないかなって。
この1ヶ月の経験で、とっても遅まきながら、ですが、そんな気づきを得ることができています。
今やっているチャレンジは、1ヶ月前までは年内がヤマだろうって思っていましたが、全力で取り組むのであれば、これから来春にかけてむしろどんどん密度が濃くなっていくであろうことがわかりました。ゴールまで “走り抜け” のイメージですね。
もし今回のこの機会を全力でやりきれなかったら、僕はもう未知の変化に飛び込むことによるワクワクの追求は二度とやらないかもしれない、って予感がしているんです。人生最後の機会、になるかもと。
何度もしくじり恥をかいたとしても、失敗は成功のもと、ならぬ、「失敗はワクワクのもとなんだよ」って自然に思える人に近づきたい。
これから来春までのステップで、“不安と小さな達成感のサイクル” を一生懸命体験していこう、ってあらためて心しているのが、今の僕です。
久々に記事が書ける機会なので。
今日のこの記事は過去に書いた72記事の「あとがき」ではありますけど、せっかく記事を書ける機会が持てたので、控えめにですけど、少しだけ「らしさ」を醸し出させていただこうかな、って思います。
(「いやいや、あなた、もうここまでで充分醸し出せてますけど、、」って聞こえたような^^;)
父の好きだった花。
今週はお彼岸ですね。この時期に咲く花と言えば、そう、「彼岸花」ですね。
彼岸花は、5年前に亡くなった父が好きだった花でした。いや、正確に書くと、好きだった花「だったそうです」。父が亡くなってしばらくして、母からそう聞かされました。
僕は小学校5年生ぐらいの頃から父が亡くなるまで、諸事情あって、皆無と言えるぐらい父と会話をしませんでした。僕が35歳ぐらいの時に、父が脳梗塞を発症して言語障害が出て、以降は会話自体が成り立たなくなってしまったことも相まって、父がどんな価値観を持っていて何を信じていたのか、魚釣り、ラグビー観戦、そして酒とタバコが好きである以外に何が好きだったのか、等、何も知ることがないまま、父と別れることになったのです。
どんな背景があったにせよ、もちろん後悔はあります。
今でも父の遺影に向かって、「ごめんね」ってつぶやくことは時々ありますが、過去はもう頭と心の中でしかやり直せない。だから、その後悔の経験から何を学び取り、今を生きる上でどう生かして行くか、それを自分自身に問い続けながら、命ある限り前向きに生きる姿を見せること。今からできる父への“恩返し”はこれしかないよなって、お彼岸中日の今日、あらためて思っています。
今、公園では彼岸花が満開です。
父へのお供えも兼ねさせていただき、久しぶりに何枚か写真をアップします♬
同じく旬の、萩の花も満開でしたので少しだけ^ ^
萩の花言葉のひとつに「柔軟な精神」というのがあるそうです ♪
「彼岸花」でさらに思い浮かぶのは?
特に今週は『鬼滅の刃』だったりはしませんか?
昨年公開された映画が今週末に地上波初登場ですね^ ^
昨年、映画館に足を運んだ僕は、想定を超える感銘を受け、「全集中で」記事を書いて下掲の投稿をしました。
今、自分で読み返しても、この映画からは、「これからの時代を生きる上でとっても有意義な気づき」をもらえたな、って思います。
投稿しておしまいではなく、得た気づきはちゃんと自分の心に刻んでおかなくちゃな、って心に留め直しました。
映画評論ではなく、僕のフィルターを通してのあくまで1個人の主観ではありますが、ネタバレは書いていないつもりですので、もし、今週末の映画をテレビで観る予定にされている方がいらっしゃったら、あるいはすでに映画をご覧になった方がいらっしゃったら、記事の後半部分だけでもサラッと読んでみていただけると嬉しいです。
【9月25日追記】スポンサーのおかげでテレビ放映できるのだから仕方ないのですけど、CMが多すぎて、感動の高まりが何度も切れてしまうのが残念でした。。それでもやっぱり素敵な作品でしたけど。
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今日は、思いがけず戻って来させていただいてのひととき、楽しかったです。
記事を書くのはやっぱりすごく楽しい!!ですね。
でも、だからこそ今は、チャレンジ中の事に全力で取り組むためにもブログはちゃんと休止しておかないと、僕の切り替え力では共倒れしてしまうな、ともあらためて思いました。
このチャレンジがしっかり一区切りついたら、きっと、、僕はきっとまたここに戻ってくる気がしています。2021年9月23日現在の気ですが(笑)。
今年も残り3ヶ月強になりました。
あまりにとても長いマスク生活、急な天候変動、そして気温変化の大きい今日この頃、ではありますけど、だからこそ、『陽の思想』を心がけて行きたいなと思います。
陽の思想とは、過去の記事にも書きましたが、この4月に他界された筑波大学名誉教授の村上和雄先生の言葉で、「喜びがどこからかもたらされるのを待つのではなく、どんなささやかなことでもいいから、自分から喜びを探し出して、その日一日の収穫として喜ぶ」ことです。
外側の世界がどんなにバタバタしていようと、皆様の「今ここ」にいつも“ほんのりワクワク”がありますように♬
本日は気まぐれな投稿記事を訪問してくださり、どうもありがとうございました!