“緑色”的な僕のほんのりワクワクblog

ほんのりワクワクがたくさんの毎日を♪

『いい庭の日』のほんのり♬

この記事では、言葉少なめにして感覚優先にしてみようかなって思います^ ^

 

『いい庭の日』

11月28日は『いい庭の日』、だなんて、一体いつ命名されたんでしょう?笑

なんてことはどうでもよくて、なんかほんのりワクワクな感じでいいですよねー♬

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都立9庭園共通パスポートをホントは買いたいのですが、コロナの影響でまた休園になってしまう可能性もゼロではないしなぁ、、って思いに跳ね返されて現在に至っています^^;

 

小石川後楽園に行ってきました ♪

こちら正門です^ ^

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いきなりきれいな紅葉です♬

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入口を入ると、いい庭の日記念で、これ、もらいました^ ^

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うーん、どこにつけよう?^^;

 

ではしばし、庭園内の風景を♬

 

風が強かったけど快晴でした♪

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東京では雪から木を守るというより鑑賞用ですね〜

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本日の園内での紅葉人気No.2でした^ ^

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『白糸の滝』。全国各地で聞く名前ですよね。赤ちゃんの名前人気ランキングとおんなじようなものなのでしょうか??

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せせらぎ。理屈不要で穏やかな気持ちになれます♪

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人気No.3ですね^ ^

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この小道の雰囲気、なんだか気になる感じです♬

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園内で一番人気の紅葉はこちらでした^ ^

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今日は『いい庭の日』なんですから!

これでおしまいにするのはなんだかもったいなく。

「もう一箇所、庭園に行こう!」

と思ったものの、小石川後楽園内を結構丁寧に観て回ったので、ちょっとだけ疲れたかも・・・

「小さめのいいところないかな、小さめの・・」

 

そんな時はやはりここです!

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国分寺の殿ヶ谷戸庭園。

 

入園してまず気づいたこと。

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紅葉は見頃過ぎ・・かな・・・

 

「小石川後楽園は見頃だったのになぁ、、、」と思った瞬間、僕の頭に浮かんだ通説。

 

「中央線エリアは“寺”を超える毎に気温が1℃ずつ下がる」

 

”とはこれです。

  高円寺→吉祥寺→国分寺→八王子

 

今気づいたおかしなこと。

八王子は“寺”じゃないじゃないか!!(*_*)

 

それはさておき、

「まぁ、そういうことなんだろうな、、」と納得。

 

せっかくの『いい庭の日』なので気を取り直して園内にスタート!

 

ではまた園内の風景メインで参ります♬ 

 

枯れ葉をバックに映える紅葉!

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ここにもあります、『雪吊り』。

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竹林はここの庭園の特徴のひとつです。

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昼前までなら日差しが入り込んでもっと映えたかも。
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紅葉よりツワブキの花が目立っていたような印象です。湧水は季節を問わず健在でした♬
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殿ヶ谷戸庭園の紅葉、今年の見納めです!

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以上、『いい庭の日』現地レポート?でした!

 

編集後記?!

来年は、都立9庭園を春夏秋冬でぐるぐる回りたいなぁ、ってすごく思っています(╹◡╹)

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入社時からのご縁だった先輩から30年かけて教えてもらったこと

今週のお題「感謝したいこと」

今回の記事はこれまで書いた中で一番長くなりそうです。これはある意味、僕がその先輩へ送る “お手紙” です。「先輩、読んでくれるといいなぁ」って思いながら、丁寧に言葉を選んで書いていこうと思います。

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入社して最初の先輩

僕は入社して最初の配属が大阪でした。「埼玉県人、人生修業のため、なにわに放り込まれる」という感じですね。

僕が大阪の地で初配属されたお得意先担当チームは、今はもう存在しないこの看板の企業さんでした。

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当時、店内で閉店の少し前に流されていた、「出会い、ふれあい、ニチイ〜♬」というテーマソングは、何百回と聴いたので今でもフルコーラスで歌えます。

先輩はこのチームのリーダー。東京の大学を卒業されていますが大阪の方です。年齢は僕とは一回り以上離れていました。新卒の僕は、「こんなに歳の離れた先生みたいな人と一緒に仕事をするなんて、会社ってなんだかとっても不思議だな・・」って感じていたことを思い出します。

 

先輩の際立った強い個性

今気づきましたが、「先輩」という呼称は、特定の人を指しているのかそれとも一般的な総称として使っているのか、頻度が増えるにつれて分かりにくくなりそうですね・・・

なので、どうしようかちょっとばかり考えた上で、「Nさん」と表記することにします。

 

Nさんの価値観は、「男はどんなに辛くとも戦い続けて勝っていかなくちゃいけない」でした。社内外問わず、常に誰かと勝負されていたようなイメージがあります。

当時、Nさんが “戦闘” の駆け引きでよく使っていた言葉が思い出されます。

 

「それは詭弁やな。」

「俺を論破してみろ。」

「俺と刺し違える覚悟があるのか?」

「これからはお前に対する見方を変えるで。」

 

その戦闘スタイルは、どちらかと言えば説得調で、相手が根負けして「もう堪忍して。わかったわ。好きにせえや・・」って言うまで何時間でも食いついて離さない、という感じのものでした。

Nさんは戦好きだというのに?かなり細かいことにもこだわりのある方で、僕はこの頃に「コピーした資料にホチキスを留める角度」とか、「社内メモの宛名の敬称の書き方」とかを指導してもらっています。

Nさんのこだわりを反映して、チームはほぼ毎日深夜前後の残業。全員が帰社して揃うまで退社してはいけないという半暗黙のお約束事もありました。

当時、周りの他の社員からは「あのチームだけは行きたくない」と評判で、よく他の先輩からは「大変やろ・・・」「毎日大変やな・・・」って苦笑い付きで声をかけられていたのを思い出します(^^;

ただ幸いなことに、当時の僕は、見知らぬ土地:関西でなんとか生きていくために必死に近いモードになっていました。会社に入って初めての仕事環境だったため比較するものも持っておらず、「社会人ってこんなもんなんだろう。とにかく無事に生きられているだけで幸せ。」みたいな感じでそれほど辛いとは思っていなかったのでした。

それほど辛いと思わなかった理由は、もうひとつあります。それはNさんが自他共に認める「義理と人情」に重きを置く人だったことです。“身内”が困難に陥りそうになるといつだって過剰なぐらい身体を張って守ってくれる力強い優しさがいつもそこにはあったのです。

 

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満を持して仕掛けた初めての勝負

Nさんには、「この間言ってたことと今回言ってることが違う」ということがよくありました。

 

「えっ、この間はこうおっしゃってましたよね?」って言うと、決まってこう返されました。

「俺がそんなこと言うわけないやろ。」

 

当時、これには僕もチームの仲間も少々参っていました。。

 

一緒に仕事をさせていただくようになって3年目に入ったある日、僕はNさんに“戦い”を挑むことを決めました。「この話、後日ひっくり返されると嫌だな」と感じたNさんのある一言を手帳に書き留めて、来たるべき “決戦” の日に備えたのです。

 

幸が不幸か、数ケ月後、思いがけずその日は来ました。

 

僕からまず一言。

「この間、こうおっしゃいましたよね?」

 

それに対してNさん。

「そんなこと言ってないよ!」

 

ここで僕が勝負をかける!

「僕、前回間違いなくそうおっしゃったのを、ちゃんとこの手帳に書き留めてありますよ!」

 

これに対するNさんの一言は驚愕。

 

「俺だって書いてあるわ!!」

「頭の中に・・・」

 

この出来事があって以降、僕がNさんに戦いを挑むことは、“何十年も” ありませんでした。

 

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男とは出世するために戦い続けるもの

Nさんとは、その6年後の2年間、そしてNさんがご定年間近のタイミング、という形で、計3回も同じ職場で働くご縁があったのです。

いずれのタイミングでお会いした時も、「人生は勝つために戦い続けること」という生き様は一貫していました。

3度目にお会いした時には、「男の人生の成功=出世」という信条を非常に強くお持ちでした。

そんなNさんの前で、当時、僕は「出世より家族を選ぶ」姿を見せたのでした。担っていた仕事と家族を両立する器量・技量が、当時の僕にはなく、どちらかを選ぶしかなかったのです。そこで仕事を選ばなかった僕のその選択を、おそらくNさんはとてもやり切れない思いで嘆かれていたと思います。

 

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生き様をかけた“再戦”準備

その数年後、Nさんはご定年を迎えられました。以降の約8年間はお会いすることもなく、年に一度の年賀状でのご挨拶のみになってしまっていました。いや、正確にはあえて僕がそうしていたのです。

その理由は、僕がこう思っていたからです。

「Nさんは、出世を手放して家族時間を選んだ僕の生き方を決して許容することは出来ないはず。だから、今お会いしてもお互いに気まずい思いをすることにしかならないだろう。」

そしてこうも決めていました。

「僕自身が定年という節目を迎えるタイミングで、『僕は自分が選択した責任を全部引き受けた上で、自らが望む幸せをしっかり実現しましたよ!』という“実績”を携えて、僕からお声がけして会うぞ!」

 

 

突然の訃報

コロナ自粛真っ只中の4月半ばのことでした。

Nさんの突然の訃報。

もう、「えっ・・・」とだだ絶句することしかできませんでした。

 

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菩薩様のような奥様 

Nさんの奥様とは約30年前、ご自宅に遊びにお邪魔させていただいた時に一度だけお会いしただけの面識でした。

コロナ自粛下ゆえ弔問に伺うわけにいきませんし、いきなり電話をしても戸惑わせてしまうに違いありません。

丸2日ほど考えた末、僕は大阪時代のチーム仲間に声をかけて連名で、弔意の手紙を添えて「花と緑のギフト券」をレターパックライトで送ったのでした。直筆で弔意の手紙を書いたのは僕です。

レターパックライトにしたのは、受け取り印が不要であることが理由でした。さらに、お返しのお気遣いは不要という一筆はもちろん添えましたが、きっと何かしらお礼の術をお考えになられるだろうとは思いました。住所の記載をしないことはかえってお手間を取らせてしまうと考え、僕らの氏名と住所を記載したメモを付けましたが、そこに会社のメールアドレスも記載することにしたのです。メールであれば、定型文ベースの内容を宛先複数指定で一発で送信できるから、少なくとも“見知らぬ相手”に電話をする心労は避けて最小限のお手数でご対応していただけるだろうって考えたのです。

しかし、Nさんの奥様は、レターパックに記載された僕の携帯番号の方に電話をかけて来られたのです。

奥様は、丁寧な口調だけど、昔から面識があるかのような優しく温かい雰囲気で、Nさんがご定年以降どんな生活をして来られたのか、そして病の発症から闘病の経過の話、さらには闘病の末期にNさんと奥様の間だけで交わされた大切なお話まで本当に詳しくお話ししてくださったのでした。

僕は思いました。

なんだか菩薩様のような奥様だな、って。

この奥様がいつもそばにいたからこそ、Nさんは生涯を通じて、安心して“戦”を続けることができたんだなぁ・・・って。 

 

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30年かけてNさんから教わったこと

僕の人生においてとっても大切なことです。

だからあらためて自問自答しました。

それはこれです。

 

 自任でじる道を進むことこそ

 

僕はこのことを、気づかぬうちにNさんとのご縁から教えてもらっていたのでした。

 

そして、自分の望んでいる幸せが「勝負に勝つために戦い続けること、ではない」ということに気づかせてもらい、自分が本当に望むものを自分の意思で選択する背中も押してもらっていたのです。

 

Nさんは天国に旅立つ前に、僕にもうひとつギフトをくれました。

Nさんっぽい言葉で書くとこうです。

 

「自分のそばでいつも支えてくれているおかあちゃんのこと、ずっと大切にせなあかんで!」

 

Nさん、人生で大切なことを、常に身体を張って、僕に30年もかけて教えてくださって、本当にありがとうございました。

あらためてご冥福をお祈りします。 

 

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「ヒメツルソバ」は“夢先案内人”だ

こんなタイトルを思いついてしまったら、もう頭の中を“山口百恵ちゃん”の曲が駆け巡ってしまって、記事を書き始めるスイッチに切り替えるのも一苦労なのですが笑、

今日の記事はこのテーマで書きたいと思います。

 

「ヒメツルソバ」って何でしょう?

僕もついこの間まで知りませんでした^^;

 

こちらなんです。

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今回ももちろん?お花です笑

ちゃんと目の前の今に意識を向けて生きられている人にとっては、きっと「あー、名前は知らなかったけどよく道端とかで咲いてるやつだよね!」って感じの、お馴染みの草花なんじゃないかなって思います。

でも、歩きながら別のことばかり考えるクセのある僕みたいな人はおそらくその存在自体にも気づけていないかもしれません(^^;

僕がこの花の存在に気づいたのはつい最近です。通勤の朝、駅まで歩く道の途中とか、自宅周りのちょっとしたブラブラ散歩の時とかに、一軒家の門の外側とかブロック塀の下とかに結構咲いてたりするのです。 

そう、こんな感じで。

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ではプロフィール紹介します。

この「ヒメツルソバ」は原産地はヒマラヤなんだそうです。名前に「ソバ」とついているのは、蕎麦の花に似ているからだそうです。

蕎麦の花、こちらです。

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ん・・・深いです。。似てるのは葉なのか、それとも広範囲に拡がって咲く雰囲気なのか、あるいは僕の選んだ写真に思い違いがあるのか^^;

 

ヒメツルソバの花は、真夏と真冬以外はずっと花が咲き続けるんだそうです。

特筆すべきは、時に、育てている他の植物の生育エリアまで浸食して邪魔になることもあるぐらいの生命力があること。繁殖力がものすごくて、コンクリートの割れ目とかの土がない場所でもどんどん拡がっていってしまうらしいです。僕がよく見かけるやつも拡大繁殖した野生化バージョンのものかもしれませんね。

 

この名前を覚えるのは高難度かも

なんとなく数日したら忘れてしまいそうな名前です。。

でも記事にまでしたし、なんとか今回で覚えてしまいたい。。

・・・よし、イメージ記憶法で行こう!!

 

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鶴を加えるとサギとかにいつの間にか化けそうなのでやめておきました^^;

 

では、ヒメツルソバの花言葉を。

【調べる前の僕の予想】

「生命力」「油断禁物」「図々しい」「無遠慮」

 

【確認結果】

「気が利く」「愛らしい」「思いがけない出会い」

 

【判定】

大はずれ。

 

【講評】

ネガティブな側面をたくさん選択してしまった自分が残念。

 

「気が利く」という花言葉は、長い期間咲き続けて楽ませてくれる上、秋には葉も紅葉して見せてくれるところから来ているみたいです。もっと早くから知っていたら今年も長ーく楽しめたのにこれまた残念。

 

ここからが“夢先案内人”ストーリーです

ここまで書いていてふと思い出したのは、前回の自分の記事です。

自分でもちゃんと再確認しなくては!

要旨はこれでした。

『信じる力』を使って自分の望む幸せを実現するためのコツは、陰と陽の両方を俯瞰可能な、バランスの取れる位置に心を置くこと。その上で望む方を選択する。」

僕は、ヒメツルソバの花言葉の作られ方が、なんだかこの、「望みを実現するコツ」のお手本のように感じられました。つまり、“夢先案内人”というのは、正しくはヒメツルソバではなく、この花の花言葉を作った人のことですね。

この花の花言葉を作る時に、ネガティブなものを加えなかった人は、きっと “夢実現マスター” みたいな人だったんだろうなぁ、 ってリスペクトを感じてしまいます。 

 

“夢先案内人”のシンボル=ヒメツルソバ

確かにすごく愛らしいですよね、この花♬

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緑と赤、あるいは緑とピンクの配色って大好きなので、この写真を観てるとほんのりしてしまいます♪

実は少年の頃、“百恵ちゃん” は大好きなアイドルでした! デビューしたての頃、僕が暮らしていた埼玉の田舎の駅前の夏祭りに来てくれて、やぐら?の上で歌ってくれた遠い日の思い出があります。

『夢先案内人』という曲は、中学校1年生の時の遠足のバスの中で、担任だった女性の先生が披露してくれた曲でした。懐かしいなぁ・・

愛らしい見た目とも相まって、“夢先案内人”を跳び越えて、ヒメツルソバ=“百恵ちゃん” のイメージになってしまいそうです(^^;

でもこんな風に思考を使って想いを膨らませていくと、なんだか人生の彩りが増えたような感じがしてきます♬   ヒメツルソバ、ありがとう(╹◡╹)

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今日の青空からの示唆は「バランスが大切」

三連休の最終日、今日も快晴です♪

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しかし、ふと遠方に見つけた光景。

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雲がありました。

 

真っ青な空の幸せは雲のおかげ

遠方に雲があるのを見つけた瞬間の気持ちは、

「あー、ついに雲出てきちゃったよー」

でした。

でも、この気持ちに対してすぐ違和感が生じました。

「いつも空が雲ひとつない真っ青なものだったら、それは当たり前になってしまって、きっと有り難さも感動も感じなくなってしまうんだろうな・・」

「雲がある空が存在するから、その比較で雲ひとつない真っ青な空のことが幸せとして認識できるんだ。」

 

自分固有の正しさの“握りしめ”に注意!

こんな想いに続いて、僕の頭の中には「信じる」ことについての考えと想いが湧いてきました。

これからの時代の幸せの鍵は「信じる力」、この「信じる力」は自分が幸せになれる正しさを自己責任で選択することだと思っているという話を、以前の記事で書いています。

 

これについては、これからも僕の信じることです。

 

ただ、「気をつけよう」って、今日思ったことがあります。

 

それは、

「自己責任で選択しているのだから、という意識が強くなりすぎると、自分の信じる正しさがいつの間にか世の中の唯一絶対的正しさのように感じられてしまうかもしれない。」

ということです。

他の人が持つ正しさ、世の中で認識されている正しさの存在をちゃんと認識できていればいいのですが、気づかぬ間に自分の信じる正しさに熱中しすぎて、言うなれば “握りしめてしまっている” 状態になってしまうと、自分が信じる以外の正しさを排除したい想いが生じてきたり、さらには自分の正しさをこの世で唯一の正しさと証明したい欲望が生じてきてしまうかもしれない気がします。

 

選択にはまずバランスが大切!

「陰と陽」という考え方がありますよね。物事は全て、陰と陽の両面から成り立っている、という考え方です。「ネガティブとポジティブ」「メリットとデメリット」、さらには「悪と善」もそうなのでしょう。

この両面が存在することを認識できる心の状態にいることが、自分が望むいずれかを的確に選択できる秘訣なんだろうって思います。

物事の両方の側面を俯瞰してちゃんと捉えられる 「心の位置」にいるように心がけること。僕のイメージでは、その位置は “両方のバランスがとれる真ん中のあたり”って感じです。

 

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平穏な気持ちはきっと真ん中にいるサイン

今日は、遠くに少し雲が見える青空から、「バランスに気をつけてね!」という示唆をもらいました。

 

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真っ青な空。きれいな紅葉と花。

平穏な気持ちは、自分の夢や希望を選択するために必要な「真ん中の位置」にいる感じがします。

たくさんの人が自然の中へ足を運ぶのは、きっとそれぞれが持っている夢と希望を実現するためのバランス調整効果があるってことを、身体の中のDNAが?知っているからなのかもしれませんね ♪

 

今日も平穏な1日。有り難いです。

散歩道のサザンカにもらった優しいメッセージ

今日の東京は、風がとても強かったけど雲ひとつない青空の1日でした ♪  

今日の記事では、数ケ月前のキンモクセイに引き続き、今日初めて “名前と顔が一致” した「サザンカ(山茶花)」の花に関する話を書こうと思います。

 

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事前学習と最新科学のコラボ!?

この時期に咲く花ってどんなのがあるんだろう?

数日前にネットで検索して、その中に「サザンカ」がいることを知りました。サザンカと言えば、僕が真っ先に思い出すのは、童謡『たき火』の二番の頭の歌詞です。けど、それがどんな花なのかは知らぬままここまで生きてきていました。

ネットで紹介されていた写真を見てもあまり大きく心が動くこともなく、でも冬に咲いている花自体が稀少、それに聞いたことのある名前、ということもあり、調べた情報記事に書いてあった「椿と似ている」というところだけ記憶に留めて、「今度どこか大きな公園か庭園に見に行こう♪」ってことにしていたのでした。

 

そして今日の散歩です。

少し歩き出すと、早速、赤い花を発見。

「これはさすがに椿だよねー」とつぶやきながら、ハナノナアプリで確認。

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「正解 ♪」

 

いつもの散歩コースをさらに5分ぐらい歩いていると、強風でちょっと装いが乱れちゃってる感じはあるものの、この時期には珍しくしっかりと咲いている白と赤の花を発見。

 

近づいてみると、

「あれ、椿かと思ったけどなんか少しふわふわして違う感じ。。」

 

「えっ、もしや、、、」

 

ハナノナ君に確認!!

 

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「サザンカ、咲いてるじゃん!」

 

大きな公園や庭園まで行かなくとも、こんな身近にサザンカは咲いていました。おそらくもう何年、いや何十年も前から毎年ここで咲いていたのでしょう。。

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ここでふと小さな疑問が・・

 

「ホントにサザンカ? 椿だったりして。。」

 

AIアプリ『ハナノナ』に疑いの目を向けたその瞬間、僕の脳裏に、ネットで事前学習した知識が。

 

「椿とサザンカの見分け方。椿は枯れると丸ごとボトッと落ちる。サザンカは花びらがパラパラと散る。」

 

 

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「ハナノナ君、疑ってごめん!」

 

ブレイク:今年一番の紅葉

大きな公園や庭園ではなく、氏神様を祀る神社の境内の今日の紅葉に今年一番の感動です♬

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サザンカの花言葉

散歩を続けながらも、僕の頭の中は依然としてサザンカのことが。。

スマホでサザンカの花言葉を調べました。

 

サザンカの花言葉は、「困難に打ち克つ」「ひたむきさ」なんだそうです。冬の寒さの中でしっかり咲く花だからでしょうね。

これに加えて、色別に花言葉があるんです。

赤いサザンカの花言葉は、「謙譲」「あなたがもっとも美しい」なんだそうです。

ピンクのサザンカの花言葉は、「永遠の愛」

そして、白いサザンカの花言葉は、「愛嬌」「あなたは私の愛を退ける」なんだそうで。「愛嬌」の方はともかく、「あなたは私の・・」の方は何か深刻なエピソードがありそうでちょっと怖いですね、、、(^^;

 

『サザンカ』という曲

そして思考は次の章へ。

「セカオワの歌ってた平昌オリンピックのテーマ曲、『サザンカ』って曲名だったよな・・・。あれ、どんな内容の歌詞なんだろう?」

彼らのその曲のCDは、当時、レンタルして何度も車の中で聴いていたのですが、曲の歌詞の意味を理解しようとしてもいつの間にかすぐ他のことを考えてしまうクセがある僕には、その曲も例外ではなく、曲のメロディーと雰囲気のみを感じるだけで、歌詞の意味は全く頭に入っていませんでした。

サザンカ <完全生産限定盤>

サザンカ <完全生産限定盤>

  • アーティスト:SEKAI NO OWARI
  • 発売日: 2018/02/28
  • メディア: CD
 

今、気づいたのですが。このジャケットの絵、サザンカだったんですね。。「へんてこな絵だなぁ。何の絵、これ?」って、当時、思っていました(><)

 

この曲の歌詞の内容がすごく知りたくなってしまった僕。

 

歌:SEKAI NO OWARI

作詞:Fukase・Saori

作曲:Nakajin・Fukase

ドアの閉まる音 カレンダーの印
部屋から聞こえる 君の泣き声
逃げる事の方が怖いと君は夢を追い続けてきた

努力が報われず 不安になって
珍しく僕に当たったりして
ここで諦めたら今までの自分が可哀想だと
君は泣いた

夢を追う君へ
思い出して つまずいたなら
いつだって物語の主人公は笑われる方だ
人を笑う方じゃないと僕は思うんだよ

誰よりも転んで 誰よりも泣いて
誰よりも君は 立ち上がってきた

僕は知ってるよ
誰よりも君が一番輝いてる瞬間を

夢を追う君へ
思い出して くじけそうなら
いつだって物語の主人公が立ち上がる限り
物語は続くんだ

嬉しいのに涙が溢れるのは
君が歩んできた道のりを知っているから

夢を追う君へ
思い出して つまずいたなら
いつだって物語の主人公は笑われる方だ
人を笑う方じゃない
君ならきっと

 

あの・・・・もう少しで涙出そうになりました。

やばい。。

 

赤とピンクの花の花言葉、が意識されて作られた曲なのかな・・・

「物語の主人公はいつだって笑われる方」「主人公が立ち上がる限り物語は続く」って、優しく力強い勇気づけですね。「理解する」世界ではなく「信じる」の世界。本当に素敵な歌詞だと思います。

 

現実はあっという間に反転する

実はサザンカの花の見た目、感覚的にはあまり僕の好みではありません。花びらがふわふわしてて微妙に不揃いな感じの見た目が・・・。

でも。

花言葉を知り、『サザンカ』の曲の歌詞の内容を知るうちに、サザンカの花びらのふわふわ感も、一転して優しさの象徴のように感じられていることに気づきました。

この一転感は、キンモクセイの時とおんなじ。。

 

「自分の現実は、感情を伴って思考が変われば簡単に一転する」

 

自分の現実とは、ポジティブもネガティブもない “無色透明” な事実に対して、感情と思考を使って “色づけ” することで自分が創り上げたもの。だから、もしもその現実があまり望まないものであるなら、意図的に「感情を伴う思考」を使えれば変えることだって出来るはず、なんだと思います

 

「事実は変えられないけど、現実は自分で変えられる、ってことを忘れないようにね!」

って、今日はサザンカからそんなリマインドをしてもらったような気がしています。

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この記事を投稿し終えたら、久しぶりに『サザンカ』を聴いてみます ♬

 

今日も平穏な1日でした。

ありがとうございます(╹◡╹)

 

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令和時代の幸せの鍵は「信じる」力だと思う

今日の記事では、「信じる」ということについて書こうと思います。

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🤔プロローグ

「信じる」 子供の頃はよく口に出していた気がするこの言葉。この言葉を口に出すと、なんだか心が少し高揚する感じがあったような気もします。

大人になってからはもうめっきりこれですね。

「わかりました。」「承知しました。」「了解です。」「理解しました。」、、、、

これらの言葉を口にした時、幸せな感情が湧いてきたことは、あまりなかったように思います。

🍀『信じる』との出会い

娘が中学校3年生の時に、合唱コンクールのピアノ伴奏をしました。その時の楽曲が、谷川俊太郎さんが作詞した『信じる』という曲です。

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『信じる』 

作詞:谷川俊太郎 作曲:松下耕

笑うときには大口あけて
おこるときには本気でおこる
自分にうそがつけない私
そんな私を私は信じる
信じることに理由はいらない


地雷をふんで足をなくした
子どもの写真目をそらさずに
黙って涙を流したあなた
そんなあなたを私は信じる
信じることでよみがえるいのち


葉末(はずえ)の露(つゆ)がきらめく朝に
何をみつめる小鹿のひとみ
すべてのものが日々新しい
そんな世界を私は信じる
信じることは生きるみなもと

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音楽はとっても好きだというのに、子供の頃からなぜか歌の歌詞の意味がなかなか頭に入ってこない僕は、人生の大半をもっぱら歌詞のない曲ばかり好んで聴いてきました。そんな僕だというのに、この『信じる』は、数年経った今でも歌詞を見ないでフルコーラスを歌える “不思議な” 楽曲なのです。

もしご興味を感じられたら、ぜひ下掲のYouTubeで最初の方だけでも聴いてみてください☺️

【合唱曲】 信じる - YouTube

⚠️「理解する」VS「信じる」

頭の中に歌詞が全部あるっていうのは便利です♪ その曲の歌詞の意味についていつでもどこでも考えることができるんですね!

この曲の歌詞の意味について考えているうちに、以前に何かの本かネット記事で読んだ、「理解する」と「信じる」の違いについての話を思い出しました。 

この2つの違いは、ざっくり言うと、その対象となった事柄の性質の違いにあります。

まず先に、「理解する」の対象となった事柄ですが、これは、科学的・論理的に説明がされているもの、って感じです。

これに対して、「信じる」の対象となった事柄の方ですが、一言で言えば「理解する」の反対。非科学的であったり論理的に説明がされていない、あるいは説明のしようがないもの、という感じです。

この捉え方を前提として、もし、その対象となる事柄由来で何か不都合な事態が発生した時の「責任の所在」ということについて掘り下げてみます。

まず、「理解する」の方。

理解して受け入れた結果で起きた不都合な事態の責任は、情報発信元である、相手(自分以外)になるのでしょう。象徴的なフレーズがあるとしたらこれでしょうか。

「お前のせいで!💢」

一方、「信じる」の方ですが、こちらの情報には、もともと科学的あるいは論理的に十分な説明はなされていませんから、人によっては一笑してそもそも相手にもしないような内容だったりすることもあるかもしれません。

そんな事柄を自らに受け入れる場合には、「理解する」のように「もし何か不具合があったらお前のせいだからな!」なんてことを暗黙の前提にしてはいけないように感じます。

科学的・論理的にその正当性が担保されていない事柄だけどそれをあえて自らに受け入れるということが「信じる」という行為であるのなら、もし何か不具合が発生してしまった時でもそれは誰かのせいではなく「自己責任」になることをあらかじめ承知しているべきなのだろうと、最近、僕は思うようになりました。

つまり、「信じる」ことには「覚悟」も必要なんだと思います。

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🧚信じ方。

信じるための拠り所は?
その対象となるものに、科学的あるいは論理的、すなわち客観的な正しさの裏付けがない時に、それを信じることにするかどうかを一体どうやって決めたらいいのでしょうか?何を拠り所にしてそれが信じてもよいことなのかを判断したら良いのでしょうか?

絶対的な正解は、、、、

(あるのかどうかを含め)「わかりません!!」

でも信じることは「自己責任」なのだし、その結果が良いものでも悪いものでも全て自分が引き受けます、って前提なのだから、そもそも「何が絶対的な正解なのか」などということはそれほど重要なことではないんじゃないかって思えてきます。

そうなると “自分にとっての” 正しさが大事です。
日々の社会生活では、信じるかどうかが問われるシーンよりも、理解が問われるシーンの方が明らかに多いですよね。それだけに、信じるって行為は、個人の信条とか価値観といった、基本的には自分の内面的な世界のものなのだろうって思います。 

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僕の場合、信じるにあたっては、次のようなプロセスを踏んでいる感じです。

  1. 良心に反していない(心がザワつかない)
  2. ほんのりワクワクを感じる
  3. そのことを知ってから数日間経っても違和感が生じない ※特に朝の感覚は大切
  4. それを信じると、自分が望むことを実現する上で、なんとなく勇気がもらえる感じがする

自身の信条に関わるような大ネタでなければ、上記の3は割愛することもあります。

こういう拠り所をもって信じる対象を決めているので、僕が信じている事柄は必ずしも世の中で常識とされていることとは一致していなかったりします。その中には既存の科学で証明されていない “非科学的” なこともいくつかあります。

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🌅令和は「信じる」力の時代

これからは多様性の時代と言われています。多様性の時代において求められているのは「自律力」です。

自律力=自己責任力。これからの時代は、一人ひとりの自己責任を前提に、それぞれが望む幸せをもっと自由に選択していっていい時代になっていくんじゃないかって思うのです。

なにより、自分が「やりたいなぁ」「いいなぁ」って感じることに素直に心の照準を合わせて生きていける時代が来ると、世の中に幸せな人がたくさん増えるような気がします。

「理解する」はこれからももちろん重要な力だと思います。しかし、これまでの時代では「理解が100%になるに越したことはない」という考え方が暗黙の前提にされていたために “生きづらさ”もあったような気がするのです。

「理解する」<「信じる」

令和時代はどんどんそんな風になっていくんじゃないか、って、僕は「信じている」のです(╹◡╹)

 

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40年前、平日の夕飯に鍋を食べ続けていた亡き父のこと

今週のお題「鍋」

今週のお題の「鍋」を見て、記憶の底から浮かび上がってきたこと。それは、約40年前、平日の夕飯に僕らとは別メニューでひたすら鍋ばかり食べていた亡き父のことです。正確に言えば、僕は今回のお題を見るまで、そのことを完全に忘れていました。思い出させてくれた今週のお題への感謝の意も込めてお題に乗らせてもらい、記事を書きたいと思います。

子供には美味くなさそうな鍋

当時の父は、母に「肉は少なければ少ないほどいい」とオーダーして、平日は連夜、豆腐と野菜の鍋を食べ続けていました。当時、まだ未成年だった僕は、少々猫舌ゆえに鍋が苦手だったこともあって、「肉の入っていない鍋なんてちっとも美味しくなさそうなのに、なんでそんなの毎日食べてるんだ、、?」って思っていました。それ以前は逆に、週の大半の夕飯でステーキを食べていたのを見ていた僕には、当時全く理解できませんでした。

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しかし、なぜそんな鍋料理を突然毎日食べるようになったのかを、当時、そしてそれ以降も父の生前に確認をすることはありませんでした。

その理由は3つです。

ひとつは、僕は10歳ぐらいから約25年間、父とは「ほとんど口をきいていなかった」からです。この鍋エピソードはその期間中にありました。

口をきいていなかった理由は、一言で言えば、当時の“深い家庭環境”にありますが、今思い起こしても「僕の器量技量ではどうにもできなかったな・・」と思っている、「ホントに残念だけど仕方がなかった」人生経験です。

2つめは、この鍋エピソードのことをすっかり忘れてしまっていたこと。

そして3つめは、父は65歳の時、脳梗塞を発症し、唯一の後遺症として言語障害が残ってしまったため、それ以降、ふつうにコミュニケーションをとることができなくなってしまったことです。

そういう意味では、僕は10歳ぐらい以降、父とは本当にほとんど会話することがないまま“お別れ”をしてしまった経験を持つ男なのです。

 

今わかった「野菜鍋」の理由

当時の父には、もうひとつ、突然始めた習慣がありました。それは、毎日近くにある小学校に行って、鉄棒にぶら下がってくること。

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実は、このこともすっかり忘れていたのですが、鍋エピソードのことを思い出したのに続いて記憶が蘇りました。

 

野菜鍋、鉄棒・・・

 

2つがふいにつながりました。

 

父は、50代で病に倒れてしまうことのないよう、もしかしたら、“運命”と戦っているつもりだったのかもしれないな・・・

 

僕がだいぶいい大人になってから母に教えてもらったことですが、父のお父さん(僕のおじいちゃん)は50歳前半で病で突然亡くなり、次いで父の妹さん(僕のおばさん)は成人になる前に突然の病と闘病で亡くなり、そして、父のお母さん(僕のおばあちゃん)は50歳後半で病で突然亡くなっているのです。僕が会ったことのあるのはおばあちゃんだけ。おそらくはまだ幼稚園に入る前なのでほとんど記憶はありません。とにかく、みんな10年ぐらいの間に、若くして一気に父の元からいなくなってしまっていたのでした。

そういう家系の一員である父は、50代を前に、自分も同じことになる可能性を秘かに思い、その事態を回避するために自助努力を始めたのに違いありません。その時に父がきっと感じていたであろう不安、そして自らへの鼓舞が入り混じった気持ちが、僕自身の中でふいに再現されてきました。

 

亡き父にした約束

小学校5年ぐらいからほとんど、いやほぼ全く父と会話をしてこなかった僕は、父がどんな信条、価値観を持ちどんな人生経験をしてきたのかを知りません。できるのはどれも後からの推定ばかりです。

4年前に83歳で亡くなった父の葬儀での棺の中に、僕は便箋5枚ほどの直筆の手紙を入れました。手紙の要旨は、「寂しい思いをずっとさせてきてしまってごめんなさい」というお詫びと、「直接は教えてもらえなかったけど、親父から学んだことは自分の幸せに必ず生かしていくことで親父がこの世に存在していた意義、僕の親父だった意義を必ず創り出していくから」という約束でした。それは、反面教師を超えたもっとポジティブなものです。

 

今からできる父への親孝行は?

プロフィールにも書いていますが、僕が大切にしているものは「良心」と「家族」です。

早くに両親、妹を亡くして、もう自分の創った家族にしか温かさを求める対象は持っていなかったはずの父に、僕はその温かさをあげる器量技量がありませんでした。

僕にとってこの事実は、とても良心が痛むことですが、先ほど書いた通り、“もう仕方がない” ことです。

 

今から僕が出来ること。

それは、平穏な幸せを、僕はもちろん、僕の家族1人1人が感じられる家庭を築いて維持していくこと。

これが、父の息子として生まれた僕が今から出来る唯一の親孝行なのだろうと思っています。

 

「鍋」は幸せな家族団欒の象徴

この夏から通い始めた陶芸教室で作った作品が、先日完成しました。

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土は信楽。なので最高!ですが、まだに2作品目なので、見た目より実用性重視です(^^;

 

この陶器は、しゃぶしゃぶ鍋の時に使う、しゃぶしゃぶのタレ入れを想定して作ったのです。

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鍋料理は、僕にとっては、幸せな家族団欒の象徴かもしれないな、って、今この記事を書きながら感じています。

 

父への親孝行のためを一義として家族を大切にしているわけではなく、何よりもまず僕自身が家族の存在にかけがえのない幸せと感謝を感じられるから、ということがもちろん先にあるわけですが、僕が家族を大切に想って生きていくことは父が生きた人生を肯定することにもつながるんだ、って思うことは、僕を優しく、でもしっかりと勇気付けてくれる気がします。

そういう意味では、僕が親孝行しているつもりが、今もなお、父から「もらっている」のかもしれません。

 

父の命日を約2週間後に控えて、この「鍋」の記事が書けて良かった。

どうもありがとうございます。

 

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