こんばんは^ ^
今日の記事は『勇気』をテーマに書きます ♪
実は、今日の記事は僕にとって通算50記事目なのですが、『勇気』というワードはこれまでの記事の中で一度も使ったことがないように思います。
この記事をどんな結びにするのか、書き始めのこの時点で、実は僕にもよくわかっていなかったりするのです^^; しかし、つい最近、『勇気』に関するとっても有意義な気づきを得ているので、50投稿記念、ってことにして、結びは見えなくとも思い切って書き始めてみます!
最初に受けた“問いかけ”
『アンパンマン』。
下の娘が、言葉を話し始めたぐらいから2歳ぐらいまでの時期に、大好きなアニメでした^ ^
おぼろげな記憶では、「ママ」→「○○○(上の娘の名前)」→「アンパンマン」→「てんてんどんどん」→「パパ」、確かこんな順番で言葉をしゃべり始めたような^^;
主題歌の『アンパンマンのマーチ』。
多くの皆さんがご存知とは思いますが、YouTubeにアップされている方がいらっしゃったので、以下にてお借りさせていただきます。
当時、僕は、この歌の歌詞の意味をきちんと理解しようとして聴いてはいませんでしたが、確かこんな思いを持っていた記憶があります。
「『愛』と『勇気』って、本来、併存できるものなのかなぁ・・・」
「勇気を出して悪いことをするやつをやっつけることって愛なのかなぁ・・・」
「でも、アンパンマンは相手の命は決して奪わないし、、まぁ良し、としておこうか。」
今思い返すと、これが、僕に初めて訪れてきた、『勇気』って?という問いかけだったように思います。
12年振りの“再問いかけ”
次の問いかけは、12年前とは別の入り口から訪れてきました。
それは、この『はてなブログ』の投稿を始めて約1ヶ月後、ブログを運営する『自己責任』を負う『覚悟』という切り口での問いとして、僕に訪れてきたのでした。
突然訪れてきた問いへの戸惑いと、その問いに対しての自分なりの答えを書いているのが、以下の2つの過去記事となります。
僕がこの時の心の葛藤で気づいたことは、次の3つでした。
- これまで生きてきた環境が、いかに安全でしっかりと守ってもらっていたものであったか。
- ワクワクを増やしていきたいということは、多かれ少なかれ先が見通せない、安全が保証されない世界に足を踏み出していくことであること。
- どこまで足を踏み出していくのかは、僕の場合、それが『自己責任』を負う覚悟ができる範囲内にあるかどうか次第であること。
今思えば、この時の出来事は、『勇気』について考える前の “心の準備運動” みたいなものでもあったように思います。
次いで究極の“問いかけ”が。
突然ですが、ここで、僕が読者登録させていただいている、harumi(id:mannaka2)さんが最近書かれた記事を引用リンクさせていただきます ♪
私の大切な「指輪物語」(ロード・オブ・ザ・リング) - まんなかで・・・
『ロード・オブ・ザ・リング』。
以前からこの映画のタイトル自体は知っていましたが、この映画が劇場公開された頃は、家族が増え、映画に最も疎遠だった10年間の始まりぐらいのタイミングと重なっていたこともあり、今に至るまでずっと観賞するご縁はありませんでした。
しかし先日、前掲の harumiさんの記事を読ませていただいているうちに、「一体どんなストーリーなんだろう・・、映画を観てみたい!」って思いが湧いてきたのです♬
全3作、約3時間 × 3、という広大なスケールの大作、5日ぐらいかけて観賞&完走しました!
観終わってすぐの感想は、
「うん、観てよかった!😊🍀」です。
とっても広大で深い物語でした。僕にとっては、現実感の強いヒューマンストーリーでしたね^ ^
どんな感動があったのかをたくさん綴り始めたいところなのですが・・・そろそろ今日の記事のテーマに関する視点にフォーカスして書かせていただこうと思います(╹◡╹)
この作品では、「愛するもの(国、家族、仲間、そして良心?)を悪から守るための戦い」のシーンがたくさん登場します。
たくさんの人が敵の命を奪い、たくさんの人があっけなく命をなくすシーンが目まぐるしく描かれてもいます。
ある意味、僕が長年、極力目にすることを避けてきた類のものであったかもしれません。
でも今回は、「この映画には生きていく上できっと何かとっても大切なメッセージがあるに違いない」というマインドセットがありました。「僕がこの物語から学べることはなんだろう」っていう自問自答をしながら、ある時は客観的に、またある時は感情移入して得意の独り言を発しながら^^;、クライマックスではもちろんファンタジーアドベンチャーならではのドキドキも高めて鑑賞しました♬
観賞中にフッと浮かんできた言葉。
それは、『勇気』。
そしてそれに続いた自問自答がこちらです。
「愛するものを守るために必要なのは勇気?」
「そうかもしれない。」
「愛するものを守るための選択肢が、この作品のように、もう命をかけて戦うこと以外にはない、という環境に自分の身が置かれた時には、きっと僕も迷うことなく戦うことを選ぶだろう。自分がそれで命を落とすことになるとしても、その戦いに挑むことが、愛するものを守れる最も高い可能性なのだと確信したのなら。」
「でも、これは僕ならではの特別なことではなく、きっと愛するものを守るためなら人間誰もが自然と湧いてくる感情であるような気がする。」
「愛するものを守りたいという強い感情。それ自体がすでに『勇気』なのだろう。」
この作品が、極限の環境下で愛するものを守るための『勇気』になった人々の生き様を見せてくれたことで、『勇気』というものが決して特別な「スキル」ではなく、人間誰もが生来持っている「気質」であることに気づかせてくれたような気がします。
ふと頭に浮かんできたこのフレーズ
先日、散歩をしながら、引き続き『勇気』について考えていました。
その時にふと浮かんできたのがこのフレーズ。
『愛と勇気だけがともだちさ』
「あっ、、アンパンマンの歌詞だ・・」と。
そして、その瞬間思ったのです。
「愛と勇気は併存する、どころか、おんなじものじゃないか!」
『愛』とは何か?
僕にはこんな難しい問いの絶対的正解を追求する能力も根性もないので^^;、ここでは、論理的裏づけはない僕の価値観に基づく私的な定義を書かせていただこうと思います。
『愛』とは、
「利他の心」「与えること=もらうこと」
そして究極は「ゆるし」「ワンネス」・・・
もちろん「愛」由来ではない『勇気』も存在するわけですが、人間が『勇気』を最も迷いのない強い力として持てるのは、「愛」の感情に満ちあふれている時なのではないか、って気がします。
その勇気の結果がその時に自らの願っていた通りになるかどうかは不明ですが、愛から転化した勇気の状態にある時というのは、もはや結果がどうなるかといったことすらも気にならない強い心になっているのかもしれません。
そういえば、アンパンマンのエンディングテーマ曲のタイトルは『勇気りんりん』でした。
『勇気』は、オープニングテーマにもエンディングテーマにも出てくる言葉。
アニメの原作者でありテーマ曲の作詞者である、やなせたかしさんが一番伝えたかったことは、以下のことだったのかもしれないな、って思いました。
「人生には『勇気』がとっても大切なんだよ。でもその使い方こそがさらに大切なんだよ。」
「命をかける以外に愛するものを守る術がない極限の環境に、この世の中が二度とならないように勇気を使える人になって下さいね。」
そして僕は。
『勇気』とは、目的や望みを実現するために必要な、“不安”を乗り越えていくための「心の強さ」、あるいは「スキル」なんだと、僕はずっと思っていました。
だから、意識を集中させるべきは、乗り越える必要のある対象が作り出している不安への対処なのだと思っていたような気もします。
だけど今後は、この認識を替えようと思います。
どう替えるかと言うと・・・
「目的や望みを実現したい時には、見えないことを見えるようにして安心・安全を確保することよりも先に、まずは、その目的や望みにつながっている『守りたいもの』や『大切にしているもの』に意識を集中する」 でしょうか。
勇気を「出す」のではなく、「選択する」のでもなく、必要な時には、自分自身が勇気に「なれる」ような人に・・・
えーと、、、
そういうものにわたしはなりたい! ^^;