前回書いた春バラの記事で完全燃焼した直後のせいでしょう、“その日” は雨も上がって晴れ間も出た天候でしたが、いつものように散歩に繰り出そうとは思わず、「そうだ、今日は映画を観に行こう♪」という思いが湧いてきて。
はい、観に行って参りました、『シン・ウルトラマン』。『一昨年の本屋大賞受賞の映画』とどちらにするか迷ったのですが、西島さんと長澤さん、そして “愛と光” に吸い寄せられたのかもしれません(笑)
ということで、今日の記事は、映画『シン・ウルトラマン』を観て、“僕が考えたこと” について綴ろうと思います😊
🎬映画のご紹介。
今日の記事では、映画の内容自体に直接触れるつもりはありません。とはいえ、いきなり “僕が考えたこと” を書き始めるのではあまりに“彩り”が欠けているので、ここは公式サイトさんに100%お世話になろうと思います♪
まずは上掲のサイトにある「イントロダクション」を引用させていただきます。
INTRODUCTION
空想と浪漫。そして、友情。
日本を代表するキャラクター“ウルトラマン”
を新たに『シン・ウルトラマン』として映画化!
企画・脚本・総監修に、自身もウルトラマンシリーズのファンであることを公言する庵野秀明。
そして、監督は数々の傑作を庵野氏と共に世に送り出してきた樋口真嗣。
この製作陣の元に超豪華な俳優陣が集結。
主人公の【ウルトラマンになる男】に斎藤工。
その他、長澤まさみ、西島秀俊、
有岡大貴、早見あかり、田中哲司ら
演技派・個性派キャストが総出演。
「ウルトラマン」の企画・発想の原点に立ち還りながら、現代日本を舞台に、未だ誰も見たことのない“ウルトラマン”が初めて降着した世界を描く、感動と興奮のエンターテインメント大作。
予告編の動画はこちらの公式サイトです👌
🌏広大な宇宙の中の地球。
今回の映画を観る以前から、僕は次のことを、“空気は見えないけど100%存在している” のと同じような当たり前の感覚で信じています。
それは、「広大な宇宙には、地球以外にも生命が存在する星はたくさんあるはず」ということ。
もし、この宇宙の中心に地球があって宇宙が地球を起点に動いていたりするのなら、この宇宙で唯一地球にのみ生命が存在する、なんてこともあるのかも、って思いますが、広大な宇宙の中の1つの惑星でしかない地球なのに、この惑星にしか生命が存在しないなんてことは、なんか思い上がりの極みの笑い話みたいな気がして「そりゃあり得ないだろう」って感じがします。
さらにはこうも思います。
生命が存在する星のいくつかでは、地球人類がまだ発明できていない高度な科学技術をすでに当たり前のように使っていることだって十分ありえるでしょう。
地球の科学がこれからも進化するという未来があることを是とするなら、今の地球の科学よりはるかに先を行っている文明があったって全くおかしくなどないですよね🤔
🛸外星人はなぜ侵略に来ない?
宇宙人や異星人ではなく「外星人」。この呼び方は今回観た映画の中で使われていたものなので、今日の記事で使わせてもらおうと思います^^
今回、映画を観ながら湧いてきた思いがいくつかあります。まずはそのひとつを。
以下は僕の自問自答です。
「高度な科学技術を持つ外星人は、その気になればきっと、地球侵略を企てそれをあっという間に実現することだって可能な力を持っているはずなのに、なぜそれをやらないのか?」
「地球に魅力がないから?」
「いやいや、青と緑の惑星・地球🌏自体にはきっと十分に魅力はあるはず。」
「この地球が本当に欲しいと思えば、全人類(ホモ・サピエンス)を壊滅、あるいは服従させた上で手に入れることなど、彼らにとってはすごく容易いことなんじゃないだろうか🤔」
「なのにそれをやらないことに、理由があるとしたら・・・」
「利己(私利私欲)を追求することを幸せとは思わないハートを持っているから、かもしれない。」
高度な科学技術を、利己の追求のためではなく利他の追求、あるいは自分を含むみんなの幸せのために使用することを幸せと感じるハートを持っているから、地球を侵略して自分のものにしてしまおうなどという欲求(発想)は起きないのかもしれないって、僕はそんな風に思います。
一方、地球に生きる、僕ら人間はどうだろう。
もし、今の地球上の社会で同じような高度な科学技術が発明されたらどうなるだろう?
きっとそれは、国家、組織、あるいは特定の大企業の利己の追求のために役立てることを最大化するために、まずは機密情報として扱われながら、あるいは権利の独占を確保された上で活用されていくのだろうなっていう気がします。
そしてその科学技術の権利をめぐって、きっとしまいには争いが起こる・・・。残念だけど、最近世の中で起きている出来事を見ていても、これが今の地球社会の “実力” であるように感じられてしまいます。
今のままの利己的な僕ら人類なんだったら、そんな高度な科学技術など発見されない方がよっぽど安心・安全で幸せなのかもしれない、とすら思えてしまうのです。。(><)
👽“未知との遭遇”を思う。
近年、外星人(宇宙人)っていうと、下掲の絵の一番左側の感じの外観をした生命体がよく紹介されているような気がします。
ちょっとウルトラマンに似てなくもない^^;
こんな風に、人間の形に近ければ、「○○人」として、まだ僕らの許容範囲にあるのかもしれません。
しかし、その外星人が、僕らの姿形とは全く違う存在だったとしたら・・・。
僕らは、ほぼ同じ容姿をした人間同士ですら、考え方や価値観の違い等が理由で、不安を感じたり悩んだり争ったりします。こんな僕らは、自分達と容姿が全く違う存在と遭遇した時に、果たしてネガティブ感情なしに受け入れることができるのでしょうか。。。
でも、、こんな風にも思います。
僕らは子供の頃から今に至るまで、アニメやSF・ファンタジー映画で、人間とは全く異なる容姿の存在がふつうに言葉を発して様々な活躍をする姿を、何の違和感もなく受け入れて、楽しんだり、ほんのりしたり、感動をもらったりしてきています。
言うなれば、“免疫” はあるのです。
そこからすると、鍵を握るのは “マインドセット”、「心構え」だけの問題だったりするのかもしれません。まずは “先入観や思い込みを手放す” 勇気、でしょうか。
きっといつの日かやってくる “未知との遭遇” 。
これはSF映画にあるような“エイリアン地球侵略”としてではなく、僕ら人類が高度な科学技術を、平和的に “みんなのために” 使えるハートを持ち、見た目の違いに惑わされず本質を見ながら多様性を尊重するコミュニケーションが取れる能力を “もうひとがんばり” して上げることができれば、もしかしたら意外に早く “友好的な関係” を前提として実現したりするのかもしれないな、って気が、僕にはしています♪
🎁“はざま”にあるもの。
今日の記事では、「映画の内容には触れません」と宣言しましたが、ネタバレにもならないシーンをひとつだけピックアップして、そこから僕が感じたことを書かせていただこうと思います。
「あなたは外星人なの?それとも人間なの?」
「両方だ。あえてはざま(狭間)にいるからこそ見えることもある。」
赤字の方が、長澤まさみさん演じる「ふつうの人間役」が発した質問、青字の方が、斎藤工さん演じる「ウルトラマンが人間の姿の時の役」が発した返答です。
なんか心にスッと入ってきたメッセージなので、自分の中で反芻してみる。
「両方であるとは“はざま”にいる状態」
「“はざま”にいるとは両方である状態」
「“はざま”にいると新たに見えてくることがある」
「外星人と人間」の両方という話は、僕の中で、「ポジティブとネガティブ」の両方、という視点に変換されました。
「私はポジティブとネガティブの両方である、ってどんな状態だろう?」
両方である、とは、全部をもって自分である、つまりひとつである、ということでしょうか。
対人関係で考えてみます。
自分が信じること、好きなことに相手がマッチしている状態=ポジティブ、だとするなら、自分の信じること、好きなことと相異なる言動をする相手に対して不快や嫌悪を感じている状態=ネガティブ、でしょうか。
この場合の「両方である」とは・・感じているネガティブの原因となった相手の言動に対して、例えば「でも、自分だってそういうところ、絶対ないとは言えないよな。気づかずにやっちゃってることもあるのかも。」って感じで、自分と相手に境界線を引かずに一旦受容することで実現する “心の状態” だったりするのかな🤔
そして「両方である」心の状態になれた時、それは “はざま” にいることとなり、その “はざま” には “幸せになるために役立つ宝の知恵” が用意されている、のかもしれない。
以上で今回の記事は終わりです♫
「ウルトラマンは一体どこにいたの?」って感じの、想定通りの展開になりました(笑)
あらためて僕が思うことは、まず、「“緑色” 的な自分を追求して行きたい、という僕の方向性は、新しい時代へ備える上で、少なくともズレてることはなさそうな気がする☺️」ということです。
そしてもうひとつですが、「両方でいることによって “はざま” にあるお宝にコンタクトできる、かもしれない」というスキルについては、「日常の生活でちょっと意識して試してみようかな」って思います♪
僕ら地球人が外星人とコンタクトできる頃には、僕らの地球は、今年に入ってから僕のブログ記事に再三登場いただいている、藤城清治さんの影絵;『生きるよろこび』の世界に、もしかしたら数歩ぐらいは近づいているのかもしれませんね♫