昨日はあいにくの雨。しかし、日々の生活でやりたいことを雨を理由にやめたり延期することにはもういいかげん飽きました。そういうのはおそらくはもう一生分やり尽くしたので^^;、もうそろそろ卒業しよう。
昨日は7年前に他界した父の生前の誕生日でした。ゆえに僕的には “花まつり” の日。幸い大雨でもないし強風でもないので、休日だけど朝から電車に揺られ、都内の公園で長傘をさしながら “花まつり”な現実を創ってきました^^
ということで、今日の記事は、雨空の下でのおまつりレポートです(╹◡╹)
🤸♂️(心の)準備運動。
昨日訪れたのは東京都北区にある『浮間公園』です。
まずまずの雨模様🤔
それでも4月15日だから花まつり!
うーん、雨降りの日って感じ🤔
それでも4月15日だから花まつり✊
🌸第一会場🌿
この公園を選んだ一番の理由は、明日(17日)で一般公開が終わってしまうこちらの期間限定イベントが見たかったからなんです。
昨年は一般公開が終了した数日後に訪れて残念な思いをし、その時に「今度来る時は絶対に公開中に!」って思ったことを実は数日前に思い出し^^;「もう今週末しかない!」って気にかけていたのでした。
『桜草』
桜草は日本国内では四国と沖縄を除いた各地に自生する小さな多年草です。
かつてこの地域は江戸時代から「浮間ヶ原」と呼ばれ、桜草の自生地として有名だったそうです。しかし昭和の初期に、荒川の改修、築堤工事が行われて荒川の本流が大きく変えられたことで、桜草の繁殖と生育に必要な環境がなくなってしまい、自生地はほぼ消失してしまったとのこと。その状況に対して、60年ほど前、地元の人々が庭先の桜草を持ち寄って保存会を結成し、以降、長年にわたる栽培作業によって、この日僕が訪れた圃場(おまつり会場の場所)に当時の浮間ヶ原の面影がよみがえってきているのだ、というお話が、会場で配られた冊子に書いてありました。
では早速、その “面影” をご覧いただきます(╹◡╹)
かつて荒川の河辺の湿地帯には、あたり一面にこんな風に桜草が咲き乱れていたのでしょうか☺️
続いては花の可憐さにフォーカスします(╹◡╹)
前から二列の鉢が、地元の小学生が育てたものなんだそうです✨
桜草はこの地に住む老若男女全ての方々にとって特別な存在なんでしょうね。桜草はこの町の多様な人たちの心の接点になっているんだろうな☺️
では続けて、“大人編” です♪
🌸第二会場🌷
第二会場のメインは『サトザクラ(里桜)』です。
ネットで調べてみましたが、『八重桜』って呼んでしまっていいみたいですね。
雨空下での撮影技術の不足ゆえ、何だか少しドヨーンとしてしまっていますね.....準備体操で登場してもらった花達にこっちで出てもらえば良かった^^;
なんとかもう少し明るい方へ!!
無料写真素材サイトさんの力も借りて!
終わり(まぁまぁ)明るければ全てよし✨
📘追憶。
あれは今から10年前ぐらいのことでしょうか。父に誕生日プレゼントを贈ったことがあります。記憶の限り、人生で最初で最後のプレゼント。
父はもともとビール好きでしたが、2度の脳梗塞を経てビールは医師から禁止されていたため、その頃は麦焼酎のお湯割りを容量を測って呑んでいました。いつもお手頃価格の銘柄を呑んでいるのを見ていた僕は、その時 “もうちょっと値が上” の別銘柄の麦焼酎の一升瓶をプレゼントしたのです。
夜になり、僕が東京の自宅へ帰ろうと準備を始めた際、父は突然こう言いました。
「この焼酎、持って帰れ。」
それを聞いた瞬間、僕は憤慨して声を荒げてこんなふうに言ってしまったことを覚えています。
「えー??? プレゼントでもらったものを何で一口も呑まずに持って帰れなんて言うんだよ!!」
もちろんその焼酎を僕が持って帰ることはなく、その後、父は全部呑んだと母から聞かされました。
今、その時のことを振り返ってみると、こんなふうに思うんです。
父は、人にしてあげることも、そして人からしてもらうこともどちらもとっても不得手な人でした。だから、「そんなにうまい酒ならお土産に持って帰ってお前が飲め」っていう優しさからの一言だったのかもしれません。あるいは、脳梗塞を2度もやっていた父には、もしかしたら、その焼酎を自分への誕生日プレゼントでもらったと認識できておらず、僕の忘れ物だと思ったのかもしれません。
当時の僕は、小学校高学年の頃から何十年と持ち続けていた父への不信感ゆえに、そんな風に受け止められる心の余裕もなく、「それどういう意味?」ってまずは普通に問い返せる器量もありませんでした。
父との “失われた40年”。僕がしてしまっていた誤解もずいぶん沢山あったはずって今わかりますが、当時はどうにも気づけなかった。そういう運命だったのだって受け入れつつも、ここまでの人生で「一つだけやり直せるよ」って、神様から言われたら、僕は “親父との関係” をエントリーします。
東京の僕の自宅の自室の机の上には、埼玉の実家にある仏壇の代わりに小さいサイズの父の写真と“お供え”があります。昨日はその “お供え” を新しいものに替えました。
いつもより “ちょっとだけ値が上” のビールとお饅頭。
「ビールはキリンの方が好きだ。」
「うまい饅頭だけどちょっと小さい。」
父はたぶんそんなふうに言ってます。笑
実は、昨日は起床するなりずっと頭の中でリピート再生していた曲があったんです。もともと好きな曲ではあるのですが、この日、突然出てきました。
その曲は、歌詞の意味、というよりも、曲が全体から発しているものが、なんていうか、人生の喜怒哀楽全てを凝縮しているような、そんな深い “音” であるような印象を受けます。
昨日は電車での移動中もまだ頭の中でリピートしていたこの曲をBGMに、「起きることは全て必要・必然・ベスト」「誰の人生も多様で尊い」、そんなメッセージが浮かんできたりしました。
ということで、今日の記事はその曲のYouTube動画で結ばせていただこうと思います☺️