フジテレビ。大学生の頃、憧れのマスメディアでした。当時、毎週土曜日のフジテレビの深夜番組を観ていましたが、その番組が終わった後、1日の最後を締めくくる放送として天気予報が放映されていました。その予報で流されていたBGMがこちらの曲、ギタリストの松原正樹さんの『YOU BABE』。この曲を聴くと、あの頃感じていた感覚が蘇ります。
そして上掲のBGMが流れる天気予報の背景の映像がこちらの『美ヶ原高原美術館』でした。
ビーナスラインという山岳ワインディングロードの最高地点、標高約2000mの高原に広がる、 フジサンケイグループが事業主体の野外彫刻美術館です。
当美術館のシンボルの『アモーレの鐘』。
昨年の初秋、20年以上連れ添った愛車との最後のロングドライブの場所として僕はこのエリアを選びました。若い頃の憧れだったマスメディアの世界の象徴が当時全盛だったフジテレビであり、美ヶ原高原美術館は僕の中でそのフジテレビの象徴だったかもしれません。この美術館には過去2回ほど訪れたことがありましたが、「軽自動車に乗り替えたらあのワインディングロードを走るのは大変だろうしもう訪れないかもしれないなぁ」っていう思いにも後押しされて、この地、この場所を選んだのでした。
美ヶ原高原美術館。
僕には彫刻を前にしてイメージを拡げる能力が欠けているようで、ずっと見ていても頭の中には「よくわからない....」という言葉ぐらいしか浮かんで来ず(°_°)
そんな中で唯一ほっこりした彫刻がこちらでした。
このひつじの表情、なんか良くありませんか?☺️
ではここらで、アモーレの鐘が鳴る当美術館の紹介動画をYouTuberさんに拝借します。
最近のフジテレビに関する報道を目にしながら僕が感じていること。
「フジテレビ、どうなってしまうのかな....社員の人たち、今春から入社が決まっている新卒の子たち、そしてその親御さんたちも不安だろうな。。」
突然ですが、
「資本主義経済下で、企業そして企業人が生き残っていくために不可欠な正しさって何ですか?」
こんな問いに対して、例えば民放のテレビ局で働く人なら、回答する前に頭の中を巡る考えのひとつとしてきっと以下のようなものってあるのではないかって思います。
事実=出来事だけニュースにしていたら競合との差別化は図れない。差別化が図れないと高視聴率は見込めなくなるし、そうなると広告主から番組打ち切りを申し入れられたり、あるいは今後の番組スポンサーの確保がスムーズに行かなくなりうる。人気番組を生み出し続けていくことが必要だ。そのためには人気と実力があるタレントとの強固な関係性を日頃から築いておくことも欠かせない。
上記以外にも頭の中に浮かんだいくつかの考えの内から上記のような考え方を、行動の拠り所とする最上位の正しさとして選択する決断に至る場合には、ひょっとするとこんな言葉が背中を最後の一押しすることもあるのかもしれません。
「仕事だから」
昭和生まれの人たちは、「仕事だから」という言葉に象徴される組織人の“暗黙の常識”の中で育った世代だと思います。
「仕事だから」は多様性を封印する魔法の言葉。
魔法の言葉ですから、一個人なら到底やらないような“大胆なこと”もやらせてしまう大きなパワーがあるかもしれません。この言葉を“ラッキーな免罪符”としてワクワクと行動してしまえる人もいれば、良心の呵責を感じながらも苦渋の選択として行動に移す人もいるのでしょう。あるいは、感じる•考えるスイッチをオフにして、選択した正しさに徹する人もいるのかもしれません。
さて再び美ヶ原高原の彫刻に戻ります。
作品解説はいずれも各作品展示の横に表示されていたQRコードから入手したものです。
🟢【作品名】イリアッド・ジャパン
🟢【作品名】Flying Object(隠された形)
🟢【作品名】スズメヲウツノニタイホウヲモチダス
🟢【作品名】山上のソロ


🟢【作品名】過去 現在 未来
🟢【作品名】浸透する空気
🟢【作品名】雲の墓標
🟢【作品名】時空領域ー星の音
🟢【作品名】家を創る人々
🟢【作品名】暦(こよみ)
🟢【作品名】神の化身
🟢【作品名】家族
🟢【作品名】帽子をかぶって



🟢【作品名】夜の軌道
🟢【作品名】翔びたい私の心
🟢【作品名】男と女ー1986
🟢【作品名】パチャママI(インカの大地母神)
🟢【作品名】母と子供たち
🟢【作品名】イヴ
🟢【作品名】犬の唄


🟢【作品名】瀕死の海鳥
🟢【作品名】 樹々の舞
🟢【作品名】星のコンパス
うーん、ちょっとこれは動画でないとよくわからないですよね...YouTuberさんに拝借してお届けします。
彫刻のご紹介のラストはこの方(あるいはこの方達)に。


どうしてスッポンポンなの🤔 もしや、人の目を気にせずに今ここにいる心を習得するための修行のような感じなのでしょうか。
もしかしたら彫刻家の方たちは、言葉にうまく表すことは難しいけれどものすごく確かにある強い思いや感情を、別物にならないよう「混沌としたありのままで」彫刻として表現することを追求しているのかもしれない。
この記事を創るために彫刻の写真を貼り続けていてふと気づいたことがあります。それは「彫刻の前では思考が停止する」ということ。瞑想やマインドフルネスにチャレンジしている時も、気づけばいつの間にか思考が始まってどうにも止められない僕だというのに、彫刻作品の前では思考が始まらず(正確に言えば、なんだかさっぱりよくわからないおかげで思考のしようがなく)頭の中が無のまま停止するような感じになります。今後、僕がどこかの彫刻作品を鑑賞しに行くことがあるとしたら、きっとこの思考が止まる無の体験ができることを期待して足を運ぶかもしれません。そして、そんなことを思った僕の拠り所となっている正しさは、「思考が停止した無の時間を持つことは心身の健康にとても良いこと」です。
人は悪意を拠り所として行動することはできない生き物だって僕は信じています。
誰もが自分が信じている正しさに忠実に行動を起こしているのだって思います。その行動は良くないことだという思いがある時でさえも、その上位には必ず拠り所とする正しさが存在しているのだと思う。
「この人が拠り所とする正しさってなんだろう」
「このマスメディア情報が拠り所とする正しさってなんだろう」
「この政党が拠り所とする正しさってなんだろう」
僕の場合は、その正しさが何なのかが推測できた時、「善悪の評価」をすることはやめておいた方がいいって思いに至ることが多いです。しかしそこに「好き嫌い」の感情が湧いてきた時は、そこはもう「僕の場合は」の主観領域ですから、もちろんその時の状況によってはそれを外側に表現するかどうかは考えますけど、基本的には「ありのままで良い」と思っています。つまり、好きだと感じればやっぱり受け入れることが多いし、嫌いならスルーか様子見、どうにも抑えきれない強い不快な感情が湧いてきたら「大嫌い!」って口に出す勢いで拒絶します。嫌いって思うことは良くないことだと信じて生きていた時代がとても長かった気がするけれど、今は別に悪いことではないと思っています。いつの日からか好き嫌いを善悪の話にすり替えることの方に不快感を感じる自分になりました。
“善悪主張の根は保身、好き嫌い主張の根は自己責任”








今日のこの記事の結びには、この記事を書いてきた僕の思いと気分になんとなくマッチしている3曲を選んでお届けしようと思います。
1曲目は、娘が幼少の頃に一緒によく聴いた曲の中でも僕が一番好きだったこの曲を。
2曲目はこちら。旧ジャニーズ系では、娘の影響で嵐の曲を数多く聴いてきているので彼らの曲に好きなものが多いのですが、今日選んだのはキスマイ。この曲は、楽曲としてとっても好きな1曲です。
上掲の動画に手話が取り入れられている理由はきっと、この曲を創ったつんくさんが声帯切除した直後だったからだと思います。この曲がリリースされた当時は、「つんくはどんな気持ちでこの曲を創ったのだろう」って思いも相まって、何度も繰り返し聴いていました。
そのつんくさんが声帯除去手術を受ける前の最後の歌唱動画をアップしてくださっているYouTuberさんがいらっしゃったので拝借します。この動画を視聴していると、しっかり生きなくちゃ、って思う。
人の数だけ正しさがあるこの世の中で、できる限り、周りの人たちが信じる正しさを尊重して生きていきたいと思います。それにはまず自分が信じている正しさとは異なる正しさが存在することを許すことが必要なのでしょう。「存在することを許す」とは自分の正しさに従わせようと強いないこと。
“誰かを変えようとはせずに、でも自分に正直に”
これからの人生、そんな風に「より自然に」生きていきたいって思っています。