今日の記事は、通算100号となります^^
どんな記事にしようかと考えましたが、「最近ずっと花の写真頼みで、あまりまともに?文章を書いてないよな、、」と気づいたので、今回の記事では「久しぶりに語ってみようかな」って思います。
とはいえ、花の写真は登場する予定ですが(笑)
もし、言ってる意味がどうにもよくわからない等の箇所があった場合には、「この人、とにかくこういう個性なのね・・」って許容していただけると幸いです^^;
🍀ナラティブとは
この言葉は、「物語」という意味になります。
物語と聞いてまず頭に浮かぶ単語は「ストーリー」ですが、しかし、ナラティブはストーリーとはちょっと意味合いが異なります。
ストーリーが「登場人物で構成された物語の筋書きや内容」なのに対して、『ナラティブ』は「自分自身が語り手となって主人公として紡いでいく自分オリジナルの物語」という感じでしょうか。
この『ナラティブ』は、臨床心理や医療、教育やビジネスなど幅広い分野で使用されているものですが、今日のこの記事では、“僕の” ナラティブ、について書いてみたいと思います^^
🍀僕とナラティブ
記事のタイトルと1文字違いで紛らわしい、章のタイトルですよね、、(・・;)
この『ナラティブ』という言葉を、その意味も含めてちゃんと認識したのはつい半年ぐらい前のことなのですが、僕はそれよりもずいぶん前から、この「ナラティブ創り」をやりながらここまで生きてきているように思っています。
ここからは本来の言葉の正確な定義はあまり気にせず、「僕の解釈 」で参ります。
ナラティブ創りのポイントは、自分に起きた出来事を、「自分の幸せにつながっている意味を持つもの」として、ポジティブに捉えることです。
もし初めにネガティブに捉えてしまっても、「いやいや、そんなネガティブな物語を創っても自分の幸せには何の役にも立たないでしょう」と考え直すことです。
その捉え方が客観的に正しいかどうかは重要ではありません。その出来事をそう捉えると「自分がホッとできるか」「前に進んでいくための力が湧いてくる感じがするか」が大切です。
主観的なものであるので、言うなれば「私はそう信じることにする」という物語を創るということになります。
自分の人生の中の転機と言えるような出来事を振り返ってみる時、僕は「それらのどの出来事も今の自分の幸せにつながっていたのだ」というその「意味性」に気づき、そしてその意味性が存在していることを、人生の「ヨリドコロ」にして生きてきたように思います。
その意味性に「気づいた」という表現は、その意味性がもともと存在している訳ではないので、今の幸せにつながっているという物語(ナラティブ)を「創り出した」と言った方が良いですね。
子供の頃よく耳にした「モノは考えよう」。
この言葉に対しては、なんとなく不真面目の象徴みたいなイメージを持ってかなり長いこと生きていましたが、いつの頃からか僕はこの言葉を、「現実は自分が創造している」という “真理” を意味するものなのではないかって思うようになりました。この「モノは考えよう」を自分の幸せのために意図的に実践する手法が、「自分のポジティブなナラティブを創る」ということだと思うのです。
🍀諸刃の剣
ナラティブ創りは、特に僕のような、「人生の意味」とか「生きがい」のようなものを求めるタイプの人には、なんらかの役に立つものなのではないでしょうか。
しかし、注意すべきことがあります。
心の元気がなくなってしまっている時には、無意識のうちに、自分の幸せに役立たないネガティブな物語を創り出してしまうことがある、ということです。これって日常的な言葉で言うと、「悲観的な思い込み」あるいは「否定的な思い込み」ですね。
今起きた出来事に対して創ったネガティブなナラティブをそのままずっと持ち続けていれば、もっと過去の出来事に対して創るナラティブもネガティブなものとなる可能性が高く、そうなってくると自己肯定感がどんどん低下していきます。
そうなると未来のことについても、悲観的・否定的なナラティブ(予測)を無意識のうちにどんどん創り出してしまうようになり、それは不安を膨張させることになって、それがさらにまた自己肯定感を下げてしまう、という悪循環にハマることになります。
僕はこの数ヶ月、まさにこれにハマってしまい、それ以前から持っていたポジティブなナラティブが全部ひっくり返ってしまったようで、なんだか突然、生きる「ヨリドコロ」を失くしてしまった、そんな心の状態になっていました。
こういう事態を回避するために大切なことは、「ナラティブは事実(誰もが“そうだね”と合意するもの)ではないが、自分の “現実” になること」「ナラティブは自分の幸せのために意図的に使う思考のツールであること」、これを忘れないよう、しっかりと自覚していることなのでしょう。
「言うは易く行うは難し」なのですが。。。
🍀つい最近創ったナラティブ
数週間前の公園散歩で、何度も出会った2つの花があります。
その2つの花をご覧ください。
まずはこちらの花です。


『レンテンローズ』です。総称としては「クリスマスローズ」でいいみたいですね^^
「例年こんなに咲いてたっけ?」って感じで、このレンテンローズに色々なところで遭遇しました。






そしてもうひとつの花がこちらです。
『クロッカス』です。
この花の名前は以前から聞いたことはありましたが、恥ずかしながら名前と実物が一致したのは今回が初めて、つまりこれまでは未知の花でした。


この花も、その存在を認識した途端、色々なところで遭遇したのでした。
撮影した花の写真を家で見返して改めて気づいた、散歩の中で何度も遭遇していたこれら2つの花。
「これは僕にとって何か意味があるのかな・・・」
そんな風に感じ、ふと、「各々の花言葉を調べてみよう」って思いになりました。
まず、レンテンローズの花言葉。
「私の心配を和らげて」「大切な人」「固い友情」
次に、クロッカスの花言葉。
「切望」、そして黄色の花は「私を信じて」
これらの花言葉を目にした瞬間、僕の心の中に浮かんできた言葉は、、、
「やっぱり意味があるんだ・・」
その時の僕の心に湧いてきたことを整理するとこうでした。
①「私の心配を和らげて」「切望」
この2つは、まさに今年に入ってからどんどん増してきていた思いです。僕は「この苦しい状況をなんとか乗り越えたい」と切望していました。
②「大切な人」「固い友情」
苦しい気持ちが増すほどに感じていたのは、僕の「大切な人」は自分の人生にとって本当に大切なかけがえのない存在だ、ということです。
そして、入社以来の長い付き合いの友。僕が今回の“苦難”のことを彼にSMSで報告した時、普段はほんの数行しか文章を書かない彼が、何十行にもわたる受容と励ましのメッセージを書いて送ってくれたこと。
以上の2つのことが頭に浮かぶと同時に、自分の中の2つの強い思いを改めて自覚できました。
「大切な人はもっともっと大切にしたい。」
「友との絆をもっと信じて大切にしていこう。」
これから先の人生の幸せを考えていくにあたって、レンテンローズが、「この2つが大切なんですよね?」って確認の問いかけをしてくれたのだ、と、そんな風に思えたのでした。
③「私を信じて」
「私、って誰?」「私・・・」
ずーーっと考えていたら、こんなフレーズが頭に浮かんできました。
「私はあなた。あなたは私。」
・・・・どう言う意味なのかさらに考えていたら、黄色のクロッカスがなんだか以下のようなメッセージをくれているような気がしてきました。
「自分の中の素直な心の声を聴き、それを信じ、『人事を尽くして天命を待つ』の気持ちで行動していって下さい。それをやってくれさえすれば、全てがちゃんと上手く行くようにしてありますから✨」
🍀幸せを感じているのはいつ?
前章を自分で何度も読み返しているうちにふと気づいたのが、この章のタイトルにしたフレーズです。
過去の出来事をポジティブなナラティブで意味づけることによって得られるのは、「いつ感じる安心や活力だっけ?」と自問すれば・・・それは「今ここ」。
過去の出来事に対するポジティブなナラティブによる意味づけで高まった自己肯定感をエネルギーにして、これから先の人生についての幸せの展望を描き、それに対して「希望やワクワクを感じるのは一体いつだっけ?」と自問すると・・それも「今ここ」。
どれも今この瞬間に感じている心の状態であり、過去や未来に実在するわけではないんだよなぁ・・。
一生懸命、未来の出来事を自分の望むように創り出していきたいって、そうしなきゃ幸せにはなれないんだって真剣に思ってきたけれど、それによって未来の出来事の確約が得られているわけではなく、得られているのは、今この瞬間の、ホッとしたりほんのりやワクワクする気持ちだけなんだよなぁ。。
過去の幸せも未来の幸せも全部、今ここで感じる気持ちなんだ。
なんか、、これこそが人生の幸せってものの本質なのかもしれないなぁ。。。
ナラティブ創りも、実は今この瞬間に心地よい気持ちを感じるためのものなのかもしれない。
未来の出来事をどうしたいか、どうなって欲しいかについての望みはもちろん抱くけれど、基本的には「天命を待つ」気持ちで、“クロッカスの姿を借りた、見えない何か偉大な存在” にお任せするようにして、僕自身は、今この時にいかに幸せな気持ちでいられるようにするか、っていう“仕事”に集中することが「自分のために自分ができる唯一かつ最高の幸せ創り」なのかもしれないなぁ・・、そんな風に感じました。
ナラティブをテーマにした今回の記事は、『今ここ』と『幸せ』との関係について、新たな気づきをもたらしてくれたような、そんな思いがけない100号となりました。
これから本番となる春の心地よさを味わいながら、今ここにしかない幸せというものの創り方について、ゆっくりゆったり思いを巡らせていきたいと思います。