“緑色”的な僕のほんのりワクワクblog

優しい気持ちを増やしたい♪

80億通りの幸せ。

世界の人口は約80億人。この世は多様性で成り立つ世界だから、人によって幸せと感じることは違っていて当たり前、だとすると、その幸せって最多で80億通りあるってことだよなぁ。

なんてつぶやきをプロローグにして、今日の記事を綴っていきたいと思います^^

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✒️藤子・F・不二雄さん。

我が家のリビングの壁に掛かっている毎年のカレンダー、もう15年以上ずっとこちらのアニメのものなんです☺️

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今年も最後の1枚となっています^^

家族みんなが、あるいは家族の中の誰かが『ドラえもん』を大好き、というわけでもないのですが、カレンダーの絵が毎年とってもほんのりハートフルで、リビングに掛かっているとなんとなくいい感じで、僕的にはもはや “家庭円満の御守” みたいに思っていたりします☺️

『ドラえもん』の作者は、かつては「藤子不二雄さん」、そして今は「藤子・F・不二雄さん」。この変化の理由、皆さまご存じでしょうか?

なんて書いてる僕も、今回、この記事を書くまで、正確には理解できていませんでした。もともと認識していたのは、①2人でひとつのペンネームを使っていたということ、②2人の区別はそのペンネームに「F」と「Ⓐ」を足していたこと、そして、③いつの日からかコンビ解消してしまっていたらしいこと、この3点でした。

でも、今回ちゃんと調べて理解しました👌

その “調査結果” はこちらです。

  • 藤子不二雄というのは、藤本弘氏我孫子素雄氏共同ペンネームで、1954年から使用していた。
  • 代表作は『オバケのQ太郎』(共作)、『ドラえもん』(藤本氏)、『パーマン』(藤本氏)『忍者ハットリくん』(我孫子氏)、『怪物くん』(我孫子氏)など。但し、著作権料は関与度合いに関係なく均等に二分割していた。
  • 1987年にコンビ解消し、藤本弘氏→藤子・F・不二雄、我孫子素雄氏→藤子不二雄Ⓐ、と名乗るようになり、著作権料は実際の制作への関与通りに分けることにした(のだと思います)。

ということで、ドラえもんの作者は、藤本弘氏=藤子・F・不二雄、なのです。

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🍂“別れ”の理由。

藤子不二雄はなぜコンビ解消したんだろう?って気になり、調べてみました。

その理由は、「どちらかの死後、遺族によって『ドラえもん』の巨額の著作権料の分配が問題となると予想され、それを未然に防ぐため」、病気を繰り返していた藤本さん(後の藤子・F・不二雄)から我孫子さんに提案したんだそうです。藤本さんと我孫子さんの関係自体は決して不仲などではなく、生涯とても親しい間柄のままだったとのことです。

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🥀Fさんのミュージアム。

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神奈川県川崎市に、藤子Fさんのミュージアムがあります。名称は『藤子・F・不二雄ミュージアム』

そのミュージアム、実は、前回の記事の舞台のばら苑のお隣にあるんです。ばら苑同様、20年前に閉園した『向ヶ丘遊園地』の跡地にあります。

先日ばら苑を訪れたその足で、8年ぶり2回目となる当ミュージアムでの鑑賞が実現しました。

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建物の外観を一目見る限りだと、明らかな告知もアニメ色もないため、ここがそのミュージアムだとはなかなかわかりません。

ミュージアム内は撮影禁止が徹底されており、許可されている場所は、隣接する広場のようなスペースのみ。

室内展示の内容で印象に残っているのは、

  1. のび太のキャラクターは、子供の頃の藤子Fさん自身そのものであったこと。
  2. 多彩な趣味を持っていたこと。
  3. お子さん(長女)が僕と同い年であること。
  4. お子さんと一緒にいるモノクロの写真がとても幸せそうだったこと。
  5. 今から26年も前に62歳で“旅立たれていた”こと。

以上の5点でした。

ふとこんなことが頭に浮かんできました。

藤子Fさんは「幸せな一生だったな」って感じて今世を終えることはできたのかな・・・?

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🍀1/58億の幸せ。

藤子Fさんが晩年にどんなことを考えていたのか、感じていたのかが知りたくなり、僕はKindleでこちらの短編漫画を購入して読みました。

本の表紙はこんな感じです。せっかく買ったので、でっかく載せちゃおう。笑

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1992年、藤子Fさんが57歳の時に書かれた作品です。全169ページ。1時間弱で読めました。ラストの4ページは少しウルッと来ました🥲

この短編を読んで僕が感じた、きっと藤子Fさんが “信じていた” こと。

  • 運命は決まっている。
  • 人生はメリーゴーアラウンド、つまり同じような出来事を、運命によって僕らは何度も何度も体験“させられている”
  • 運命に抗うことはとても難しいことだけど、しかし自分の内なる声に従って勇気を持って行動を起こせば、その運命に打ち勝ち、望む幸せを手に入れることは可能なのだ。

人生振り返った時に、「あぁ、あそこで勇気を持って行動を起こしておけばよかった」って後悔することもたくさんあったのかもしれないな、、って感じました。“やり直したい過去”も少なからずあったのかもしれません。

しかし。

ミュージアムの広場にあったこちらの像を思い出しながら思うこと。


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ドラえもんを筆頭に、藤子Fさんが世に生み出した作品は、たくさんの人を笑顔にしてきた大きな利他の賜物。与えることはもらうこと。計り知れない喜びが藤子Fさんにはあったとしてもおかしくありません。その上、ご自身が生み出したアニメキャラクターにいつも囲まれていた幸せ。

仮にもしも藤子Fさんが実際には “やり直し” まではできずに旅立たれたのだとしても、それでも当時の世界人口約58億人の中の誰とも異なる、藤子Fさんならではの幸せはきっとあったはず・・・。

なんて思ってしまうものの、実際には何を幸せと捉えるか、は、その人にしかわからないことです。いいも悪いも正解も不正解もない。

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僕が小学4、5年生の時にクラスの学級文庫に何冊もあった『ドラえもん』。給食を食べ終えた後の昼休みの楽しみのひとつでした。その『ドラえもん』は僕が大人になってからは長年ずっとカレンダーの姿で家庭円満を見守ってくれています。

藤子・F・不二雄さんが「幸せな人生だったな」って思いで、“旅立つ” ことができていたらいいなぁって思います。

今年の4月に目にした藤子不二雄Ⓐさんの訃報のニュースを思い出しました。

「仲良しだったお2人が、もう複雑なしがらみもない世界で無事に再会されて、またコンビを再結成することができていたりするといいなぁ☺️」

 

💚1/80億の幸せ。

2週間ほど前、吉祥草が開花したというニュースをツイッターで見つけました。

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昨年初めてその存在を知った吉祥草。咲いてる姿に出逢えると幸せが訪れる、と言われています。

開花のニュースを受けて、その週末、僕は今年の吉祥草に会いに出かけました♪

この都立庭園では、吉祥草が小坂道の脇の緑の中に隠れるように咲いているんです(╹◡╹)


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こんなふうに^^

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この草花は接写せざるを得ません♪


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さて、幸せを招く花に今年も出逢えた僕に訪れた、きっと誰とも違う80億分の1の幸せは・・・

この2つでした♪

  1. 娘の高校の文化祭に、妻と2人で行き、ダンス部に所属する娘がホールの舞台で躍動する姿がリアルで見られたこと。僕はコロナの制限ゆえこれまで一度も娘の学校に入ったことがなく、今回が“初登校”でもありました。
  2. その日の夜、「帰宅時の荷物がとっても多くて大変」とLINEでつぶやく?娘を、自宅の最寄り駅まで車で迎えに行き、車中で「今日は本当に楽しかった!」と何度も何度も助手席で嬉しそうに話す姿に出逢えたこと。  

この日の学校の校庭の花壇に咲いていた花たち。


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やっぱり幸せって、出来事そのものではなく、それに対して感じる心の状態なんだよなぁ・・・☺️

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幸せになるための手法として、出来事自体を望むものに変えたりコントロールできるようになることも有効だろうけど、最終的には心がどう感じるか、が幸せを決めるのだとするなら、「出来事」に対してと同等以上に「自分の心」をどう変えるか、どうコントロールするか、ということに注力した方が本当は効率が良いのだろうし、“むしろそっちの方が自然” なのかもしれないよなぁって、改めて感じさせられている僕がいます。

「自然なはずなのにとっても難しいのはなぜ?🤔」

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