“緑色”的な僕のほんのりワクワクblog

ほんのりワクワクがたくさんの毎日を♪

あれもこれも “僕の場合は” ということ。

ご訪問くださりありがとうごさいます(╹◡╹)

突然ですが、この花、ご存知ですか^ ^

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もう少し接写で♪

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この花の名は『ホトトギス』

昨年、僕はこのホトトギスの花からのインスピレーション?で、下掲の記事を書きました。

信じてもらうことの幸せパワー - HSP気質な僕のほんのりワクワクblog

今年もホトトギスの花を目にするようになったことで上掲の過去記事を思い出して読み返してみたのですが、今現在の自分の考え方と照らし合わせると、「うーん、なんか放置できない・・」感が満載でした(^^;

ということで、本日の記事は、前半ぐらいまでは上掲の過去記事をベースにしながらも、後半からは「今現在の僕」としてあらためて書き直したいと思います ♪

 

ご紹介〜花の名前の由来

花びらにある紫色のまだら模様の斑点が、鳥のホトトギスの羽毛の模様に似ているというのが、その由来だそうです。

ネットで『ホトトギス(鳥の方)』の写真を確認してみましたが、「なるほど〜!」って思える写真を探し出せなかったため、画像の掲載は見送りにさせていただきますm(._.)m

 

花言葉

「永遠にあなたのもの」「秘めた意志」です。

前者は「夏から晩秋まで長く開花している姿」、後者は「日陰で力強く咲いている姿」に由来しているそうです。

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フッと浮かんできた疑問

「『ホトトギス』って鳥、昔から全く身近な存在でもなく、この記事を書くまでどんな見た目かも知らなかったのに、どうして名前だけは忘れずにちゃんと覚えていられているんだろう??」

注)今はよく知っているので、これは昨年の思いです。

 

あ、きっとあれだ・・・

 

「鳴かぬなら○○○○、ホトトギス」 

 

懐かしの日本史授業。

1.「鳴かぬなら殺してしまえ、ホトトギス」

  織田信長さん。怖い(^^;;

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 2. 「鳴かぬなら鳴かせてみせよう、ホトトギス」

  豊臣秀吉さんですねー。ワクワクの追求?!

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3.「鳴かぬなら鳴くまで待とう、ホトトギス」

  徳川家康さん。こんなに大らかではなかった?

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僕がホトトギスだったら。

これは、「人間である僕の心を持ったままで、このホトトギスになったら」という想定で参ります。

ここでの自問自答は、「果たして僕は、信長さん、秀吉さん、家康さん、のうちの誰の庭の木にいるのが一番幸せに感じるだろうか?」です。

 

まず始めに、命の危険を感じる信長さんの家の庭はやっぱり嫌ですねーm(._.)m

よって、秀吉さんの家の庭か、家康さんの家の庭か、の決戦ですが・・・

 

うーん・・・・・・・

 

はい、答え、出ました!!

えーと、、

「以下の様に接してくれるなら、秀吉さん、家康さんのどちらでもいい!」

 

“以下の様に” とは、こんな感じですね。

  1. 最初は秀吉さんスタイルで、僕にポジティブな関心を持ってくれていると思わせて欲しい
  2. しばらくしたら、家康さんスタイルで鳴くまで待ってくれることを基本にして欲しい
  3. しかし、時にはまた秀吉さんスタイルに戻って、引き続きポジティブな関心を持ってくれていることを確認させて欲しい

その心は、「君のことは信じているからいつ鳴くかは君の好きな時に任せるよ」って接して欲しい、でしょうか。

家康さんアプローチを基本としながらも、時折、秀吉さんアプローチを繰り出して欲しい。

家康さんアプローチだけだと、「信じてもらえてるから任せてもらってる」のか、「どうでもいいからほったらかされているのか」のどちらなのかわからなくなってくるかもしれないので、前者である証しとして、「時折、秀吉さんアプローチをお願いしますね」という感じでしょうか^^;

 

他者事例。

ふと浮かんできた、15年ぐらい前の職場での記憶があります。

当時の僕の職場のある同僚(男性)が、上司のことでいつもイライラカリカリと心を悩ませていました。

彼はその上司からはむしろ高い人事評価をもらっていた人だったのですが、にもかかわらずとにかくいつも怒っていました。

原因は、その上司が常に彼の言動に対して、彼からすると “難癖” “ダメ出し” 発言で接していたからです。とにかく彼が提案したことに対して、「OK、それでやってみなよ。」とは決して言わない。

当時、彼がよく発していた独り言がこちらです。

気持ちよく仕事させてくれ!!ただもうそれだけでいいから(><)」

彼は、理屈よりハートで動くタイプの人でした。当時の僕は、「彼らしいな」って思ってただ苦笑いしているだけでしたが、15年経った今振り返ると、当時の彼の気持ちはこんな感じだったのかもな、って思えます。

「心揺らすような小さな指摘とかせずに信じて待っていて欲しい。俺は何がなんでも期待に応えてみせる覚悟はあるんだから!」

 

僕の事例。

僕自身の会社キャリアを振り返ってみても、言われると一番嬉しく、心にパワーがみなぎってくる言葉は、これでした。

関西での営業キャリアでは、

「自分に任せるわ。」

注)関西?では「あなた」のことを「自分」と言います。最初の頃は意味が分からず戸惑いました(^^;

東京に戻ってきてからのスタッフキャリアでは、

「任せるよ。」

「任せる」とは、それで何か不具合が生じた時には、任せたその人に責任が及ぶのが基本です。それを承知で任せてくれるという行為は、万が一のことがあったら自分が責任を負う覚悟で「信じてくれる」ということでもあります。

「任せる」と言われた時の僕には、こういうスイッチが入ります。

「信じてくれたこの人が絶対責任を問われるようなことにはしない!それどころか、やはり任せて良かったって感じさせてあげたい!」

僕にとって「信じてもらっている」という感覚は、昔から今に至るまでずっと、心に力を入れて前進するためのエンジンでした。

 

分水嶺。

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この記事の冒頭に掲げた昨年の記事は、「信じてもらって任せてもらうことって誰にとっても嬉しいことですよね♪」という思いで書きました。

でも今年の今の僕だとそうならない、というのが、今回、記事を書き直すことにした理由です。

今の僕だと・・・・こうなります(╹◡╹)

「“僕の場合” はそうなんですけど、これは全ての人にとって幸せと感じるものにはなり得ませんよね。」

信じてもらえること自体はきっと多くの人にとって幸せなことなんじゃないかなとは思いますが、でも「任されて責任を負うことになるのは嫌だから信じてもらえなくていいので信長さんみたいに『俺の言った通りにやれ!』って言ってくれる方が気楽で幸せだよ」って人も必ずいるんだと思うのです。

自分の幸せなこと=皆も幸せなこと、ではない。

自分の心地よいこと=皆も心地よいこと、ではない。

僕はYouTubeを観ている時、そんな感じのことをしみじみ思います。

例えばこちらのリンク動画です。

MISIA - 逢いたくていま - YouTube

これは年末の紅白歌合戦の紅組のトリを担うまでになったMISIAさんの公式チャンネル動画。この曲は僕が大好きなTVドラマ『JINー仁』の主題歌でもあり、MISIAの曲の中で一番僕の心に刺さる曲です。

僕からすれば驚きの事実なのですが、この動画に対して、5%強もの方が低評価ボタンを押されています。

※2021年10月20日17時33分現在です。

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「好きか嫌いかは個人の自由だけど、わざわざ低評価ボタンで意思表示しないでスルーにしておけばいいのに。。」って、まず僕は感じてしまうわけです。

でも、わざわざ低評価の意思表示をされる方には、必ず「その方が大切にする価値観に基づく正しさ」があるのだろう、って思い直します。

自分と異なるものを “無理して” 受け入れる必要は全くないけれど、「尊重すること」は大切だと感じます。『尊重』とは自分の考え方とは異なるからといって攻撃したり排除しようとしたりしないことです。そもそも自分が攻撃や排除される立場になったら、って考えると、辛いし嫌ですもんね^^;

この心のあり方は、これからの「多様性の時代」ではとても大切になってくるのだろうって、特にコロナ禍が始まってからのいろいろな経験を通じて、すごく思うようになってきています。

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今年のオリジナル花言葉は?

昨年の記事で、僕が『ホトトギス』の花につけたオリジナルの花言葉は「信じてもらうことの喜び」でした。

今年はそれをリセットして、本来の花言葉のうちの「秘めた意思」で行こうと思います!

秘めたその意思とは、

「これって誰もに当てはまる正解などではなく、“僕の場合は” だよね」ってことをまずは忘れないようにする。

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