“緑色”的な僕のほんのりワクワクblog

優しい気持ちを増やしたい♪

40年前、平日の夕飯に鍋を食べ続けていた亡き父のこと

今週のお題「鍋」

今週のお題の「鍋」を見て、記憶の底から浮かび上がってきたこと。それは、約40年前、平日の夕飯に僕らとは別メニューでひたすら鍋ばかり食べていた亡き父のことです。正確に言えば、僕は今回のお題を見るまで、そのことを完全に忘れていました。思い出させてくれた今週のお題への感謝の意も込めてお題に乗らせてもらい、記事を書きたいと思います。

子供には美味くなさそうな鍋

当時の父は、母に「肉は少なければ少ないほどいい」とオーダーして、平日は連夜、豆腐と野菜の鍋を食べ続けていました。当時、まだ未成年だった僕は、少々猫舌ゆえに鍋が苦手だったこともあって、「肉の入っていない鍋なんてちっとも美味しくなさそうなのに、なんでそんなの毎日食べてるんだ、、?」って思っていました。それ以前は逆に、週の大半の夕飯でステーキを食べていたのを見ていた僕には、当時全く理解できませんでした。

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しかし、なぜそんな鍋料理を突然毎日食べるようになったのかを、当時、そしてそれ以降も父の生前に確認をすることはありませんでした。

その理由は3つです。

ひとつは、僕は10歳ぐらいから約25年間、父とは「ほとんど口をきいていなかった」からです。この鍋エピソードはその期間中にありました。

口をきいていなかった理由は、一言で言えば、当時の“深い家庭環境”にありますが、今思い起こしても「僕の器量技量ではどうにもできなかったな・・」と思っている、「ホントに残念だけど仕方がなかった」人生経験です。

2つめは、この鍋エピソードのことをすっかり忘れてしまっていたこと。

そして3つめは、父は65歳の時、脳梗塞を発症し、唯一の後遺症として言語障害が残ってしまったため、それ以降、ふつうにコミュニケーションをとることができなくなってしまったことです。

そういう意味では、僕は10歳ぐらい以降、父とは本当にほとんど会話することがないまま“お別れ”をしてしまった経験を持つ男なのです。

 

今わかった「野菜鍋」の理由

当時の父には、もうひとつ、突然始めた習慣がありました。それは、毎日近くにある小学校に行って、鉄棒にぶら下がってくること。

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実は、このこともすっかり忘れていたのですが、鍋エピソードのことを思い出したのに続いて記憶が蘇りました。

 

野菜鍋、鉄棒・・・

 

2つがふいにつながりました。

 

父は、50代で病に倒れてしまうことのないよう、もしかしたら、“運命”と戦っているつもりだったのかもしれないな・・・

 

僕がだいぶいい大人になってから母に教えてもらったことですが、父のお父さん(僕のおじいちゃん)は50歳前半で病で突然亡くなり、次いで父の妹さん(僕のおばさん)は成人になる前に突然の病と闘病で亡くなり、そして、父のお母さん(僕のおばあちゃん)は50歳後半で病で突然亡くなっているのです。僕が会ったことのあるのはおばあちゃんだけ。おそらくはまだ幼稚園に入る前なのでほとんど記憶はありません。とにかく、みんな10年ぐらいの間に、若くして一気に父の元からいなくなってしまっていたのでした。

そういう家系の一員である父は、50代を前に、自分も同じことになる可能性を秘かに思い、その事態を回避するために自助努力を始めたのに違いありません。その時に父がきっと感じていたであろう不安、そして自らへの鼓舞が入り混じった気持ちが、僕自身の中でふいに再現されてきました。

 

亡き父にした約束

小学校5年ぐらいからほとんど、いやほぼ全く父と会話をしてこなかった僕は、父がどんな信条、価値観を持ちどんな人生経験をしてきたのかを知りません。できるのはどれも後からの推定ばかりです。

4年前に83歳で亡くなった父の葬儀での棺の中に、僕は便箋5枚ほどの直筆の手紙を入れました。手紙の要旨は、「寂しい思いをずっとさせてきてしまってごめんなさい」というお詫びと、「直接は教えてもらえなかったけど、親父から学んだことは自分の幸せに必ず生かしていくことで親父がこの世に存在していた意義、僕の親父だった意義を必ず創り出していくから」という約束でした。それは、反面教師を超えたもっとポジティブなものです。

 

今からできる父への親孝行は?

プロフィールにも書いていますが、僕が大切にしているものは「良心」と「家族」です。

早くに両親、妹を亡くして、もう自分の創った家族にしか温かさを求める対象は持っていなかったはずの父に、僕はその温かさをあげる器量技量がありませんでした。

僕にとってこの事実は、とても良心が痛むことですが、先ほど書いた通り、“もう仕方がない” ことです。

 

今から僕が出来ること。

それは、平穏な幸せを、僕はもちろん、僕の家族1人1人が感じられる家庭を築いて維持していくこと。

これが、父の息子として生まれた僕が今から出来る唯一の親孝行なのだろうと思っています。

 

「鍋」は幸せな家族団欒の象徴

この夏から通い始めた陶芸教室で作った作品が、先日完成しました。

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土は信楽。なので最高!ですが、まだに2作品目なので、見た目より実用性重視です(^^;

 

この陶器は、しゃぶしゃぶ鍋の時に使う、しゃぶしゃぶのタレ入れを想定して作ったのです。

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鍋料理は、僕にとっては、幸せな家族団欒の象徴かもしれないな、って、今この記事を書きながら感じています。

 

父への親孝行のためを一義として家族を大切にしているわけではなく、何よりもまず僕自身が家族の存在にかけがえのない幸せと感謝を感じられるから、ということがもちろん先にあるわけですが、僕が家族を大切に想って生きていくことは父が生きた人生を肯定することにもつながるんだ、って思うことは、僕を優しく、でもしっかりと勇気付けてくれる気がします。

そういう意味では、僕が親孝行しているつもりが、今もなお、父から「もらっている」のかもしれません。

 

父の命日を約2週間後に控えて、この「鍋」の記事が書けて良かった。

どうもありがとうございます。

 

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