こんな映画を観てきました☺️
この映画、通常の映画のようないわゆる起承転結がわかりやすく設けられてはいません。映画の始まりからエンディングまで出来事が静かに流れていく感じ。その出来事の多くは“事件”と言えるレベルのものなのだけど、日常の出来事のひとつかのように抑揚なく静かに展開していきます。出演者のセリフも少なめなのですが場面に合わせて流れる挿入曲は多彩なので、暗さや重さがある雰囲気ではありません。
ストーリーを楽しむ作品ではなく、何かを感じてもらいたい作品なんだろうなぁ、って思いながら鑑賞しました。
今日の記事では、僕がこの映画から感じたことを綴って行こうと思います。
この映画を観て感じたことのひとつめ。
「世の中のあらゆる人は実はみんな“変人”なのかも。みんな、各々が認識している社会常識みたいなものと照らし合わせてその変な部分が発現しないように制御しているだけなのかもしれないな」
そしてふたつめ。
「誰もが変人だけど、でも誰もが皆優しい。優しさというのはきっと人間が生まれ持っているものなのかもしれないな」
そしてもうひとつ。これは映画を観てのものではなく、映画を観た方が投稿されている口コミを拝見してのものです。
この映画の評価はあまり高くないようです。一部の「とても高評価」方と、多くの「非常に低評価」な方で構成されている感じがします。
非常に低評価な方の多くのコメントからあらためて僕が思うことは、「人ってネガティブ評価を発信する時って、なぜそうなのかをものすごく丁寧に説明するよな.....」です。非常に低評価のコメントを丁寧に説明する時の気持ちってどんなんだろうって想像すると、僕が思いつけるのは次の3つでしょうか。
- ただのストレス発散(それ以上の意図はなし)
- これは正しい考えだからみんなに教えてあげたい(一種の社会貢献感?)
- 他人から賛同を得たい(自己正当性の確保)
いずれについてもどれが正しくてどれが間違っているという類いのものではありません。
僕の場合は、これまでの人生で、誰かや何かに対するネガティブを表明する時って、たいがいが上記の3だったように思います。その時に握りしめている思いがあるとしたらこれ。「僕は間違っていない!」。でも僕の場合、これをやるとたいてい後になって自分に対する嫌悪感が湧いてくることになります。どんなに謙虚な言葉を駆使してネガティブな評価を丁寧に言葉にしたとしても、それを発信している真の自分の意図は自分にはごまかせない、ってことなのかもしれません。
それがわかっていても、お酒が入った場ではついやらかしてしまって後で後悔することは未だにあります。何歳になってもこの行為は自分を傷つけるリスクが高いのです。
心の中でつい誰かや何かへのネガティブな評価を思ってしまったり、つい独り言で発してしまうのは聖人ではなく人間だから仕方がない。しかしそれを誰かに伝えてしまうことは極力控えておいた方が何より自分のこころの平和を揺るがさずに済む。
というのが僕の場合です。
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今日の記事の結びは、今回観た映画『ルート29』の主題歌です。この曲の持つ“雰囲気”は、この映画そのものって感じました。なんのことを歌ってるのか僕にはまだはっきりとは理解できていない歌詞だけど^^; なんかとっても優しく温かい感じがする曲だな....って感じた不思議な曲です☺️