俳優の西田敏行さんの先日の訃報。ネットで速報を目にした瞬間、思わず「えっ、嘘だろ!」って驚きの独り言が出ました。つい数週間前に妻と、「ずっと病気だっていう噂を耳にしていたけど、元気になっているみたいで良かったね!」、なんて会話をしたばかりだったからなおさらの驚きで。
僕は西田さんのファンを自認してきていたわけではないのですが、今振り返って考えてみると、子供の頃から社会人になるまでの人生で、随所に“人生の彩り”のピースを、そして近年では“人生の気づき”をいただいている 「唯一の芸能人の方」だということに気づきました。
今日の記事は、僕からの一方的な西田敏行さんとの“ご縁”のお話です。
西田さんとの初めての出会いは、おそらくは小学6年生ぐらいにテレビ放映されていたバラエティ番組です。確かタイトルは『見ごろ!食べごろ!笑いごろ!』。加山雄三さんの若大将に対抗して「カバ大将」なるキャラクターで出演。若大将を引き立てるお笑い芸人さんでした。
そんな西田さんはまもなく同テレビ局の刑事もののドラマに出演。ドラマの名前は『特捜最前線』。初代仮面ライダーの藤岡弘さんが出演するドラマだったから見始めた番組だったのですが、このドラマでの西田さんの役は、当時の刑事ドラマの刑事課に必ず1人いた、見た目は普通のおじさん(お兄さん?)だけど味のある人情派の刑事でした。
※東映シアターオンラインYouTube動画より引用
そう、同じ頃にテレビCMに出演されていて、そのCMでの一言が今に至るまで記憶に残っていることにふと気づきました。その一言がこれです。
「今、やろうと思ってたのに言うんだもんなぁ💢😭」
「これ、何のCMだったんだろう?」ってネットで調べてみてわかりました。お風呂用洗剤。
同じぐらいの年、下掲の曲が主題歌のテレビドラマが、日曜日の夜のゴールデンタイムにスタートしました。
『西遊記』。西田さんは猪八戒の役です。そんなに強くもなく、時々仲間の足を引っ張る裏切りみたいなことをするんだけど、それでもどうも憎めない、みたいなキャラクターでした。
このドラマが放映された年、僕は中学2年生。中学校3年間で一番思い出深い年だったので、『ガンダーラ』を聴くと当時のほんのりワクワク感覚がかすかに呼び起こされる感じがします。
その一年後、僕が高校一年生の時。テレビドラマ『池中玄太80キロ』が土曜日の夜のゴールデンタイムに放映開始されました。
当時このドラマを見始めた一番の理由は、僕といわゆる“同学年”の杉田かおるさんが出演していたからですが、見始めてみるととっても素敵なドラマ。このドラマをきっかけに、僕の中で西田さんのイメージはお笑いタレントから俳優さんに切り替わりました。
同じ頃に放映されていたNHK大河ドラマの『おんな太閤記』に豊臣秀吉役で出演されていましたが、このドラマは、 現在に至るまで指折り数えるほどしか視聴したことがないNHK大河ドラマの内の稀少な一作品でした。「池中玄太の西田敏行が準主役で出演するから見てみよう」だったと思います。
そして時は流れ、僕は大学生に。この頃観た映画の一作品に西田さんは出演されていました。1984年公開のその映画のタイトルは『天国の駅 HEAVEN STATION』。吉永小百合さん主演の映画です。この映画を観に行った理由は、僕が生まれる前の日活青春路線の映画に出演していた吉永小百合さんに“恋”していたからでした。この『天国の駅』という映画に西田さんは知的障害を持つ雑用係という“脇役”で出演されていました。ストーリーの中での重要な役割を担う役どころとはいえ、すでにNHK大河の準主役を務めた実績を持つ西田さんがこの役を引き受けたことに対して、当時は驚きの声も上がっていたようです。僕の記憶が正しければ、西田さんは確かこんな要旨のコメントをされていました。
「若い頃からずっと憧れのマドンナであった吉永小百合さんと一緒に芝居をやらせてもらえるのは夢のようなことなので、喜んで引き受けさせてもらいました。」
大人の世界でもこういう意思決定があるんだ、ってことに、ちょっと嬉しくなった記憶があります。
以上のような感じで西田さんは、僕の小学生から大学生までの記憶のアルバムにいくつもの“彩り”を添えて下さっていました。
しかし、社会人になってからの数十年のアルバムには新しい彩りは見つけられません。『釣りバカ日誌』、山田洋次監督の『学校』、 井筒監督の『ゲロッパ!』、北野監督の『アウトレイジ』、そして数々の三谷監督作品、テレビバラエティ番組の『探偵!ナイトスクープ」、等々、西田さんはまさに“益々のご活躍”だったはずなのですが、どれも「聞いたことある」ではありますが観たことはありません.....
西田さんとの“ご縁”が再開したのは、 いみじくもこの冬にFIMAL作品が映画放映予定の『ドクターX 外科医・大門未知子』。
このテレビドラマは2012年から放映が開始されたそうですが、僕が見始めたのは2016年の第4期シリーズぐらいからです。きっかけは妻から「毎回爽快で面白いドラマだよ」って教えてもらったことだったと思います。ご存知の方が多いと思いますが、西田さんの役は大学病院の院長。 欲と野望の塊の悪どい男、なんだけど、なぜか憎めないキャラクター。アンパンマンに出てくる『ばいきんまん』にも通ずるような。。。かつての『西遊記』の猪八戒のキャラクターとも少し重なっている気がします。
そして時は2020年代に入り、コロナ禍が始まって数ヶ月経った頃、会社の先輩から勧めていただいて見始めたテレビ番組。
その頃にブログ記事にもしています。
毎回、西田さんのフレンドリーで優しいナレーションにホッと心をゆるめてもらえる上、心のワクワクエンジンにエネルギーを注入してもらったような気持ちを感じてきました。
今回、この記事を書くために、西田さんの人生の経歴をネットで読ませていただきました。それで初めて知ったことがあります。西田さんの人生は、次から次へと生じる病との並走だったようです。
まず、前述の『天国の駅』。この映画撮影の前には、狭心症の発作を起こされていたとのこと。そして2001年には首の骨が変形して手足のしびれなどの症状が出る頸椎症性脊髄症を発症。2003年には心筋梗塞で緊急入院して一時は生死の境をさまよわれたのだそうです。それから13年後の2016年には自宅のベッドから転落して首を痛めて頸椎亜脱臼を起こして手術。その直後には胆のう炎も発症して胆のう摘出手術を受けられていた.......
近年の『ドクターX』シリーズでの演技、2020年に吉永小百合さんと再共演の映画 『いのちの停車場』での演技、今春のテレビドラマ『さよならマエストロ〜父と私のアパッシオナート〜』での演技、いずれをとっても、プライベートでそこまで大変な状態を経験されていることなど全く感じさせないものでした。
そして、『人生の楽園』での西田さんのナレーションは、直近の放送回まで、身体の不調を抱えている人の声には全く聞こえませんでした。
『人生の楽園』はどこにある?
ふと、この記事のタイトルにした問いの答えがなんだかわかったような気がします。
その答えは....
「人生の楽園は“選んだ人”の前にだけ出現する」
「“選ばない人”の前には永遠に現れない」
『楽園』と言うと、どこを見渡してもひとつのネガティブもなくただただ心地よいユートピア、“ガンダーラのような場所”ってイメージを僕はずっと持っていましたが、この世の中が陰と陽で成り立つバランスの世界だとするなら、そんなユートピアのような場所を物理的に追い求めてもどこにも見つけられないのかもしれません。
陰(望まないこと)は決してゼロにはならない。人の身体を例にして言えば、老化に伴って若い頃より調子が悪いところはどんどん増えてくる。しかしそんな中であっても必ず陽(望むこと)は存在している。 「望むこと」の“周囲”にある「望まないこと」がどんなに多数だったとしてもそれに気持ちをフォーカスするのではなく、望むことの方に気持ちをフォーカスできる人の環境がいつの間にか“楽園”になっているのかもしれません。
きっと西田さんは、病を治すためにできる努力は精一杯やりながらも、「それがあるせいで望むことをやることができない」とか「十分に楽しむことができない」とは思わず、むしろ、「だからこそ望むことに気持ちをフォーカスして目一杯幸せを味わおう」という選択をされていたんじゃないでしょうか。
西田さんはテレビ番組『人生の楽園』で楽園の住人の人たちの紹介役だったけど、実はご自身も楽園の住人だったんだなぁ・・・って、今わかりました。
さぁここからは、秋の花で画面を埋め尽くします!
素人スマホカメラマンしんちゃが一瞬の楽園タイムに撮った花の写真、西田さんのところまで届け✨✨
さぁ次の彩りを!
今年の秋は例年になくコスモスが美しく咲き誇っているような気がします。
曇り空でもありのまま風に吹かれて。
晴れた朝には晴れやかに。
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
今日の記事の結びはやっぱりこの曲、ですね。
大切な人のこと、もっともっと大切にしてたくさん喜ばせてあげたいのにこれ以上何をしてあげたらいいのかわからないもどかしさと、そのもどかしさと同じぐらい大きな愛おしさ。高校生の頃はこの歌に込められている思いがよくわからなかったけれど、あれから何十年も歳を重ねた今の僕はこの曲にそんな思いを感じました。
人生の先輩、西田敏行さん。また“いつかどこかで”.....ご縁を持たせていただけることがあるのかもしれない。
謹んでご冥福をお祈りします。