“緑色”的な僕のほんのりワクワクblog

ほんのりワクワクがたくさんの毎日を♪

やさしい気持ちになれば。

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

今日は2022年の仕事納めでした。

はてなのお題も「特別」になっているので、そのお題にマッチするよう気にかけながら、今夜は2022年の結びとなる “特別な”思いの記事を書こうと思います^^

尚、今年の僕に起きた出来事自体を具体的にご紹介すると余裕で8,000字ぐらいになりかねないので(笑)それは控えることとし、僕自身の“心の変化”にフォーカスした内容にします。にほんブログ村のカテゴリー登録を『自分磨き』にしているので、年の最後ぐらいしっかり意識して磨こうかと^^

ただそれによって少しわかりにくい感じになってしまうかもしれないので、いつもにも増して丁寧に言葉を選んで書いていくように努めます(╹◡╹)

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🗓13年ぶりの“イベント”

2022年1月。

「もう望まないことは起きないだろう、だって学びは一通りもう終わっているはずなんだから」って心のどこかで安心していました。しかし、まったく思いがけず、“そのイベント(転機のきっかけとなる出来事)”は起きました。

自分の仕事をコントロールする上で“絶対的なよりどころ”としていた “スキル” が全く通用しない。昔話?で例えるなら、初代ウルトラマンが宇宙恐竜ゼットン相手に繰り出した必殺技;スペシウム光線や八つ裂き光輪がまったく通用しなかった、あの時のウルトラマンときっと同じような気持ちに陥っていたんだと思います。その時は、「この歳になってまだこんなことが起きるのか」という、自分に対する悲しさと“運命”に対する悲しさの両方の思いでした。

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僕は若い頃からずっと、経験した出来事から感じた強い思いが音楽に転写して思い出として残るのですが、その頃に感じた辛い強い思いは、1年前のお正月に“嬉しいお年玉”と感じていたMISIAさんのこの曲へ、思いもよらず転写されてしまっています。

MISIA - Higher Love (Official Music Video) - YouTube 

でも今後はこの曲を耳にするたびに、今回のイベントで得た気づきと学びを思い出せるだろうとも思え始めているんです☺️

まずその気づきとは・・・

「知らず知らずのうちに信じていることを握りしめてしまっていた」

“絶対的なよりどころ”とは、逆に言うと、もしこれが崩れたら僕はもうおしまい、という思いに裏づけされた “頑なな思い” なのでしょう。

さらに、気づいたことはもうひとつありました。

それは「『完璧主義』は未だ健在だった」ということです。だから僕は “絶対的なよりどころ” なるものを持ちたかったのでしょう。

「自分の完璧主義は一体どこからきているのだろう」って内省をしてみて行き着いた答えはこんなシンプルなものでした。

「人から悪く思われたくない。できることなら誰からも良く思われたい。」

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若い頃からそんな自分が嫌で、人の目を気にせずに行なう意思決定と行動を意識してきたつもりでした。だからもうとっくに克服したとも思っていました。しかしそれは、いつの時からか、自覚できないように意識の下にうまいこと隠れた(隠した)だけで、依然としてしっかりと存在していたのです。

半世紀以上生きてきた人間がこういうことに気づくためには、今回ぐらいの強烈なインパクトがある“望まないイベント”が起きて、“完璧主義を覆う頑強な殻” を壊してくれない限り不可能だったのだろう、って今は思っています。

これからの心の成長のために起きてくれた「全く望まない出来事」。そこからの学びはこれです。

「どんなに正しいと信じることでも 握りしめてしまうと不幸せの道への扉が開いてしまう」

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🏃‍♂️次走者へのバトン

年初から早春にかけて、昨年から取り組んでいたチャレンジテーマの大きな一区切りとなるイベントが重なりました。自らが望むイベントと前述の望まないイベント。当時、この2つは全く相容れないものと認識し、僕は望むものの方を優先し、望まないものの優先順位を落とすことで失うものがあることをやむなしとする行動をとりました。

しかし、今思い返すとこの2つは決して相反するものではなく、あたかもリレーでバトンを受け渡すかのように連続性のあるものだったのです。

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僕が昨年から取り組んでいたチャレンジテーマの肝は『多様性の受容』でした。握りしめていては多様性を受容することはできないし、多様な一人ひとりの幸せづくりの支援をすることなどできない。

僕が「自分の多様性の受容力をもっと高めたい」って強く願ったから、その実現のためにまず必要となる“握りしめを手放す”ことの重要性に気づかせるために、顕在意識では全く望まないあのようなイベントが起こったのかもしれない。年の暮れの今、振り返ってみると、そんな風に感じています。

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🏃第3走者へのバトン

9月に母の住まいの引っ越しがありました。僕も社会人になるまで過ごした “築50年超の実家” です。

当月は車で片道2時間強かかる、埼玉の母のところへ毎週末に加え時に平日も行き、各種手続きや引っ越し荷物の作業を限られた時間で完遂しなければならない状況の中で、2倍速でのマルチタスクなリズムが続き、身体よりも脳が疲弊する、そんな日々でした。僕自身も含めこれに携わる家族は焦りからだんだんとイライラしてきて、時に相手を傷つける強い口調での “正論” を発したり、一方でその言葉を受けた側はカチンと頭にきて、でも口に出せばややこしくなるからと胸に収めればそれはストレスとなって心に残る。本当に肉体の疲れよりも脳と心の疲弊が大変なイベントでした。

しかしこの期間は、かつて僕が育った家族の一人ひとりのこと、僕との関係性(“ご縁”の意味)のこと、について、幼少の頃の出来事も思い出しながら内省を深める機会となりました。

気づいたことは、深いレベルで多々ありますが、その気づきを経て今思っていること。

「85年間母が信じてきたことを尊重した上で、母が幸せと感じる出来事が少しでも多く増えるように心を配り行動を起こそう。」

「尊重」とは「同感」でも「共感」でもありません。そう信じているということを否定せず、変えようともせず、「そのまま存在することを認める」ということです。

人が信じることに対して自分の善悪正誤の物差しで評価することは“おこがましい”行為。これは昨年から今春にかけてのチャレンジ取り組みの中で、“その道の”先輩が話してくれた心に刺さったメッセージでもあります。

多様性を受容するとはまさにそういうことなのだと、今回の引っ越しイベントは、そのことを腑に落とす後押しをしてくれました。

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🏃‍♀️最終走者へのバトン

ここまで振り返ってみると、今年、僕に起きた出来事は、『多様性の受容力を高めたい」という僕の強い思いでつながる一本の糸のようでした。

秋の引っ越しを終え、晩秋から初冬に入った僕の中で年始から続くその糸の“結び目”となったのは、ここ、はてなブログでさまざまなブロガーさんの記事を読ませていただく中で湧いてきた思いでした。

その思いとはこんな感じです。

「多様性で成り立つこの世の中には、人の数だけ善悪正誤がある。どちらが正しいかにこだわり始めると行きつくところは“争い”になる。争いは幸せと不幸せという分離を生む。この地球のみんなが幸せになるためには、この地球に生きる一人ひとりがとにかく『やさしい気持ち』でいられる時間を少しでも増やすことが何よりも一番の近道なのではないか」

今年亡くなられたアントニオ猪木さん。猪木さんがよく発していたメッセージ。

「元気があればなんでもできる!」

今日の記事のタイトル、「やさしい気持ちになれば。」は、「やさしい気持ちになればなんでもできる」ってフレーズが頭に浮かんで決めたものです。

7年ぐらい前に東京駅のホームで、まだ元気だった猪木さんがお馴染みの赤いマフラーをしてのぞみの乗車待ちをしていたのです。当時、中学生だった我が娘が、有名人だと妻から聞いた瞬間、猪木さんのことを知らないのに握手をしてもらいに駆け寄って行ったことを思い出します。 猪木さんも「こんな若い子が俺のファンなのかぁ」という感じでとっても嬉しそうでした☺️

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🌅2023年にやりたいこと

もうこれに尽きます♪

『やさしい気持ちの時間を増やす』

やさしい気持ちになれるのなら何をしてもいいし、もともとやりたいことや好きなことではなくても、やる羽目になったことには、その中にやさしい気持ちになれる部分を探したり、やさしい気持ちになれる捉え方に切り替えたりすることを意識して過ごしたいと思っています。

何を成し遂げたではなく、世の中の“見えない幸せの舵”を切ることに貢献できる思い(波動)をどれだけ発信できたか、ってことにチャレンジをします(╹◡╹)

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📮年末年始のご挨拶。

自分で撮った写真もなくこんなに語ると、やっぱり音楽が恋しくなります(笑)今日の記事を書いている僕の気分にマッチする素敵な3曲を選んで、そこにちょこっとだけ?思いを添えて年末と年始のご挨拶にしたいと思います♬

まずはこちらです☺️

youtu.be

この曲は、今から18年ぐらい前でしょうか、『優しい時間』というテレビドラマの主題歌でした。このドラマの最終回を観ながら、自分でもびっくりするぐらいの嗚咽混じりでボロボロと涙がこぼれて止まらなくなったことを思い出します。

この曲は、まず歌詞がどうこう言う前に、とっても優しい曲調ととっても優しい平原さんの声。身を委ねていると心が穏やかにやさしい気持ちになれます☺️

さらにこの曲の歌詞を聴いていると、こんな思いが浮かんできます。

「今ここにちゃんと生きなくちゃ、って、目の前のことに集中したり雑念をなくすことばかりを気にかけてきたけれど、思えば過去も未来も全部今ここで自分が創り出している記憶。全部今ここにある。今自分がここに生きているということさえちゃんと自覚できているのなら、時に、過去の思い出、そしてこの曲のように見えない明日が来ることを励みにして、今ここをがんばろうとすることだって今ここをしっかり生きるための工夫なんだよな。」

次に2曲目です✨

youtu.be

この時期にピッタリの、キラキラした美しい光を感じさせてくれる曲。言葉は不要、これ以上書きません(笑)ぜひお視聴いただきたいなぁって思う、僕からの遅めの“お歳暮”です☺️

そして最後の曲です!

僕にとっては、10年前、ポジティブに働くエネルギーを心に呼び戻してくれた思い出深い曲です✨

youtu.be

愛する人を抱きしめたい、わたしから
輝いて生きていこう
もう一度、やさしい気持ちで

愛する人を抱きしめよう、わたしから
輝きを送りたい
空のように大きな心で

街中が、やさしい気持ちで
今日の日を、やさしい気持ちで

輝きを誰かに発信するためには、まずは “わたし” が「やさしい気持ち」になること。

そもそもSuperflyの越智志帆さんの歌声は本当に魂に響くようなトーンなので、皆さまの心にもなんらかのパワー(のようなもの)が湧いてくることを祈念して、越智さんには了解を得てませんが(笑)、僕からの早出しの“お年賀”としてお届けしました♬

さて、それでは最後に。

素人スマホカメラマンの『花と緑の特化ブログ』と思いきや、かなりの高頻度で科学や常識から逸脱した「信じてること」をポロッと語り出す、おそらくはちょっと?クセのある僕のブログに毎週訪問してきてくださった皆さま、どうもありがとうございましたm(._.)m

つけてくださるスターからはやさしい光を感じますし、書いてくださるコメントは、とってもやさしくてほっこり、喜びと同時に小さなブログを続けていく励みになっています☺️

それでは皆さま、良いお年をお迎えくださいね✨

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