こんにちは^ ^
ブログ断ちしていた48日の空白期間内に、もし記事を書いていたら、少なくともこれは書いていただろうな、って思うことが4つほどあります。
“パズルの空白を埋める” つもりで、今日の記事から計4回にわたって、1話完結で記事にしてみようかなって思います。
「週末計2時間限定滞在」を自分とのお約束にしている身ではありますが、この“4回シリーズ”は、僕が大好きな「ガクアジサイ」が咲き始める前には終えておきたいので、平日に手帳とスマホメモを細切れ活用することで「お約束」は遵守しつつも、5月29日(日)までには最終話を投稿完了させるつもりでチャレンジしてみようと思います(╹◡╹)
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第1話:めぐる
今年の桜
例年よりも1週間から10日ぐらい早い開花でしたね。でも、たまたま休暇を取って散歩に繰り出した日がほぼ見頃のタイミングだったので、桜ワールドを満喫することができました♬
包み込むような美しさの迫力。
「色は淡いのになんでこんなに力強さも感じるんだろうか。」
「・・・それはきっとこの美しい姿がとても短い期間限定であることを “僕が” 承知しているから、なのかもしれないな・・・」
そして1ヵ月後。
3月下旬にこの景色だったのが、
こうなりました。
とてもキレイな新緑だけど、ほとんどの人達は、広場か遊具スペースにいて、この桜達のそばにもはやひと気はほとんどありません。
この光景を目にして、僕は10代の頃に好きだった “フォークデュオ” のある曲を思い出しました。
以下、この曲の歌詞の一番だけ引用します♬
ささやかなこの人生
歌:風
作詞・作曲:伊勢正三
花びらが 散ったあとの
桜がとても 冷たくされるように
誰にも 心の片隅に
見せたくはないものが あるよね
だけど 人を愛したら
誰でも心のとびらを 閉め忘れては
傷つき そして傷つけて
ひきかえすことの出来ない 人生に気がつく
やさしかった 恋人達よ
ふり返るのは やめよう
時の流れを 背中で感じて
夕焼けに 涙すればいい
昭和らしい(笑)、さわやかで素敵な青春の歌だなって、あらためて思いました(╹◡╹)
ひと気のない桜の木達を見ながら、この曲を思い出したのは、きっと歌詞の冒頭のこのフレーズゆえですね。
花びらが散ったあとの桜がとても冷たくされるように、誰にも心の片隅に見せたくはないものがあるよね
その当時、まだあまりに人生経験不足だった僕には、このフレーズの前半と後半の意味のつながりがどうもよく理解できませんでした。
あれから40年以上も経った今。
このフレーズは、「青天の霹靂」「天国から地獄へ」「一生の不覚」?といった類の、先にとても幸せだった時間を体験してしまっている分、そのギャップゆえに余計につらく、自分が惨めに感じられてしまった出来事のことを言っているのではないのかな、って思いました。
最初は「失恋体験」のことだけを言っているのかな、って思ったのですが、何度も歌詞を頭の中で繰り返して確認しているうちに、「いや、それだけに限定されない感じかな。。」って思いに至ったのですが、、、この感じ方ではまだまだ人生経験が足りない感じでしょうか^^;
上記のめぐる思考を終えた後しばらくして、僕のこころに浮かんできたこと。
それはこれでした。
「でも桜は、人がどう思うかなんてことなど全く気にすることなく、そして自らの開花期間がとても短いことを憂うこともなく、いつでもただ “今ここ” を100%生きているからスゴいんだけどね^ ^」
季節はめぐり、さまざまな出来事もパノラマのようにめぐり、そんな中で、毎年、桜の花たちに期間限定で会えるたびにいろいろな思いをめぐらせることができる。
僕の人生を構成する “現実” は、かれこれもう半世紀以上もめぐりめぐる。
「ささやかだけど十分幸せなこの人生」だなぁ、って思った、今年の桜とのエピソードでした(╹◡╹)
※次回のブログアクセスは5月15日(土)になります。それまでの間、“お留守”にさせていただきますこと、どうかご容赦ください。